平和之碑

基本情報

所在 那賀川町中島 那賀川鉄橋手前(阿波中島駅側)
住所 徳島県阿南市那賀川町中島
(JR阿波中島駅 徒歩10分)
連絡先 個人であり記載せず
建立者 那賀郡那賀川町婦人会
建立年 平成17年12月

※H24.11発行「平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より

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碑文

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碑文

平和之碑
 太平洋戦争末期、奪回された南の島々を拠点に本土への
空襲が熾烈となり、都市という都市はB29 の空襲で焼野原
と化し、県都徳島市も一夜にして壊滅状態となる。田園の
長閑なわが町にも惨禍の爪痕が刻まれた。
 昭和二十年七月三十日午後四時頃、満員の乗客をのせた
五輌編成の牟岐行の列車が中島駅を発車、那賀川鉄橋にさ
しかかった時、突然甲高い爆音とともに艦載機グラマン二
機が飛来、列車めがけて投爆と機銃掃射を浴びせた。
 列車の天井も座席も吹き飛び車軸は大きく傾き鉄橋の上
で立往生、その動かぬ標的に容赦なく機銃掃射をくり返す
鉄橋の線路つたいに逃げまどう者、たまらず川にいくつも
の悲鳴が落ちていく。車内は一面肉片が散乱し血の海と化
す。三十余名が死亡二十余名の重軽傷者を出す。
 直ちに警防団、婦人会、町内会の人々による必死の救援
が始まり死者は横井製材の土場に安置、重傷者はトラック
で共栄病院へ、軽症者は益崎医院へと迅速果敢に活動、
その夜西光寺で営まれた仮通夜で冥福を祈る。
 時は流れ三十三年後、法要が盛大に行われた参列者の体験
見聞記の小冊子「憶、七月三十日」が作られた。平成十年
県婦人会の戦争を語り継ぐ会で「那賀川鉄橋列車爆撃」と
題して紙芝居を発表、以来毎年夏には小中学生や一般の方
にも語り続けられている。
 戦乱に明け暮れた日々を必死に生き抜いてきた女性故に
真剣に平和を願うものである。
 戦争の愚かさと残酷さ、悲惨さをくりかえさないよう平
和の尊さ、命の大切さを次の世代に語り継ぐため戦後六十
周年を記念し、石碑に刻みここに平和の碑を建立する。
    平成十七年十二月吉日
事業概要
那賀川鉄橋列車爆撃   一九四五  七月三十日
          死者三十余名 負傷者二十余名
三十三回忌法要      一九七八 七月三十日
          小冊子「憶!七月三十日」中島老人会作
県戦争を語り継ぐ会     一九九八 那賀川町婦人会
         紙芝居制作発表「那賀川鉄道列車爆撃」
石碑建立           二〇〇五 六十周年記念事業
                 那賀郡那賀川町婦人会

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