戦災復興記念群像

基本情報

所在 西中洲公園
住所 福岡県福岡市中央区天神1−16(福岡市地下鉄 天神駅 徒歩3分)
連絡先 福岡市 中央区 地域管理部 維持管理課 公園係 092−718−1081(直通)
建立者 福岡市
建立年 昭和47年7月18日

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、福岡市 中央区 地域管理部 維持管理課 公園係)

施設の写真

写真1

写真2

写真3

碑文

【表】

昇る
生まれる
歩く

冨永朝堂 作

説明文

 福岡市は第二次世界大戦末期の昭和二十年六月十九日
午後十時三十分ごろから約二時間にわたり、米空軍B二九
爆撃機約六十機による焼い弾攻撃を受け、都心部のほとんどが
焦土と化した。その被災状況は、面積約四平方キロメートル、
人口約六万人、戸數約一万三千戸に及んだ。
 昭和二十年八月十五日、終戦を迎えて国は全国百十五
都市の戦災復興の急務に鑑み、復興の基本計画を策定
するとともに、特別都市計画法を制定した。本市もこれに
基づき昭和二十二年一月二十二日福岡都市計画復興土地
区画整理事業の認可を得て事業に着手した。事業は、
混乱した戦後の社会状況のなかで幾多の困難はあつたが、
関係者の協力を得て着手以来二十五年の歳月を経て、
昭和四十七年二月二十二日完了するに至つた。ここに事業
完成の業績を顕彰し、記念群像を建立する。

福岡市長 阿部源蔵


補 記

碑文に記されている福岡大空襲の規模については
昭和50年に明らかにされた米国防総省の機密文書
によれば、爆撃航空機B29の数は、221機と記録
されている。

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