堺市竜神駅付近は昭和20年7月10日未明の空襲で、市内で最もせい惨を極めた場所であった。東側からの焼夷弾による炎と西側の軍需工場(ゴム工場)から吹き上げる黒い猛煙に包み込まれ、多くの人が逃げ場を失った。また近くにあった遊郭の女性たちは、橋が焼け落ち逃げ遅れた。合わせて数百万人が、当時この地にあった阪堺線大浜支線の高架ガード下と、近くの内川・旭川に逃げようとしたがその場で高温と酸欠のため悲惨な最期を遂げた。その時、内川には猛火による竜巻がおこったと言われている。昭和24年〜昭和25年ごろから地元の人たちが、ガード下にみかん箱を置き、被災者の供養をするようになった。昭和29年には、有志によって保存会が設けられ、地蔵を建立した。地蔵尊の前におかれている過去帳には、空襲当時この付近にあった、南海本線の竜神駅に停車中の急行電車3台の乗客800余名が惨禍に巻き込まれたことが記されている。毎月9日に月例法要、毎年7月9日には大祭を行っている。
開催時期 | 毎年7月9日 |
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開催地住所 | 大阪府堺市堺区住吉橋1-3-15 |
開催場所 | 戦災無縁地蔵堂 |
主催者 | 堺戦災無縁地蔵尊保存会 |
関連HP | |
連絡先 | 堺戦災無縁地蔵尊保存会 072-232-3228 |