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平和の塔建立の記
かの苛烈なる太平洋戦爭は昭和二十年八月十五日
我が日本の無条件降伏によって終熄し 大日本帝国
は二千有余年の歴史に一つの変化を産み昭和二十七年
四月二十八日サンフランシスコにおける平和条約によって新生
日本の出発を見るに至りました
いわば焼土の中に甦った 我が日本はまさに不死鳥
の再生のごとく羽ばたいていたのでありますしかして我々は
此の歴史の移り変りに対して正しい姿勢を持ち
子々孫々に至るまで平和を願ふ教訓とせねばならない
しかし乍ら戰後日本政府は軍人軍属に対して
の慶弔と遺族に対する慰藉の方途ば講じたが身に
寸鉄を帶びない国民の犠牲に対する措置としては今日
なを顧り見ることが忘れがちの中に於いてわれゝ
は数多い犠牲の上に今日の繁栄が築かれたのであることを
認識しこの犠牲に対する戰災の記録をかつての
空襲において最も多くの犠牲者を出した此の地に
塔を建立し戰災犠牲者名を列記して其の当時を
回顧しつヽ日本の遠々の平和と繁栄を祈念し永く
後世に此の意を伝えんことを希うものである