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長岡市戦災殉難者慰霊塔

基本情報

所在 平潟公園
住所 新潟県長岡市表町1−6−1
(JR長岡駅 徒歩10分)
連絡先 平潟神社 0258−32−1032
建立者 遺族及び市民有志
建立年 昭和33年8月1日

※H24.11発行「平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H24年度/情報提供元は、平潟神社 )

施設の写真

慰霊塔

説明文

ヨリ

碑文

【表】


長岡市戦災殉難者

慰霊塔


【左側面】

建設趣意
 昭和二十年当時の長岡市は戸数一万
三千 人口六万七千余でありました
それが八月一日の戦災で わずか二
時間ばかりのうちに 八割二分に当る
家屋を焼失し 市長の殉職をはじめ千
三百余の市民がその犠牲となったので
あります
 それから十三年 その惨状は昨日のこ
とのように 今なお市民の記憶から離
れないのであります
 この塔はその殉難の霊を慰めるとと
もに このような不幸を再び繰り返さ
ないよう願いをこめて 一般からの寄
付金及び県と市の補助金によって こ
れを建設したものであります
昭和三十三年八月一日
長岡市戦災
殉難者慰霊塔 建設委員会


【右側面】

この塔は 昭和三十三年平潟神社境内地に
建設され 長岡市戦災殉難者遺族会により管
理されてきた
 その後 歳月の経過とともに老朽化が進ん
だため 戦災五十周年を機に市民の浄財も得
て長岡市が現在地に移転修復したものである
平成七年八月一日
長岡市

解説文

長岡市戦災犠牲者慰霊塔

昭和二十年(一九四五)八月一日の夜、
長岡市は空襲を受けた。
 大量の焼夷弾が投下され、旧市街地
の約八割が焼失、千四百余名の尊い命
が奪われた。なかでも平潟神社境内で
は多数の人びとが犠牲となった。
 その惨状は市民の胸奥から消えず、
有志たちが発起して 昭和三十三年、
平潟神社境内地に慰霊塔を建立した。
 その後、歳月の経過とともに老朽化
が進んだため、戦災五十周年にあたる
平成七年 市民の浄財も得て長岡市が
ここに移転修復した。
 塔内には鎮魂と平和の願いをこめ、
犠牲者の名簿が収められている
長岡市教育委員会

The Memorial Tower for Victims
of the War Disaster on August 1,1945

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