所在 | 神柱公園内 忠霊塔広場 |
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住所 | 宮崎県都城市小松原町1146−16(JR都城駅 徒歩10分) |
連絡先 | 都城空襲犠牲者遺族会 0986−38−2500 |
建立者 | 都城空襲犠牲者遺族会 |
建立年 | 平成11年8月5日 |
※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、都城空襲犠牲者遺族会)
※写真提供 都城市
【表】
都城空襲犠牲者
追悼碑
【裏】
(故人名)
碑文
第二次世界大戦の末期、米軍は沖縄本島へ
の上陸に先立ち、南九州全域の軍事施設を攻
撃した。都城は昭和二十年三月十八日早朝初
めて空爆され、以降終戦まで二十回余の無差
別爆撃によって、街は廃墟と化し多くの尊い
人命が奪われた。街は戦後いち早く復興した
が、空襲犠牲者については半世紀余も放置さ
れてきた。戦後五十年の行事を通し「空襲犠
牲者の掌握なしに、都城の戦後は終わらない」
と、調査がはじまった。治安維持法犠牲者国
家賠償要求同盟県南支部と都城市の積極的な
とりくみによって、四十四名の子供をふくむ
八十八名の犠牲者が判明した。
ここに、心から犠牲者を悼むとともに、恒
久平和を誓い、追悼碑を建立する。
平成十一年八月五日
都城空襲犠牲者遺族会