てしまの塔

基本情報

所在 豊島公園
住所 大阪府豊中市曽根南町1
(阪急電鉄 曽根駅 徒歩7分)
連絡先 豊中市 健康福祉部 地域福祉室 06-6858-2220(直通)
建立者 豊中市
建立年 昭和43年3月20日

※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度/情報提供元は、豊中市)

施設の写真

てしまの塔

碑文

碑文(アップ)

碑文

てしまの塔

 われわれは 祖国のために 尊い
生命をささげた 戦没者ならびに戦災
死者の霊を慰め かつ そのめいふ
くを祈るため ここに市民の儀表と
して てしまの塔 を建立し 諸霊
の遺徳をたたえ あわせて人類恒久
の平和を祈る
昭和43年3月20日

豊 中 市
題字 大阪府知事 左藤義詮

説明文

てしまの塔

 この「てしまの塔」は、戦争による犠牲者を
偲び、そのご冥福を祈ると共に、人類の恒久
平和を願って、昭和四十三年(一九六八年)
三月二十日に建立したものである。
 過去の戦争では多くの人びとが、尊い命を
失われました。特に第二次世界大戦では戦地
に赴き亡くなられた人、空爆により亡くなら
れた人など、全国で三百万人を超える人びと
が亡くなられました。
 豊中市は、地球上からすべての争いが無くな
り、全世界の人びとが安心して暮らせる社会
の実現を願っております。この「てしまの塔」
の願いが一日も早く実現することを望んでや
みません。


豊 中 市





「てしまの塔」の名称について


 明治維新当時、廃藩置県後村々の行政機構が改革され数次にわたる行政区画の編成替えなどが行われ、明治22年(1989年)4月、地方自治制が開かれ摂津国豊島郡とよばれ、このとき豊島郡の中央に位置するところから豊中の地名が生れたといわれます。
 またこの豊島(てしま)の名は遠く和銅5年(712年)大安万呂が撰上した古事記中巻からすでに文献にみられております。
 このように豊中にとっては最もゆかりの深い「てしま」は現在もなお市域内に残り、この塔の建立される地も、豊島、中豊島として親しまれております。

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