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中島飛行機株式会社武蔵製作所 殉職者慰霊碑

基本情報

所在 東伏見稲荷神社
住所 東京都西東京市東伏見1-5-38(西武鉄道 西武柳沢駅 徒歩7分)
連絡先 東伏見稲荷神社 042-461-1125
建立者 中島飛行機株式会社武蔵製作所、殉職者慰霊碑建設委員会
建立年 昭和39年12月5日

※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月/情報提供元は、東伏見稲荷神社)

施設の写真

中島飛行機株式会社武蔵製作所 殉職者慰霊碑

碑文1(石碑)

碑文2(石碑 拡大)

碑文

慰霊碑

説明文

建碑之由来


中島飛行機株式会社は大正六年十二月群馬県太田町に
創立され終戦後富士産業株式会社と改称した 昭和
十三年五月北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が建設
され昭和十六年十一月隣接地に多摩製作所が増設され
陸海軍に分かれ生産を行った 昭和十八年十月時局の
要請により両製作所を合併して武蔵製作所と呼称するに
至った この間従来の従業員に日本全国からの徴用
工員男女動員学徒を加へその総数は五万人に及び日夜
生産に励み国内第一の航空発動機工場となった 米軍は
日本空軍の補給力を全滅するため武蔵製作所を本土
編隊爆撃の第一目標とし昭和十九年十一月二十四日の
空襲以来終戦まで十数回の爆撃が行われ、爆弾五百発が
命中し二百余名の殉職者と五百名を超える負傷者を
出し工場は全く廃墟と化してしまった 武蔵製作所はこ
の爆撃のため終戦後平和産業に転換することが出来ず
富士産業株式会社武蔵整理部として整理業務に専念し
毎年十一月二十四日を迎える度に戦争の恐怖と罪悪を
想起すると同時に平和日本の礎となった殉職者の霊を
慰める祭祀を行った 昭和二十三年十月占領下である
にも拘わらず慰霊碑の建立を企図中島飛行機株式会社
武蔵製作所殉職者慰霊碑建設委員会を組織し有志の浄財
をもって武蔵製作所稲荷神社跡に慰霊碑の建立を行い
同時に殉職無縁者永代供養のため武蔵野市源正寺に
供養碑を建立した 昭和二十三年十二月東伏見稲荷神社
司祭により遺族を迎え除幕式並びに慰霊祭を挙行した 
爾来日武蔵整理部従業員有志によってささやかながら
祭祀を続けて来たが慰霊碑の完全な保存と永代祭祀の
ため当初より多大の助力をされた東伏見稲荷神社の
好意により境内に遷座することになった 昭和三十九年
十一月に遷座を完了し翌十二月全国より遺族を招き
遷座祭並びに二十年祭を挙行した 茲に慰霊碑建立の
由来を記述して後世に伝え平和日本の礎となった中島
飛行機株式会社武蔵製作所殉職者の霊を永えに慰めんと
するものである

昭和三十九年十二月五日
中島飛行機株式会社武蔵製作所
殉職者慰霊碑建設委員会

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