白梅之塔

基本情報

所在 南禅廣寺に隣接
住所 沖縄県糸満市字真栄里1837−1
(糸満バスターミナルより 琉球バス交通「国吉」下車 徒歩13分)
連絡先 白梅同窓会 個人宅のため記載せず
建立者 白梅同窓会
建立年 昭和22年1月(平成4年改修)

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度)

施設の写真

写真1

写真2

碑文

【表】

白梅之塔


【裏】

散りてなほ 香りい憂し 白梅(うめ)の花
元教諭 金城宏吉
昭和二十二年一月建立

説明文

白梅之塔

 沖縄県立第二高等女学校の四年生五十六名で編成された白梅学徒
看護隊は、昭和二十年三月六日第二十四師団(山部隊)の衛生看護
教育隊に入隊し、補助看護婦として特別集中教育を受けていた。
米軍の艦砲射撃が激しくなった同月二十四日から、東風平町富盛
の八重瀬岳にあった同師団の第一野戦病院に軍属として配置され、
昼夜別なく傷病兵の看護に専念した。
 戦況は日毎に悪化し、同年六月四日遂に白梅隊に解散命令が下り、
隊員は散り散りになって戦野を彷徨し、一人またひとりと戦火に斃
れていった。その場所は殆ど不明である。
また、解散後この地に後退した山第一野戦病院に、再び合流した
一部の白梅隊員は、同年六月二十一、二十二の両日に亘り、米軍の
猛攻撃を受け無念の最期を遂げた。この辺一帯は、白梅隊員の最も
多くの犠牲者が出た所である。
 塔は、戦没した白梅隊員及び沖縄戦で戦死、或いは戦争が原因で
亡くなった教職員・同窓生百四十九柱の鎮魂と、世界の恒久平和を
祈念して昭和二十二年一月に建立した。
 毎年六月二十三日の「慰霊の日」に例祭が行われる。

平成十年 六月二十三日
沖縄県立第二高等女学校 白梅同窓会

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