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大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」

基本情報

所在 ピースおおさか(大阪国際平和センター)
住所 大阪府大阪市中央区大阪城2-1
(JR森ノ宮駅 徒歩7分、市営地下鉄 森ノ宮駅 徒歩4分)
連絡先 06-6947-7208
建立者 ピースおおさか(大阪国際平和センター)
建立年 平成17年

※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度/情報提供元は、ピースおおさか)

施設の写真

大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」

全体(正面アップ)

説明文

説明文

「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」(「◎刻の庭」)について


 第二次世界大戦末期の大阪空襲により、大阪府では死者1万2620人、行方不明者
2173人の被害があったといわれている。〔1945(昭和20)年10月大阪府警察局調べ〕
 戦後、遺族を中心とした市民団体や一部の自治体では、大阪空襲死没者の氏名等
の収集が行われたが、府内全域をとりまとめた名簿はなかった。
戦後54年にあたる1999(平成11)年には、「大阪戦災障害者・遺族の会」が調査し
た約6000名分の名簿が(財)大阪国際平和センター(ピースおおさか)に寄託された。
 当センターでは、この名簿などを基に、大阪府の委託を受け2002(平成14)年10月
から、大阪空襲による死没者の本格的な調査を全国的に行った。
現在9010名(*)の氏名等が判明し、「大阪空襲死没者名簿」を展示している。
 これを機会に、この名簿を収納するとともに、大阪空襲で亡くなられた方々を追悼し
恒久平和を祈念する「場」の設置を望む声が多方面から寄せられた。
 このため、当センターは、「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」の整備
事業に執りかかることを決定し、多くの人々の参画を求めるため、広く募金を呼びかけた。
 この結果、府民・市民の皆様をはじめご遺族や各種団体から、多くの貴重な浄財が
寄せられ、また、各方面の方々のご協力・ご支援により、戦後60年にあたる2005(平成
17)年8月に完成をみた。
 この「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」には、大阪空襲で亡くなられた方々
の「名簿」を収納し、その氏名を刻印した銘板がドーム(高さ3.3m×幅3.1m×奥行き3.1m)
の中心に置かれている。この「モニュメント」は、過去の悲惨な戦争から、現在、未来へ
向けた新たな恒久平和の取り組みを一つの線上のものとして表現するため、古代から
伝わる砂という自然な素材をそのまま活かしながら、ガラスと鉄という近代の素材をそれ
に融合させ制作された。銘板に刻まれたウミガメは「平和のメッセンジャー」を意味し、
母子像は「生命の尊さ」を意味する。正面の砂のブロックには戦火によって溶け、変形
した鉄製の工具が埋めこまれている。「かつて起こったこと」を時間を超え証明している。
またこのスペースには「メインオブジェ」と8つの「音の出るオブジェ」が配置されている。
 「メインオブジェ」は、平和を象徴する鳥(当センターのキャラクター)であり、この場全体
を静かに見守っている。「音の出るオブジェ」は、8回あった大空襲と同じ数を配置して
おり、吊るされた個々形の異なる鐘を訪れた人々が鳴らし、様々な音色を奏で、その場
に参加し、そこにかかわることによって、平和への感覚を目覚ますために配置された。
また休息の場として、焼物のテーブルや椅子、水瓶、植物などを配置しているが、これら
もひとつひとつが異なった形状、色をしており「生命の多様性」さらにはその「共存性」
を表している。これらは、当センターを訪れた人々の安らぎの場となるとともに、大阪
空襲による多数の犠牲者へ哀悼の誠を捧げ、恒久平和への新たな取り組みが広く発信
される場となるよう、特に次世代を担う子どもたちへ、戦争の悲惨さと平和の尊さについ
て語り継ぐための強いメッセージとなるよう、願いを込めてトータルデザインされている。
 全体の企画・デザインは当センターのシンボルマーク等を制作された粟津潔氏
(環境デザイナー)によるもので、「植木鉢、オブジェ」等については、(財)黒田緑化事業団
から寄贈されたものである。
 なお、この「場」が子どもからお年寄りまですべての人々に愛され、いつまでも親しま
れるよう「愛称」を広く募集し、「◎刻の庭」と名づけられた。

2010(平成22)年8月 (財)大阪国際平和センター(ピースおおさか)
* 平成23年8月14日の時点で9,033名

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