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戦災無縁地蔵尊 : 一般戦災ホームページ

基本情報

所在 大阪府中小企業信用保証協会 南側
住所 大阪府堺市堺区住吉橋1-3-15
(南海電鉄 堺駅 徒歩9分)
連絡先 堺戦災無縁地蔵尊保存会
建立者 有志一同
建立年 昭和29年11月

※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度/情報提供元は、堺戦災無縁地蔵尊保存会)

施設の写真

戦災無縁地蔵尊

全体(正面)

碑銘

碑文

【表】

戰災無縁地蔵尊




【裏】

笠岡市
豊前重一浄信
謹刻




【側面】


于貶昭和廿年七月九日敵機の来襲により瞬
時に阿鼻叫喚の巷を現出当所に命終の無慮
八百を算すとこヽに遠近親疎の喜捨せる浄
財もて謹んで地藏尊一躯を敬造す願ふとこ
ろは如上の諸霊の菩提に資しもって久遠の
平和を銘じ并せて有縁無縁三界万霊十方至
聖同く覚路に登らんことを云爾(略字)

昭和二十九年十一月吉日
建立者 有志一同

説明文

堺戦災遺跡 戦争の傷跡
(戦災無縁地蔵尊)


 1945年(昭和20年)、日本は戦争の敗色が濃くなり、全国
の主要都市の空襲はいよいよ激しくなりました。堺市も、
3月13日、6月15日、26日、7月10日、8月10日の5次のわ
たって空襲をうけて廃墟となりました。なかでも7月10日
未明の第4次空襲は、当時の市街地の大半が焼失し、3千
人にのぼる人々が死傷するという大きな被害があったた
め、堺大空襲と呼ばれています。
 その時の被災地のなかでも、このあたり一帯は最も凄
惨を極めた地域で、焼夷弾による炎と軍需工場から吹き
上がる黒煙に包まれ、逃げ場を失った多くの人たちが悲
惨な最期を遂げました。

 戦後まもなく、地元の有志の方々により被災者の供養
がなされ、さらに1945(昭和29)年には、保存会により地
蔵が建立されました。
 堺市では、二度と戦争を繰り返さないことを祈念して、
ここに銘板を設置するものです。

1998(平成10)年 堺市

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