大分市 平和の礎

基本情報

所在 霜凝神社
住所 大分県大分市大字下郡北2−8−11(JR牧駅 徒歩20分)
連絡先 不明
建立者 野崎直
建立年 平成7年12月

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度)

施設の写真

写真1

写真2

写真3

碑文

【表】

平和の礎


【裏】

この碑は大分市北下郡四組 野崎直氏(七十八才)
によって建立されたものである
平成七年十二月吉日建之


【台座表】

碑 文

 わが国は 昭和六年満州事変に始まり日支事変 そして
昭和十六年十二月八日には太平洋戦争へと突入した 戦争
は次第に激化し下郡地区からも百五十余名の若者が当霜凝
神社から 皆に送られて戦場へと赴いた
 当時下郡は戸数僅か二百五十余戸 その中から五十余名
の若者が 祖国の安泰と郷土の繁栄を念じつつ貴い命を捧
げ帰らぬ人となった また米軍機の本土空襲によって下郡
地区にも爆弾・焼夷弾が投下され 無残にも直撃弾を受け
爆死した方も出る等多くの被害を受けた 誠に痛恨の極み
である
 昭和二十年八月終戦を迎えたが 戦後五十年を経過した
今日 戦争を知らない世代の増加と 経済発展のもたらす
豊かな生活は この悲惨な戦争体験を忘却させようとして
いる
 我々が今日享受する自由で平和な日々は これら戦没者
の貴い犠牲によることを決して忘れてはならない
 この平和の礎となられた方々を後世に伝えることは 残
された者の責務と考える
 戦後五十年の節目に当り犠牲者の遺徳を偲び 恒久の平
和を希求する証しとして 犠牲者の名前を刻した記念碑を
霜凝神社境内に建立することとした
 願わくは この「平和の礎」が永遠の平和と繁栄に役立
つことを念願する次第である

【台座左側面】

北下郡戦没者
(故人名)


【台座裏面】

建設委員

北下郡町内会長 (個人名)

南下郡町内会長 (個人名)

下郡郡 宮総代 (個人名)

南下郡 宮総代 (個人名)

北下郡遺族会

世話人  (個人名)

南下郡遺族会

世話人  (個人名)

霜凝神社

宮司   (個人名)

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