平和之塔

基本情報

所在 各務原 市民会館・文化ホール
住所 岐阜県各務原市蘇原中央町2−1−8
(名古屋鉄道 三柿野駅より 岐阜バス「各務原市民会館前」下車 すぐ)
連絡先 個人であり記載せず
建立者 各務原市戦災遺族会
建立年 昭和55年12月

※H24.11発行「平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より

施設の写真

全体

碑文

説明文左

碑文

平和之塔

武藤 嘉文書

説明文

【左】

各務野に 平和の塔や 春霞

京寿



【右】

平和の塔建立の記

 かの苛烈なる太平洋戦爭は昭和二十年八月十五日
我が日本の無条件降伏によって終熄し 大日本帝国
は二千有余年の歴史に一つの変化を産み昭和二十七年
四月二十八日サンフランシスコにおける平和条約によって新生
日本の出発を見るに至りました
いわば焼土の中に甦った 我が日本はまさに不死鳥
の再生のごとく羽ばたいていたのでありますしかして我々は
此の歴史の移り変りに対して正しい姿勢を持ち
子々孫々に至るまで平和を願ふ教訓とせねばならない
しかし乍ら戰後日本政府は軍人軍属に対して
の慶弔と遺族に対する慰藉の方途ば講じたが身に
寸鉄を帶びない国民の犠牲に対する措置としては今日
なを顧り見ることが忘れがちの中に於いてわれゝ
は数多い犠牲の上に今日の繁栄が築かれたのであることを
認識しこの犠牲に対する戰災の記録をかつての
空襲において最も多くの犠牲者を出した此の地に
塔を建立し戰災犠牲者名を列記して其の当時を
回顧しつヽ日本の遠々の平和と繁栄を祈念し永く
後世に此の意を伝えんことを希うものである

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