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粟国村における戦災の状況(沖縄県)

 粟国村は、那覇市の北西約60kmに位置する海上に浮かぶ面積7.65km2、周囲約12kmの粟国島からなり、令和3(2021)年11月現在の人口は677人で3地区に分かれており、西地区・ 東地区・浜地区からなる小さな島である。粟国村では、昭和20(1945)年3月23日より米軍機による空襲が始まった。

戦災の状況

太平洋戦争
・昭和20(1945)年3月23日午前7時 粟国島、米軍機により空襲はじまる。
 粟国島国民学校卒業式及び修了式中止
 死者浜地区9名、 東地区3名、 西地区1名
・昭和20(1945)年3月28日空襲 農協全焼
・昭和20(1945)年4月1日空襲 国民学校全焼
・昭和20(1945)年4月2日空襲 船陽久丸焼失
 空襲は4月中旬から穏やかになり村民は安心して家庭に帰る。
・昭和20(1945)年6月9日未明 米軍十数隻の軍艦で島を包囲し、 艦砲射撃の掩護下で上空では偵察機で機銃掃射、戦車砲を発射しながら上陸を敢行
 当日の上陸作戦で艦砲や戦車砲や飛行機により機銃掃射で死傷したのは、浜地区で56人、東地区0人、西地区0人であった。家屋については3地区共に損失はなかった。
 米軍は、上陸すると村民を捕虜にし、東部落の学校裏に収容され、集団生活を行う。
・昭和20(1945)年6月12日 村民全員浜地区へ移動。
・昭和20(1945)年7月1日 村民東地区・西地区へ移動。食料不足の為軍命により村の家畜屠殺 豚2,103頭、山羊2,472匹、牛127頭、馬114頭。
 最も困った事は、上陸後の米軍は民家の茅葺に放火をしたり、瓦葺の家屋の柱、床、壁板等を薪に使用するため破壊した。そのために全壊した家屋39戸、半壊家屋202戸、全焼家屋、西地区3戸・東地区3戸・浜地区33戸。
・昭和20(1945)年10月23日浜地区住民浜地区へ移動
・昭和20(1945)年11月5日 米軍上陸部隊引き揚げ
 戦時中における戦死者 陸軍123人、海軍25人、軍属徴用含む77人
・昭和21(1946)年2月25日 沖縄本島徴用従事した者 224名が帰島

参考文献

『粟国村誌』 粟国村村史編集委員 1984年
『字浜誌』 浜誌編集委員会 2008年

情報提供:粟国村民生課

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