タイトル「ぼくがしらべた戦災 空襲があった街・神戸」
「神戸空襲ってなんだろう?」
効果音「強い風が吹いているような音」
テロップ「平成7年(1995) 1月17日」
阪神淡路大震災の映像。燃え上がる神戸の街(空撮)。
テロップ「資料映像 阪神淡路大震災」
みなとくんの声「平成7年、神戸に大きな地震があった」
崩れ落ちた家が炎をあげて燃えている様子のアップ。
道路。道の脇では崩れた建物が燃えている。
折れた電柱や崩れた建物のがれき。向こうではまだ炎が燃えている。
効果音「崩れた瓦礫が燃えているぱちぱちという音」
みなとくんの声「おじいちゃんは震災をうけた街の様子を「まるで戦争が終わった後みたいだ!」っていうんだ…」
写真「神戸空襲の焼け跡(提供:神戸空襲を記録する会)」
テロップ「昭和20年(1945) 神戸 提供:神戸空襲を記録する会」
みなとくんの声「がれきだらけになった66年前の神戸…」
写真「空襲で焼け野原になった神戸(提供:神戸空襲を記録する会)」
テロップ「ナビゲーター みなとくん」
腕組みをしたナビゲーターのみなとくん(イラスト)が現れる。みなとくんは焼け跡の写真を見つめている。
みなとくんの声「いったい戦争でなにがあったんだろう…?」
効果音「大砲の音、大砲や銃を撃つ音が鳴り続ける」
写真「攻撃を受けて噴煙があがっている様子(米国国立公文書館所蔵)」
テロップ「真珠湾攻撃 1941.12.8 米国国立公文書館 所蔵
太平洋戦争 昭和16年(1941)〜昭和20年(1945)」
みなとくんの声「おじいちゃんが子どもだったころ、日本とアメリカは戦争をしていたんだ」
写真「船の上で大砲を撃つ兵士たち(米国国立公文書館所蔵)」
「海の上で撃たれ、煙をあげて傾く戦闘機(米国国立公文書館所蔵)」
みなとくんの声「戦争が終わる最後の年、グアムやサイパンのアメリカ軍基地から、爆撃機B29が飛んできた」
図「東アジア地図。サイパン・グアム・テニアンの米軍基地より日本へのB29飛行爆撃範囲が紫色で示されている」
テロップ「 昭和20年(1945)アメリカ軍飛行爆撃範囲 サイパン、テニアン、グアム」
写真「
テロップ「大型爆撃機
日本地図に
みなとくんの声「アメリカ軍は空から日本各地を攻撃し、街を破壊していったんだ」
テロップ「空襲」
絵画「
テロップ「米国国立公文書館 所蔵」
みなとくんの声「
絵画「投下される
テロップ「「
地面に突き刺さった
みなとくんの声「
地面に突き刺さった
みなとくんの声「
炎のイメージにかぶせるように燃えている建物の写真(提供:神戸空襲を記録する会)
テロップ「提供:神戸空襲を記録する会」
みなとくんの声「何人もの人が、炎に焼かれたんだって…。そして街は焼け野原になった…」
写真「焼け野原になった東京(米国国立公文書館所蔵)」
テロップ「焼け野原になった東京 米国国立公文書館 所蔵」
空襲による主な被災地をオレンジに塗った日本地図。
テロップ「空襲による主な被災地」
みなとくんの声「…空襲で犠牲になった人たちは全国で50万人ともいわれているんだ…」
テロップ「犠牲者 約50万人」
兵庫県神戸市地図とみなとくん。
テロップ「兵庫県 神戸市」
みなとくんの声「僕は自分が住んでいる神戸の空襲を調べることにしたんだ。いったい、どんなことがあったんだろう…」
写真「小高い丘から見下ろした現在の神戸の街(全景)」
「生い茂る緑に囲まれる風見鶏の館」
メリケンパークエリアの海沿いにそびえ立つ赤い色の神戸ポートタワー。
市街地の交差点を行き交う人びとの足もと、スクランブル交差点を渡るたくさんの人びと。
みなとくんの声「神戸は昔から外国との交流が盛んな、関西を代表する大きな港町。いろんな工場がある工業の街でもあるんだよ」
神戸市街地へのズームアップ。
みなとくんの声「戦争中、神戸は工場で兵器をたくさん作っていた。だから、アメリカ軍の大きな攻撃目標になってしまったんだ」
神戸空襲を受ける市街地(空撮)の映像。
テロップ「昭和20年(1945) 3月17日、5月11日、6月5日 神戸大空襲 ※2月4日の空襲も大空襲に含める場合がある」
次つぎと大量に投下される
テロップ「無差別
みなとくんの声「神戸を焼き尽くすために 大量の
神戸の街に落とされるたくさんの
テロップ「神戸市の被害 死者 7,491人、負傷者 17,014人 「神戸 災害と戦災 資料館」より」
みなとくんの声「炎と煙の中で 7千人以上の人が亡くなったといわれている…」
効果音「住職によるお経を読む声と木魚をたたくカンカンという音」
テロップ「平成23年(2011) 3月17日
藥仙寺。慰霊祭会場内で椅子に座り、合同慰霊祭に参列している人たち。
三人の住職がお経を読みながら供養をしている。
参列者が順番にお焼香をあげている。
テロップ「神戸空襲犠牲者合同慰霊祭 映像提供:秋田 琢/石井里香」
みなとくんの声「毎年3月17日には空襲犠牲者のための慰霊祭が行われているよ」
テロップ「神戸大空襲犠牲者慰霊碑」
写真「花をたむけられている神戸大空襲犠牲者慰霊碑」
「「神戸空襲を記録する会」と書かれた慰霊碑のズームアップ」
みなとくんの声「お寺の境内には慰霊碑も建立されている」
慰霊碑に献花をする参列者たち。
花に埋まった慰霊碑。
みなとくんの声「残された人の悲しみは今も変わらないんだね…」
戦跡ウォークに参加する人びとが集合している。
テロップ「平成23年(2011) 6月5日 戦跡ウォーク」
戦跡ウォークとして歩く人びとの映像にみなとくんが登場。
みなとくんの声「6月5日、戦跡ウォークに、僕も初めて参加したんだ」
戦跡ウォークの映像をぼかした映像を背景に、慰霊碑の写真「
テロップ「3月17日の空襲で殉職した電話局員の慰霊碑
「旧本庄村空襲犠牲者慰霊碑 本庄墓地(東灘区)」
みなとくんの声「戦跡ウォークではみんなで空襲の傷跡や慰霊碑などをめぐるんだ」
川沿いの道を「
写真「
テロップ「「
写真「
テロップ「「
みなとくんの声「小説、アニメで有名な「
モニュメントの前で田辺眞人先生によるモニュメントの解説を真剣に聞く参加者たち。
モニュメントの脇で解説する田辺先生。
モニュメントにある妹のイラストの足もとから全身の映像。
モニュメントの脇で解説する田辺先生と参加者。
参加者たちの背中。
テロップ「(兄妹は西宮の)池の横の崖に防空壕を見つけてそこに住む。男の子が池に泳ぎに行って帰ったら妹は(栄養失調で)亡くなっている…今、我々全く平和な状態で生活しておりませけれども、60年70年前実際にわれわれの周りに(こんな悲劇が)たくさん起こっていた」
田辺眞人先生「池の横の崖に防空壕があるのを見つけて、妹と8月ごろそこへ住むわけですね…ある日男の子が池に泳ぎに行って帰ってみたら、もう妹は動かんようになって亡くなってしまっている…いまわれわれ全くは平和な状態で生活をしておりますけれども、60年70年前にこういうことが実際にわれわれの周りにたくさん起こっていた…」
インタビューを受ける田辺先生。
テロップ「園田学園女子大学名誉教授 郷土史研究家 田辺眞人さん」
テロップ「良いことも、悪いことも、悲惨なことも、事実(歴史)の中には見つめていかなくてはいけないことがある。具体的な場所で、モニュメントが残っていることで、歴史を身近に感じる。社会の体験として、未来のために(悲惨な歴史も)活かされることが大事だと思う…」
田辺眞人先生「歴史というのはね、ロマンチックで物語的でみたいにうけとられることが多いですけども、やっぱり都合のいいことも、悪いことも、悲惨なことも、事実の中には見つめていかないかんものがある訳ですね。具体的にこの場所でとか、こういうモニュメントが残っているとかいうことで、やっぱり歴史を本当に身近に感じる。社会の体験として未来のために活かされることが大事やと思います。」
御影小学校の校庭で解説する川谷佳子さんと参加者。
みなとくんも鉛筆とノートを手にして話を聞く。
みなとくんの声「空襲体験をした人のお話も聞けたよ」
空襲体験を語る川谷さんと熱心に耳を傾ける参加者。
テロップ「川谷佳子さん 小学校の校庭にあった防空壕に避難した」
御影小学校 校庭の全景。
テロップ「防空壕のあった小学校 校庭 「防空壕」 空襲から避難するために作られた穴や溝」
川谷佳子さん「…こちらは危ないということで、運動場南側の端をずっと走りまして、こちらにもやはり3つくらい防空壕があったんですね。そこへ駆け込みました。」
参加者の前で解説する川谷さんのズームアップ。
テロップ「こうして話ができるのもこの運動場のお陰で助かったから。本当に戦争だけは二度と起こしてほしくない。今の子どもたちにも戦争はこういうものだったと語り伝えて知っておいてもらいたい…。」
川谷佳子さん「現在私がこうしてお話しておりますのも、この運動場のおかげで助かったんだと思っております。戦争だけは、やはりもう二度と起こしてほしくないという気持ちもありますし、それと今の子供たちにも、戦争とは、こういうものだったということをやはり語り伝えて、知っておいてもらいたいな…」
神戸市立兵庫図書館の前で解説するみなとくん。
テロップ「神戸市立兵庫図書館(兵庫駅前)」
写真「図書館内にある戦災記念資料室」
テロップ「戦災記念資料室」
みなとくんの声「神戸市立兵庫図書館。ここには戦争や空襲の資料を集めたコーナーがあるんだ」
落とされた
テロップ「
高熱ででこぼこになった一升瓶が横に倒された状態で置かれている。でこぼこになった部分をズームアップ。
テロップ「炎でゆがんだガラス瓶」
焼け残った人形の首のズームアップ。
テロップ「焼け残った人形の首」
神戸空襲を偲ばせる戦災遺品の数かずを陳列した棚の前で腕を組み思慮深い様子のみなとくん。
みなとくんの声「…空襲の炎の凄まじさが伝わってくるね…」
B29による
みなとくんの声「神戸にのこされた空襲の記憶。今も僕たちに平和の大切さを伝えてくれているんだ…空襲って本当に僕の住む街にあったんだね…」
「空襲を伝える」
効果音「小鳥の鳴き声」
兵庫区にある
テロップ「
みなとくんの声「兵庫運河にかかる
みなとくんの声「ここにも空襲の慰霊碑を見つけたよ」
テロップ「
みなとくんの声「空襲の炎からみんな、水のある川へ逃げたんだ…」
橋から水面を見下ろす映像。
効果音「炎の燃えさかる音と、それに重なる人びとの悲鳴」
効果音「にげまどう人びとの声、ひときわ響くおかあさぁんと叫ぶ声」
みなとくんの声「でも、
みなとくんの声「中学生と一緒に空襲のお話を聞きに行ったよ!」
テロップ「こちらこども特報隊 協力:神戸新聞社」
中田政子さん「だけども、普通の私たちの母のような人間は…」
テロップ「毎年ここに来て お花を供え お線香をあげて 手を合わす。(空襲のあった)3月17日 私の年中行事だった」
中田政子さん「毎年 ここへ来てお花を供えてお線香をそなえてここで手を合わすというものが、私にとっては3月17日の年中行事だったのね…」
効果音「解説をしている中田さんの声」
真剣に身振り手振りを交えて語りかける中田さん。
テロップ「中田政子さん 神戸空襲を記録する会 代表」
みなとくんの声「中田政子さんは神戸空襲をみんなに伝える活動をしているんだ」
みなとくんの声「中田さんのお母さんは、空襲の時、
中田さんの母 故 三木谷君子さんがマイクを手に解説をしている資料映像。
テロップ「母 三木谷君子さん 記録映像「炎の証言−大空襲の記録」より 1982年 ひょうご芸術文化センター製作」
テロップ「中田政子さんの姉 弘子さん(1歳10か月)」
君子さんが手にして眺めている 長女 弘子さんの写真。
写真「長女 弘子さん」ズームアップ
お母さんの空襲体験を語る中田さんと、真剣に聞く中学生たち。
みなとくんの声「その時、生き残ったお母さんのお腹の中にいたのが、中田さんなんだ。みんなに子どもを亡くしたお母さんの悲しみを伝えてくれたよ」
中田さんの解説を聞いた後にインタビューを受ける男子中学生。
テロップ「小さい子どもが爆風で飛ばされてしまう…。小さい命が(戦災で)亡くなるのは悲しいことだと思います…」
中学生「小さい子供だったら、そうやって簡単に飛ばされてしまって、そういう小さい命がなくなってしまうことは、とても悲しいことだと思います」
中学生に語りかける中田さん。
中田さんのズームアップ。
橋の上から
テロップ「想像しにくいと思う…ここが空襲で、人間が逃げまどった(場所)というのは想像しにくい。でも「この場所なんだ」と(覚えて)もらうのはすごくうれしい…」
中田政子さん「やっぱり想像しにくいと思うし…ほんとうにここがそういう恐ろしい空襲が起こった状況の中で、人間が逃げまどったということは、すごく想像はしにくいと思うんだけど。でも、「あ!この場所なんか」ということをわかってもらうというのは、すごくうれしいことだと思っています」
効果音「中田さんの言葉に重なる蝉の声」
次の場所に歩いて移動している中学生たち。
兵庫県の
テロップ「
テロップ「
みなとくんの声「神社では、職場で空襲にあった体験者のお話を聞いた」
効果音「
中学生たちに体験談を語りかける
テロップ「
みなとくんの声「
真剣なまなざしの中学生たち。
椅子に腰掛けて空襲体験を語る
テロップ「(炎で)逃げ場を失なって『どうしよう』と…。そこらじゅう火の海… 6人で(電話局の)下におりよう。(おりたら)足元にいっぱいつまづくものがある。街の人 電話局は大丈夫と思って(逃げこんだ)人たちが死んでいる…」
語り続ける
みなとくんの声「仲間たちと外へ逃げた
空襲体験を語る
テロップ「自転車置き場を見に行ったら、5人が丸くなって死んでいる…」
空襲体験を語る
みなとくんの声「仲間を救えなかった
亡くなった五人のために建立された慰霊碑。むらさき色の花がたむけられている。
テロップ「「五人の乙女の慰霊碑」 亡くなった5人のための慰霊碑」
慰霊碑の前で中学生たちに体験談を語る
みなとくんの声「空襲は生き残った人の心にも、消えない痛みを残しているんだ…」
効果音「移動する中学生たちの話し声と足音」
藥仙寺に到着した中学生たち。
テロップ「藥仙寺」
みなとくんの声「慰霊祭の行われる
効果音「空襲体験を語る石野早苗さんの声。「庭に作った防空壕に二人で避難しました。ほっとする間もなし…」」
空襲体験を語る石野さん。
テロップ「石野早苗さん 9歳の時 3月17日の空襲で姉を亡くす」
みなとくんの声「お寺の防空壕に入っていた石野早苗さん。空襲でお姉さんを亡くしている」
写真「石野さんの姉 長子さん。長子さんは羽子板を持ち、晴れ着を着ている」ズームアップ。
テロップ「姉 長子さん (空襲時 13歳)」
中学生たちの前で空襲体験を語る石野さん。中学生たちは真剣にメモを取りながら聞いている。
みなとくんの声「
真剣に体験談を聞く男子中学生たち。
テロップ「
石野早苗さん「
石野さんが左手で指を指した先の「右手」のズームアップ。
悲痛な表情の女子中学生たち。
空襲体験を語る石野さん。
テロップ「けがをしただけじゃなく、亡くなった方たちを思うと やりきれない気持ちがします。戦争は二度とあってはいけない してはいけない。平和のありがたさ…」
石野早苗さん「…けがをしただけじゃなくて、亡くなった方…その方たちのことを思うと、やはりやりきれない気持ちがしますね。戦争はもう二度とあってはいけないことだししてはいけないことだし、やはり、平和のありがたさ…それをとっても思います」
石野さんが右手の義手を外して中学生たちに持たせている。
義手をもつ中学生たちの困惑した表情。
テロップ「私のように悲しい想いをすることも 二度と起こってはいけない。世界は平和でなきゃいけない…」
石野早苗さん「…私のように悲しい想いをすることも、二度と起こってはいけない。だから、やっぱり世界は平和でなきゃいけない」
平和でなきゃいけないという石野さんの言葉に深くうなずく女子中学生。
藥仙寺 境内でインタビューに応じる石野さん。
テロップ「義手をはずして見せることは、昔は恥ずかしさがあった。(義手をはずすことで)ひとつでも 子どもたちから「戦争はいけないんだ」という気持ちがうまれてくれれば…。その方が私は大切だと思う…」
石野早苗さん「義手をはずして見せることは、もう、昔は、自分が若いときは、やっぱり恥ずかしさっていうのがあったんだけど、もう今はそれ全然ないです。これでひとつでも、こどもたちから、新しく、あ、戦争はいけないんだって思ってくれる気持ちが産まれれば、その方が私は大切だと…」
境内で中学生たちと語り合う石野さん。そよかぜが吹き、女子中学生のスカートがなびいて揺れ動く。
みなとくんの声「空襲は、みんなの心と体に深い傷をのこしていったんだ…」
みなとくんの声「空襲を体験した人たちは、つらくて悲しい気持ちをこらえて僕たちに語り継いでくれた。それは、僕らに同じ悲しみをさせたくないからなんだね…」
「平和の想いをつなごう」
効果音「空襲警報が鳴り響く音。
みなとくんの声「神戸空襲を描いた絵画…」
神戸空襲の様子を描いた絵画。
炎が燃え移った瓦屋根の絵画。
炎が燃え移った瓦屋根の絵画を背にし、空襲絵画に驚き、口をあんぐりと開けているみなとくん。
みなとくんの声「燃え上がる街の様子が、よくわかる…」
神戸空襲絵画の作者 豊田さんと、メモと鉛筆を手にして豊田さんに質問するみなとくん。
豊田さんの傍らには、空襲絵画の1つがおかれている。
テロップ「仏画家 豊田和子さん 3月17日の空襲で被災する」
みなとくんの声「作者の豊田和子さん。空襲の炎ってすごかったんですね」
みなとくんのインタビューにこたえる豊田さん。
テロップ「焼跡の写真はたくさんあります。火の中を逃げるとか(空襲の様子)は絵だからできる」
豊田和子さん「焼跡の写真はたくさんありますけど、火の中を逃げるとかこういうのって、まあ、まあ、絵だからできるんでね、写真っていうのは残ってないから…」
空襲の炎から逃げる人びとの空襲絵画。みな防空ずきんをかぶり、リュックを背負って同じ方向に走っている。
走る人びとのズームアップ。
テロップ「辺り全部火ですし 開けたら一瞬で目が焼けるくらいの火の粉(が飛んでいる)…。体に火がつきだしたときに「もう死ぬ」と…。生まれて初めて死ぬということを感じました」
豊田和子さん「ぐるり全部、火ですし、それで、目を開けたら…もう…もう一瞬で目が焼けるぐらい火の粉なんですよね。体に火がつきだしたときに…はぁ…もう、もう死ぬ。死ぬと言うことを生まれて初めて感じましたね」
頭や背中に火が付き、防火用水槽に逃げ込む人びとを描いた絵画。
テロップ「防火用水槽 ※空襲の火を消すために市街におかれた水槽」
効果音「ぱちぱちと何かが燃えている音。燃える炎が風に煽られているようなゴウゴウという激しい音」
みなとくんの声「豊田さんは、防火用水槽の中に入って、炎が収まるのを待っていた。猛烈な熱さの中、女の人の叫び声が聞こえた」
テロップ「赤ん坊が燃えています!助けてください!」
空襲絵画の中の燃えさかる炎の部分のズームアップ。炎にまかれる防火用水槽と、水槽のまわりにうずくまる人びとの絵画。
みなとくんの声「豊田さんの目に飛び込んできたのは、赤ちゃんを背負ったお母さんの姿…その体は炎がつき、燃えていた。逃げ込んだ防火用水槽の中、豊田さんの目の前で、赤ちゃんが泣き声をあげている…」
豊田さんの16歳の頃の肖像写真。制服を着て髪の毛を2つに結んでいる。
テロップ「当時の豊田さん(16歳)」
みなとくんの声「少しずつ小さくなる泣き声…16歳だった豊田さんの胸の前で、赤ちゃんは息を引き取った…」
インタビューを受ける豊田さん。
テロップ「(絵画に母子のことを)描きかけましたけどかわいそうで描けない…。お母さんの顔は覚えていないし、赤ちゃんも男か女かわからない。(母子が燃える)姿は目にはきっちり残っているんです…それは描きたくないですね…」
豊田和子さん「描きかけましたけどね、やっぱりね、それはかわいそうで描けないですわ。そのお母さんのお顔は覚えてないし、赤ちゃんが男だったか女だったかもわからないけど、その姿って今でも目にきっちり残っているんですけども、それは描きたくないですね、やっぱり…。亡くなられたことが、かわいそうで…」
3点の空襲絵画の実物の脇に腰掛けている豊田さん。
みなとくんの声「空襲の絵からどんな想いを感じてほしいですか?」
豊田和子さん「まぁ、本当に体験者がだんだんいらっしゃらなくなるから…」
空襲の炎から逃げる人びとの空襲絵画。
テロップ「(絵画が)なにか(平和)のお役に立てればいいんですけど…」
豊田和子さん「なにかのお役に立てればいいんですけどね…」
詩集「ヨシコが燃えた」(初版 編集工房ノア 出版年1987年)。詩集を紹介するみなとくん。
みなとくんの声「一冊の詩集に、平和の想いを込めた人もいる」
タイトルと、作者名(たかとう匡子さん)が記載されている部分のズームアップ。
効果音「蝉の鳴き声」
お寺の境内を歩くたかとうさん。境内は緑の木に囲まれている。
効果音「体験を語るたかとうさんの声。「…ないんですよね。記憶ないんですけどね…話聞きながらいろいろ、あの思うことはありましてね…」」
テロップ「詩人 たかとう匡子さん 6月5日 神戸空襲 7月4日 姫路空襲に被災」
みなとくんの声「詩人のたかとう匡子さん…6歳の時、6月5日の神戸空襲で家を焼かれ、避難した姫路でも空襲に遭ったんだ」
境内のそばでインタビューを受けるたかとうさん。
境内の木陰で詩集を開くたかとうさん。
みなとくんの声「姫路への空襲…たかとうさんは、3歳の妹、ヨシコさんの手を握り、炎の中を逃げていた…」
開いた詩集の文字のズームアップ。
詩集を開いて朗読するたかとうさん。
テロップ「私のモンペを握っている小さい手 火を踏んでやけどをした足うら ネエチャン アンヨガ イタイ 泣きながら ふるえる声で ヨシコは何度もいうのだけれど 黙って私は走っている」
(詩集「ヨシコが燃えた」より抜粋)
たかとう匡子さん「私のモンペを握っている小さい手。火を踏んでやけどをした足うら。ネエチャン、アンヨガ、イタイ。泣きながら、ふるえる声で、ヨシコは何度もいうのだけれど、黙って私は走っている…」
生い茂る木の間から差す木漏れ日。
テロップ「国民学校一年生の私に知恵はなく 群れの後ろについて走るしかなく 逃げるしかなく」
たかとう匡子さん「国民学校一年生の私に知恵はなく、群れの後ろについて走るしかなく、逃げるしかなく…」
効果音「何かが燃えるちりちりという音。さらに大きく鳴く蝉の声」
姫路空襲写真に薄暗い炎が重なる。
テロップ「そのときだった 道端に積みあげられた枯れ草が燃えて ヨシコが燃えた
たかとう匡子さん「そのとき、道端に積みあげられた枯れ草が燃えて、ヨシコが燃えた。
自宅の本棚の前でインタビューを受けるたかとうさん。
テロップ「ヨシコの顔はうろ覚えです。写真は一枚もありません。(妹は)お菓子を食べたことがないんですよ。(戦時中物資がなく)飴玉一つ食べていない 甘いものを知らない」
たかとう匡子さん「ヨシコの顔はうろ覚えです。写真は一枚もありません。お菓子を食べたことがないんですよ。あの子はね…ほんとうに、飴玉一つ食べていないんですよ。甘いものを知らないんですね」
写真「詩集「ヨシコが燃えた」表紙」
インタビューを受けているたかとうさんのズームアップ。
テロップ「一緒にご飯、団子汁食べているときに、こんなおいしくないもの食べられへん、まずい…。お姉ちゃん、戦争が終わったら何ぼでもおいしいものが食べられる。そんなこと言うたらあかん。そう言っていたヨシコが亡くなってしまった…」
たかとう匡子さん「一緒にご飯食べたり団子汁食べたりしてるときに、私は「こんなおいしくないもの食べられへん」とか、「まずい」とかいうと、ヨシコのほうがしっかりしていて「お姉ちゃん、戦争が終わったら何ぼでもおいしいものが食べられるからそんないうたらあかん」とかいうんですよね、その子が亡くなってしまったんですよね…」
インタビューを受けるたかとうさん。
テロップ「戦争で何百人が死んだ、何千人死んだと「数」でいいますよね。たくさんの人が死んだから私たちは悲しいんじゃないんです」
たかとう匡子さん「戦争で何百人が死んだとか何千人が死んだとかね…いうふうに、こう、数であたしたち良くいいますよね。だから、たくさんの人が死んだから私たちは悲しいんじゃないんです」
詩集文面のズームアップ。左上から弱い照明の光が射している。
テロップ「(何人亡くなった)数の悲しみじゃなくて 一人ひとりの死の悲しみがあるんです…」
たかとう匡子さんの声「数の悲しみじゃなくって、それだけの、一人ひとりの人間の死の悲しみいうのがあるんですよね…」
詩集文面「ヨシコ」の文字。ズームアップ。
両腕を組んで考え込みながら、たかとうさんに質問をするみなとくん。
みなとくんの声「僕たちが平和をつないでいくのに 大切なことって何ですか?」
みなとくんからの質問に答えるたかとうさん。
テロップ「これから(戦災は)資料でしか残らない 記録でしか残らない」
たかとう匡子さん「だからこれからね、ほんとうに資料しか残らない、記録でしか残らない、ものでしか残らない…」
たかとうさんが、筆で力強く短冊に書いたメッセージ「豊かな想像力を」の文字のズームアップ。
テロップ「(戦災は)自分の問題だと考えてくれる人が、(次の世代に)戦争の悲惨さを受け継いでくれる人たちです…」
たかとう匡子さんの声「…豊かな想像力、自分の想像力でもってね、これは「自分の問題だ」というふうに考えてくれる人が、戦争の悲惨を受け継いでくれる人たちですよね…」
短冊にスポットライトが当てられる。
太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔の全景。青空に向かって大きな塔が建っている。
塔のズームアップ。
テロップ「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 姫路市 手柄山中央公園」
みなとくんの声「ヨシコさんの亡くなった姫路市。ここには空襲で犠牲になった全国の人たちのために慰霊碑が建てられている」
毎年行われている太平洋戦全国空爆犠牲者追悼平和祈念式の献花の様子。たくさんの人びとが慰霊碑に花をたむけ、手を合わせている。
テロップ「太平洋戦全国空爆犠牲者追悼平和祈念式 毎年10月26日 開催」
みなとくんの声「毎年10月には、追悼のため、平和祈念式典も行われるよ」
献花する人びとのズームアップ。
慰霊塔を見上げる映像。
みなとくんの声「空襲は、僕の街だけじゃなく、日本中であったんだ…」
神戸のやけ跡を映した終戦直後のカラー映像。一部焼け残ったコンクリートの建物もほとんどが崩れた状態である。焼け野原のがれきのなかを生き残った人たちが歩いているのが見受けられる。
テロップ「終戦直後の神戸 提供:昭和館」
みなとくんの声「全てが破壊されてしまった神戸。空襲は、街と、そこに暮らす人たちの命を奪っていったんだ…。でも、この焼け野原や災害から、神戸は何度も立ち直ってきたんだね…!」
丘から見下ろす現代の神戸の街並み。神戸市街を行き交うたくさんの車。風見鶏の館。中華街。ポートタワー。
みなとくんの声「僕は、空襲を調べて、神戸の街をもっと大切にしたいと思った」
神戸市の夜景を背にして、笑顔で片手を上げて語りかけるみなとくん。
みなとくんの声「これからも、僕の大好きな神戸が、平和な街であって欲しい…」
みなとくんの声「自分の街であった空襲を、みんなも調べてみよう!」
写真「戦災記念資料室の室内。たくさんの資料が展示されている」
テロップ「戦災記念資料室 神戸市立兵庫図書館内 神戸市兵庫区駅南通5−1−1 TEL:078−682−9501 FAX:078−682−9502
写真「神戸大空襲犠牲者慰霊碑」
テロップ「神戸大空襲犠牲者慰霊碑
写真「
テロップ「
写真「「
テロップ「「
写真「五人の乙女の慰霊碑」
テロップ「五人の乙女の慰霊碑
写真「殉職した電話局員の慰霊碑」
テロップ「殉職した電話局員の慰霊碑
写真「旧本庄村空襲犠牲者慰霊碑」
テロップ「旧本庄村空襲犠牲者慰霊碑 本庄墓地 神戸市東灘区深江北町5」
写真「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」
テロップ「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 手柄山中央公園 姫路市西延末440 問い合わせ 太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会 姫路市健康福祉局福祉部福祉総務課総務担当 TEL:079−221−2303 FAX:079−221−2374」
写真「戦災に関するビデオ「明日への伝言 祈りかさねて(平成17年度版)」パッケージ」
テロップ「戦災に関するビデオ 平成17年度版 明日への伝言 祈りかさねて 神戸空襲を紹介しています。全国の主な図書館及び視聴覚ライブラリー等に配布しています」
クレジットが流れてくる。
協力
(順不同・敬称略)
神戸市
神戸市立図書館
神戸新聞社
ラジオ関西
兵庫県立歴史博物館
太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会
ひょうご芸術文化センター
ピースおおさか
昭和館
NHK
神戸市立御影小学校
神戸市立須佐野中学校
神戸空襲を記録する会
中田政子
川谷佳子
石野早苗
豊田和子
たかとう匡子
田辺眞人
秋田 琢 石井里香(映像提供)
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