浦上天主堂遺壁

基本情報

所在 平和公園内 祈りのゾーン
住所 長崎県長崎市松山町5
(JR長崎駅より 長崎電気軌道「松山町」停留場 徒歩5分)
連絡先 長崎市 建設局 都市計画部 みどりの課 095−829−1171(直通)
建立者 長崎市
建立年 昭和33年

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、長崎市 建設局 都市計画部 みどりの課)

施設の写真

写真1

写真2

説明文

浦上天主堂遺壁

 爆心地から北東へ約500mの小高い丘にあった浦上天主堂は、
1895年(明治28年)から建築に着手し、信徒たちの献金と
労働奉仕により、1914年(大正3年)に献堂式を挙げるに
いたった。そして、1925年(大正14年)に正面の双塔が
完成し、大小の鐘が吊された。
 東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945年(昭和20
年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により破壊され、
わずかにまわりの壁を残すのみとなった。この側壁は聖堂の南側の
一部で、1958年(昭和33年)に新しい天主堂建設のためこの
地に移築されたものであり、壁上の石像はザベリオと使徒である。
しかし、風雨にさらされて傷みが進んだため、安全性を考慮して
現在の形状のまま内部及び表面の補強を行った。
 長崎市は原爆で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度と
このような惨禍が繰り返されないことを願って、この銘板を設置
する。

2001年(平成13年)3月  長崎市(原爆資料館)

ページトップへ戻る