【表】
戦災の碑
昭和55年6月29日建立
【裏】
太平洋戦争末期の 昭和二十年六月二十九日午前二時
四十分頃から約二時間にわたり岡山市はアメリカ空軍
のB29約七十機の焼夷弾攻撃による大空襲を受けまし
た その被害は当時の市街地の七十三パーセントにあ
たる約七、六平方キロメートル(二百三十万坪)が廃墟とな
り 死者千七百三十七人 負傷者六千二十六人に達し
ました また罹災者は十万四千六百六人(二万五千二百
三戸)に及び全国八十三罹災都市中第八位にランクされ
る深刻さでした あれから三十五周年 この間市民
の方々の復興に対するたゆみない熱意と努力によって
当時想像もなし得なかった全国有数の近代都市として
発展をつづけております
時は流れ世代の交代にともなって戦禍の記憶と認識は
うすれつつあります 戦災三十五周年にあたり再び
あの戦争の悲劇を繰り返さないよう 世界恒久の平和
と 岡山市の永遠の発展と 市民の幸福の願いをこめ
ここに戦災の碑を建立しました
昭和五十五年六月二十九日
岡山市長 岡崎平夫