【萬霊供養塔・表】
萬霊供養塔
【萬霊供養塔・裏】
夫れ生者必滅會者定離とは寔に大聖釋尊佛陀の金言なり其の別れゆくや恩愛の絆固き
も以て繋ぐに由なく恩慕の情密なるも以て留むるに道なし若し夫れ深夜万籟寂として
聲なき□□□の昭和二十年七月九日夜の大空襲に遭うて悲惨の横死を遂げ跡げ弔ふ人も
なく無縁佛になりて此の墓地に葬られし三百八十七人の人々を憶へば惻隠の情油然と
して湧くなるべく又天寿を全うし得ずして戦争の犠牲となり或は外地引楊途上にて鬼
藉に入りし人々のことを思ひ来らば慟天哭地の念禁る能はざるべしいまや終戦三年主
権在民の憲章成り平和國家の基礎定まれるも是等の尊き人柱のありて新國家は固く歩
を進め新憲法は強く輝を増すと云ふべきか茲に岐阜市佛教會發願して全市民各位の喜
捨に依り此の万霊供養塔を建立して永遠に之を追善回向し併せて今後有縁無縁の霊を
も願によりて納骨し菩提を□□たらしむもの也是れ洵に佛心大慈の下自他法界平等
利益の實を承くるもの乎 銘に曰く 岐山之下 釋尊末躬 回向發願
精進不空 藍川之流 應聲和尚 万靈巨塔 屹聳蒼穹 戦争犠牲 外地
忠雄 有無倶攝 普納斯中 廣大佛徳 内外玲瓏 存亡斎利 法界圓融
昭和二十三年七月九日開眼供養之日 岐阜市佛教會長等白龍謹んで撰じ併に書す
同會顧問瑞龍寺滴翠軒正面を書す
【戦災者慰霊墓地】
安心立命