【正碑・表】
戦災慰霊碑
敦賀市長
高木孝一 書
【正碑・裏】
戰災犠牲者之霊
(故人名)
【副碑・表】
碑文
敦賀市は太平洋戦争末期の昭和二十年に三回にわたって米軍の空襲を受
けました。即ち七月十二日午後十一時十二分から翌日午前二時までの約
三時間B29爆撃機の焼夷弾によって四一一九戸が焼失 百数十人の犠牲
者が出ました 續いて七月三十日午前十時十五分頃艦載機P47六機が来
襲 機銃掃射や爆風により二十三人が犠牲となった 三回目は八月八日
午前九時頃B29一機が飛来し 東洋紡績敦賀工場に爆弾を投下 動員学
徒を含む三十三人の命を奪ったのであります。
この慰霊碑はこれら敦賀空襲を始めとし本市に縁故のある各地での戦災
犠牲者の御霊を弔祭し 永遠の平和と郷土発展を祈願して建立したもの
であります 又この地は被災の中心地域であり 本勝寺のご厚意もあっ
て御霊の安らかな眠りの場に選んだ次第です 尚建立に際し格別の御芳
志を賜わった方々に深甚なる敬意と感謝の意を表する次第であります
昭和五十六年七月十二日
敦賀戦災遺族会
会長
(個人名)
副会長
(個人名)
代表理事
(個人名)
【副碑・裏】
寄付者御芳名
(個人名)