| 所在 | 内代公園 | 
|---|---|
| 住所 | 大阪府大阪市都島区内代町3 (京阪電車 関目駅 徒歩16分) | 
| 連絡先 | 都合により記載せず | 
| 建立者 | 内代町世話人一同 | 
| 建立年 | 昭和53年6月 | 
※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度)



【表】
祈平和
【裏】
昭和二十年大東亜戦爭も日にゝ戦局不利となり再三にわたり本土
上空に
からの大空襲に一瞬にして火の海となり降りそヽぐ焼夷弾、機銃掃射
によって老若男女、幼児に至る六十有余名が悲惨な犠牲となられ
ました。全部この地で荼毘に付され遺骨は雲觀寺、一心寺へと納め
られましたが無縁の遺骨は散りゝに埋没、一時供養塔を建立供養
を営みましたが公園整備で取り除かれ、その後四十九年二月靈の願い
に依り町内世話人相はかり同年六月供養塔を建て年ことの法要を
営み五十二年六月五日三十三回忌も無事回向、供養塔に變り世界
の平和を祈り茲に碑を建立する
昭和五十三年六月吉日内代町世話人一同
聖護院門跡光徹九十六書