平安地蔵尊

基本情報

所在 マンション シティライブ常盤台と三田南常盤台コーポの間
住所 東京都板橋区南常盤台2−11(東武鉄道 ときわ台駅 徒歩4分)
建立者 地元有志
建立年 昭和23年6月10日
連絡先 個人であり掲載せず

※H26.11発行「平成26年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式 追補版」より
(調査時期H26.6〜11月末)

施設の写真

碑文

【地蔵・台座 裏】


奉賛會


(個人名)


昭和二十三年六月十日建之

由来

【石碑・表】


平安地蔵尊由来

 この地は、大東亜戰争末期の昭
和二十年六月十日午前八時半頃、
米爆撃機参拾数機の編隊により數
百発の爆彈を投下され一瞬にして
修羅の巷と化し死者貮百八拾余名
を出せり
 ここに戰災死没者永遠の冥福を
祈るため地元有志發起人となり
昭和二十三年六月十日平安地蔵尊
を建立する

平らけく 安ら希く
  世越は 護り座す
 地蔵菩薩の
       誓ひうれしき

伊藤康安撰 長谷川耕南拜書

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【石碑・裏】


戰災死没者


(故人名)

【説明板】


平安地蔵

 昭和二十年(一九四五)六月十日、午前七時五十
五分より約二時間にわたり、この付近一帯はB29
による空襲をうけました。『帝都防空本部情報』
の記録によると、死者二六九名、重傷者八六名、
建物の全壊二六〇戸、投下爆弾(二五〇キログラ
ム級)一一六個、罹災者二、四六七人羅災世帯
四九八世帯とあります。区内では最大の死者を出
した空襲といわれ、実際にはこの数字より多い被
害があったようです。
 戦後、亡くなった人々の供養と再びこの悲劇を
繰り返すまいという誓いのもとに昭和二十三年六月
十日、地元有志の人々が浄財を集め、おとな、子
どもを表す大小の地蔵を造立、平安地蔵と命名し
ました。太平洋戦争を語る区内では数少ない史跡
の一つです。
平成七年度、板橋区の記念物に登録されました。

平成九年三月 板橋区教育委員会

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