屋我 明 様
(元)琉球放送株式会社 上席執行役員
近年、沖縄の放送における最も大きなイベントは地上波テレビのデジタル化であろう。
南北大東島から与那国島に及ぶ東西約1000kmにある島々を含む県全域のデジタル化は大きな難題であった。これを克服するためには民間放送事業者のみの努力だけでは如何ともし難く、国や県、各自治体の支援がなければ到底なし得なかった。
当初、地デジの中継局を構築するにあたり総務省の支援策が全国的に設けられたので、琉球放送(株)(R B C)と沖縄テレビ放送(株)(O T V)は先島中継局地デジ化に活用させていただいた。琉球朝日放送(株)(Q A B)は、支援策を受けるための条件であった「アナログ中継局の開局」がまだだったため、支援策を利用できなかった。その時支援を行うことを表明したのが沖縄県であった。県は、R B CとO T Vに対してアナログ中継局建設時に支援を実施したので、当時開局していなかったQ A Bに先島のデジタル化の支援を行うということであった。それらの経緯を経て2009年10月、先島地区住民の念願であった民放3社同時地上波テレビのデジタル放送開始に至った。
一方、南北大東島ではアナログ放送は、通信衛星を利用して東京ローカルの放送を行なっていたが、デジタル化に際し沖縄ローカルの放送を届けるという課題があった。県、自治体、住民、そして各放送事業者がどのような負担をしていくか協議していく中、沖縄県情報政策課の担当者から、「国境の島の住民に対し情報の格差があってはなりません。大東島を決して尖閣のような島にしてはならず、国や県はインフラを整備し住民が住みやすい環境を提供すべきだと考えています。このことは日本の国益にも叶うことです。」という説明を受けた。その説明に民放技術者として胸に熱いものが込み上げるものがあった。そして民放としても可能な限り努力することを約束した。それらの経緯を経て、沖縄本島から南大東島までの海底光ケーブルの敷設からデジタル中継局の構築の費用を国と県の支援策の活用とし、中継局の維持管理については放送事業者が行うことを決め、2011年7月にデジタル中継局の開局を成し遂げた。
南北大東島で県域の同時放送が可能となった2011年7月、私たち県内放送に携わる者にとって、放送も晴れて本土復帰が完了したとの思いであった。
南大東局(南大東島)
北大東局(北大東島)