南橙慰霊之塔

基本情報

所在 沖縄県立名護高等学校
住所 沖縄県名護市大西5−17−1
(名護バスターミナルより 琉球バス交通「名護高校前」下車 徒歩すぐ)
連絡先 沖縄県立名護高等学校 0980−52−2615
建立者 南燈同窓会
建立年 昭和31年1月21日(平成13年3月31日移築)

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、沖縄県立名護高等学校)

施設の写真

写真1

写真2

碑文

【表】

南燈慰霊之塔

説明文

南燈慰霊之塔

 南燈慰霊之塔は、一九五六年「三
中健児之塔」として兼久公園に建立
された。一九七二年沖縄県立第三高
等女学校戦没者を合祀、一九八九年
「南燈慰霊之塔」と改名、二〇〇一
年にこの地に移転した。
 この塔には、一九三一年に勃発し
た満州事変から一九四五年に終結し
た太平洋戦争までに戦没された沖縄
県立第三中学校の卒業生・在校生三
三九柱、県立第三高等女学校の卒業
生・在校生三六柱、計三七五柱の御
霊が合祀されている。
 県立第三中学校の卒業生・在校生
は、一九四五年三月、軍命により、
防衛隊員・鉄血勤皇隊員及び通信隊
員として動員され、真部山、八重岳、
名護岳、多野岳等で戦ったが、米軍
の圧倒的な物量の前に壮烈な最期を
遂げていった。

 また、県立第三高等女学校の卒業
生・在校生も、軍命により女子挺身
隊員(軍需工場)・従軍看護婦とし
て動員され、若い命を散らしていっ
た。
 戦没者の御霊を慰めるとともに、
悲惨な戦争を二度と起こさないよう、
「恒久平和の誓い」としてこの塔を
建立する。

二〇〇一年(平成十三年)三月三一日

沖縄県立第三中学校同窓生及び遺族一同
沖縄県立第三高等女学校同窓生及び遺族一同
沖縄県立名護高等学校同窓生一同

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