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恒久平和モニュメント「なぐやけ」

基本情報

所在 若狭海浜公園
住所 沖縄県那覇市若狭1−26
(沖縄都市モノレール 旭橋駅または県庁前駅 徒歩15分)
連絡先 那覇市 健康福祉部 福祉政策課 098−862−9002(直通)
建立者 那覇市
建立年 平成7年

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、那覇市 健康福祉部 福祉政策課)

施設の写真

写真1

写真2

写真3

碑文

【裏】

生きぬき 築き上げた都市
那覇――その戦後は
米軍のバリケードで囲まれた
焼野が原から出発した
はじめに
一〇三人の市民が生きぬいてもどった
なつかしい壺屋のまちに
多くのいのちを失い
ふるさと那覇も消滅し
悲しみは深かったが
打ちふるう復興の鍬には力があふれ
みんなまなこを
しっかり前へ向け
踏み出した
生活と都市再建の一歩を

それから
心のいしじを固く敷きつめ
平和通りをつくり
国際通りを開け
もう二度と失うことのない
那覇を築いてきた
ここにくるまで五十年
一〇三人は三十一万へとかわった
那覇――それは戦争をしない都市
那覇――それは市民の愛が守るまち
那覇――それは市民が主人公の都市
那覇――それは世界の都市を友とするまち

私たちは いま、ここに
市民の誇りと勇気により蘇った
都市・那覇を世界に宣言する
一九九五年・沖縄戦終結五十年記念宣言

那覇市

説明文

恒久平和のモニュメント
なぐやけ

 沖縄戦は、一九三一年の柳条湖事件に
はじまった日中戦争以来、一五年に及んだ
戦争の最後の激戦であり、日本で唯一住民を
巻き込んだ地上戦でありました。
 一九四四年十月十日の空襲によって、
那覇市は灰燼に帰し翌年四月の米軍上陸から
三ヶ月余に及んだ沖縄戦は熾烈を極めました。
 その結果、那覇市民の戦没者は二万八千人
余に及び、沖縄全体では二十三万人余の尊い
人命が失われました。
 わたくしたち那覇市民は、戦争の惨禍を
決して忘れることなく、愚かな戦争を再び
繰り返してはならないと深く決意するもので
あります。
 那覇市では戦後五十年の節目にあたり、
那覇市連合遺族会の提案に基づき、戦没者の
恒久平和への強い決意をアジアや世界の人々
に伝えるため、那覇市平和宣言を行い、
ここに恒久平和のモニュメント「なぐやけ」
を建立いたしました。
「なぐやけ」は「穏やか」「和やか」
という沖縄の古語で、いつまでも平和で
ありますようにとの祈りが込められています。

那覇市

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