【右】
平和を願って
半世紀前、太平洋戦争がありました。
その戦争のため、この半田でも、子
ども・老人・市民・労働者、地元をは
じめ、全国各地から軍需工場に動員さ
れていた学徒・女子挺身隊・徴用の人
びと四三二人以上の貴い生命が失われ
ました。
とくに、当時、日本の植民地とされ
ていた朝鮮の北部から連行された、青
年四九人以上がこの中に含まれること
は、まことにいたましいことです。
戦災は天災ではありません。わたし
たちは、半田における戦争の惨禍の記
録をここに刻み、アジア諸国をはじめ
とする、すべての戦災犠牲者を追悼し
ます。そして、この事実を後世に伝え
再び戦争を起こさせない決意をこめて
平和を祈念するものであります。
一九九五年七月二四日
半田・戦災犠牲者追悼
平和祈念碑建立実行委員会
【左】
半田の戦災
半田空襲
一九四五(昭和二十)年七月十五日
小型機数機が来襲、機銃掃射により、
市民八人が死亡。七月二四日午前十時
五八分、アメリカの爆撃機B−29 七八機
が中島飛行機と周辺住宅地を爆撃
従業員・市民の二六四人以上が死亡
【左側面】
空襲犠牲者
七月十五日の空襲 八人
(故人名)
七月二四日の空襲
武豊町 他 一八人
(故人名)
山方新田方面・本工場付近 三七人
(故人名)
新居方面 二八人
(故人名)
向山・平地方面 二三人
(故人名)
平地寮(女子学徒・挺身隊)
挺身隊 一三人
(故人名)
学徒 一四人
(故人名)
七本木池・横川池方面 五九人
(故人名)
朝鮮人徴用者(横川池付近) 四八人
(故人名)
場所不明 二四人
(故人名)
建立後の氏名判明分
(故人名)