鎮魂碑

基本情報

所在 共楽公園山頂
住所 京都府舞鶴市余部上
(JR東舞鶴駅より 東西循環バス「中舞鶴」下車 徒歩2分)
連絡先 都合により記載せず
建立者 旧舞鶴海軍工廠殉職者鎮魂碑建立の会
建立年 昭和53年3月

※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度)

施設の写真

鎮魂碑

碑文(表)

碑文(裏)

碑文

【表】

鎮魂碑
舞鶴市長 立道團造書




【裏】

施工者
(業者名)

説明文

碑の由来

明治三十四年舞鶴海軍工廠開廠以来の
殉職者の御霊を祀った招魂碑が、共楽
公園山上に建立されたのは大正八年の
ことであり爾来春秋の彼岸には盛大な
招魂祭が営まれていた。 しかしなが
ら、太平洋戦争も熾烈となるに及んで
青銅製の碑は供出され、台座のみが
往時をしのばせるにいたった。
戦争末期、舞鶴軍港もしばしば空襲を
受けた。 中でも昭和二十年七月二十
九日、工廠に投下されたただ一発の爆弾
は、約百名の生命を一瞬のうちに奪い
去った。 その中には紅顔の動員学徒
男女十九名も含まれていた。
憶うだに痛恨の極みである。
被爆の真相がようやく明らかになるに
及び有志相はかり初の空襲殉職者合同
慰霊祭を雲門寺において営んだのは昭和
五十二年七月二十九日のこと、その日
期せずして鎮魂碑建立の願いが燃え
上った。
かくして、かつての招魂碑復元の願い
と空襲犠牲者ならびに工廠より内外に
派遣され武運つたなく戦没された英霊
の碑建立の願いと、これらを打って一丸
とした殉職者鎮魂碑を、場所も旧工廠
を俯瞰するゆかりの地に礎も固く建立
することとした。
この旧舞鶴海軍工廠殉職者鎮魂碑には
ご遺族や近親者、旧工廠関係者ならびに
地元市民の平和への悲願がこめられ
ている。
在天の御霊よ、どうか安らかにお眠り
ください。

昭和五十三年三月
旧舞鶴海軍工廠殉職者
鎮魂碑建立の会

西山鶴洞謹書

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