【正碑】
今治市
戰災の碑
【副碑】
碑文
今治市は 太平洋戦争末期 昭和二十年(一九四五)
米軍の大型爆撃機B29 により 三度にわたり空襲を
受け 市民をはじめ 県内外からの動員学徒など
愛媛県下で 最も多くの人たちが 犠牲となった
戦災・終戦から六十三年が経過し この歴史的
試練が風化しつつある今日 ここに今治市における
戦災の記録を残し 戦争の惨禍を後世に伝えると
ともに あわせて犠牲者を追悼し 永久の平和を
祈念するため 被災市街地のこの地に、戦災の碑
を建立する。
記
第一回空襲・・四月二六日.
死者六八名・重傷者三四名・
全壊家屋四一戸・半壊六三戸
第二回空襲・・五月八日.
死者二九名・重傷者四名・
全壊家屋四三戸・半壊九八戸
第三回空襲・・八月 五〜六日.
死者四五四名以上・重傷者一五〇名以上
八二一二戸全焼・三四二〇〇名以上罹災
平成二十年(二〇〇八)年三月
今治市戦災遺族会
今治市の戦災を記録する会