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半田・戦災犠牲者追悼 平和祈念碑

基本情報

所在 雁宿公園
住所 愛知県半田市雁宿町3−204−1
(名古屋鉄道 知多半田駅 徒歩10分)
連絡先 半田市 建設部 都市計画課 0569−84−0665(直通)
建立者 半田・戦災犠牲者追悼 平和祈念碑建立実行委員会
建立年 平成7年7月24日

※H24.11発行「平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H24年度/情報提供元は、半田市 )

施設の写真

全体

表

説明文左

碑文

半田・戦災犠牲者追悼

平和祈念碑

説明文

【右】

平和を願って
 半世紀前、太平洋戦争がありました。
 その戦争のため、この半田でも、子
ども・老人・市民・労働者、地元をは
じめ、全国各地から軍需工場に動員さ
れていた学徒・女子挺身隊・徴用の人
びと四三二人以上の貴い生命が失われ
ました。
 とくに、当時、日本の植民地とされ
ていた朝鮮の北部から連行された、青
年四九人以上がこの中に含まれること
は、まことにいたましいことです。
 戦災は天災ではありません。わたし
たちは、半田における戦争の惨禍の記
録をここに刻み、アジア諸国をはじめ
とする、すべての戦災犠牲者を追悼し
ます。そして、この事実を後世に伝え
再び戦争を起こさせない決意をこめて
平和を祈念するものであります。
一九九五年七月二四日

半田・戦災犠牲者追悼   
      平和祈念碑建立実行委員会


【左】

半田の戦災

半田空襲
一九四五(昭和二十)年七月十五日
小型機数機が来襲、機銃掃射により、
市民八人が死亡。七月二四日午前十時
五八分、アメリカの爆撃機B−29 七八機
が中島飛行機と周辺住宅地を爆撃
従業員・市民の二六四人以上が死亡


【左側面】

空襲犠牲者
七月十五日の空襲 八人
 (故人名)

七月二四日の空襲
武豊町 他 一八人
 (故人名)
山方新田方面・本工場付近 三七人
 (故人名)
新居方面 二八人
 (故人名)
向山・平地方面 二三人
 (故人名)
平地寮(女子学徒・挺身隊)
挺身隊 一三人
 (故人名)
学徒 一四人
 (故人名)
七本木池・横川池方面 五九人
 (故人名)
朝鮮人徴用者(横川池付近) 四八人
 (故人名)
場所不明 二四人
 (故人名)
建立後の氏名判明分
 (故人名)

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