所在 | 東京都横網町公園 |
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住所 | 東京都墨田区横網2-3-25(都営地下鉄 両国駅 徒歩2分) |
連絡先 | 横網町公園事務所 03-3622-1208 |
建立者 | 東京都 |
建立年 | 昭和26年9月(震災記念堂としては昭和5年9月建立) |
※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月/情報提供元は、横網町公園事務所)
震災記念堂 東京都慰霊堂 由来記
顧れば大正十二年九月一日突如として関東に起こった震災は、
東京市の大半を焦土と化し、五万八千の市民が業火のぎせいとなっ
た。このうち最も惨禍をきわめたのは陸軍被服廠跡で、当時横網町
公園として工事中であった、与論は再びかかる惨禍なきことを
祈念し慰霊記念堂を建立することとなり官民協力広く浄財を募り
伊東忠太氏等の設計監督のもとに昭和五年九月この堂を竣成し
東京震災記念事業協会より東京市に一切を寄付された。
堂は新時代の構想を加味した純日本風建築の慰霊納骨堂であ
ると共に、広く非常時に対応する警告記念として、亦公共慰霊の
道場として設計された三重塔は百三十五尺基部は納骨堂として
五万八千の霊を奉祀し約二百坪の講堂は祭式場に充て正面の祭壇
には霊碑霊名簿等が祀られてある。
爾来年々祭典法要を重ね永遠の平和を祈願し「備えよつねに」と
相戒めたのであったが、はからずも昭和十九、二十年等にいたって
東京は空前の空襲により連日爆撃焼夷の禍を受け数百万の家屋
財宝は焼失し無慮十万をこえる人々はその難に殉じ大正震災に
幾倍する惨状を再び見るに至った、戦禍の最も激じんをきわめた
のは二十年三月十日であった、江東方面はもとより全都各地にわ
たって惨害をこうむり約七万七千人を失った、当時殉難者は公園
その他百三十ヶ所に仮埋葬されたが昭和二十三年より逐次改葬
火葬しこの堂の納骨堂を拡張して遺骨を奉安し、同二十六年春戦災者
整葬事業を完了したので東京都慰霊堂と改め永く諸霊を奉安す
ることになった。
横網公園敷地は約六、〇〇〇坪、慰霊堂の建坪は三七七坪余、境内
には東京復興記念館中華民国仏教団寄贈の弔霊鐘等があり、又
災害時多くの人々を救った日本風林泉を記念した庭園及び大火の
焔にも耐え甦生した公孫樹を称えた大並木が特に植えられてある。
昭和二十六年九月 東京都