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いのはな慰霊碑、戦災死者供養塔

基本情報

所在 湯の花トンネル付近
住所 東京都八王子市裏高尾町800 付近(JR高尾駅より京王バス バス停「蛇滝口」下車 徒歩2分)
連絡先 いのはなの集い事務局 042-664-8615
建立者 いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会
建立年 昭和61年7月28日

※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月/情報提供元は、いのはなの集い事務局)

施設の写真

いのはな慰霊碑、戦災死者供養塔

碑文(いのはな慰霊碑)

説明文

碑文

【表】

慰霊の碑

終戦間近の昭和二十年(一九四五)八月五日 真夏の太陽が照りつける午後十二時二十分
頃 満員の新宿発長野行き四一九列車が いのはなトンネル東側入口に差しかかったとき
米軍戦闘機P51二機または三機の銃撃を受け 五十二名以上の方々が死没し 百三十三名
の方々が重軽傷を負いました この空襲は日本最大の列車銃撃といわれています
私どもは この戦争の惨禍を決して忘れることができません
ここに 確認された犠牲者のお名前を書きとどめ ご遺族とともに心からご冥福をお祈り
申し上げ 現在の平和の日々をかみしめ 戦争を知らない世代へこのことを語り伝えます

平成四年八月五日 いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

【裏】

 戦災死者供養塔は 昭和二十五年八月 当時の上長房(現:裏高尾町、西朝川町)青年団が 亡くなった方々を供養するため 団員協力のもとに建立したものです
 供養塔には 亡くなった方々を荼毘に付した日影沢の石が用いられました
 地元に住む人々は 尊い犠牲者のお名前も人数も知ることなく 供養塔の前に手を合わせご冥福をお祈りしていました
 昭和五十六年から八王子市教育委員会が八王子の空襲の調査を行い その後あらゆる手だてを尽くした結果 この事件の犠牲者は六十名以上と推定いたしました
 そのうち 四十名のお名前と遺族が判った昭和五十九年 遺族関係者、地元の有志により七月二十一日に「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が発足いたしました
 会では この年の八月五日を「供養の日」に定め 毎年供養の集いを行い現在に至っています
 供養塔は はじめ唐沢踏切の北側にありましたが 地主のご好意で南側の土地を無償で提供していただき 昭和六十一年七月二十八日現在地に安置されました
 かねてから 会では蓄積した浄財で亡くなった方々のお名前を刻んだ慰霊の碑の建立を計画していたところ 平成四年三月 東京八王子南ロータリークラブからも協力の申し出があり ここに念願でありました慰霊の碑が完成いたしました

平成四年六月十日 いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

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