ムッちゃん平和像

基本情報

所在 平和市民公園内 ワンパク広場
住所 大分県大分市大字牧七歩22(JR牧駅 徒歩7分)
連絡先 大分市 総務課 097−537−5602(直通)
建立者 平和を願う多くの人々
建立年 昭和58年8月12日

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、大分市 総務課)

施設の写真

写真1

写真2

写真3

碑文

【裏】

戦争に父をとられ
横浜空襲で母、弟にはぐれ
大分に疎開して胸を病み
防空壕に一人暮らして
飢え 渇き 逝った
少女 ムッちゃん
霊よ 安かれ
全国の祈りの寄金で建立

毎日新聞社

可憐な少女が
父母の愛をうけることなく
防空壕の中で逝った
ムッちゃんの像に
私達市民は
平和を愛し 子供達が
健やかに育つ大分
平和よ永遠なれと此の地に誓う

大分市長 佐藤益美
昭和五十八年八月十二日

戦禍繰り返さずと
一粒の善意に相集いしもの
四海に及び 此処に万筆開く
その誠意に応え平和の願いを込め
謹しみて造像す

制作者  村上炳人
昭和五十八年八月十二日

説明文

 この「ムッちゃん平和像」は、昭和五十二年に毎日新聞社大阪本社が企画した
戦争体験記(終戦三十三回忌の夏)に、京都府宇治市の主婦中尾町子さんが疎
開先の大分市で出会った少女「ムッちゃん」の思い出の手記を投稿し、それが
記事として掲載されたことが建立のきっかけとなりました。
 横浜で両親と弟を戦災で亡くし、大分のおばさんを頼って疎開していたムッ
ちゃん(当時十二歳)は、結核を患い飢えと孤独の苦しみの中、昭和二十年の
終戦直後、西大分駅近くの防空壕の中でひとり寂しく死んでいったという。
 この戦争悲話は、全国的な反響を呼ぶこととなり、ムッちゃんの記念像建立
にと各地から約六百五十万円の寄付金が寄せられ、その平和を願う多くの浄財
により、昭和五十八年八月十二日、ここ平和市民公園ワンパク広場に「ムッちゃ
ん平和像」(村上炳人)が建立除幕されました。
 二度と戦争による悲惨な惨禍を繰り返さないためにも、この平和像建立を機
に平和への誓いを新たにするとともに、平和像が恒久平和のシンボルとして皆
様に愛され、そして平和の輪がさらに広がることを願っております。

大分市

ページトップへ戻る