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「東日本大震災とICT」インタビュー
【宮城県牡鹿郡女川町】

話者:女川町役場 企画課 木村明宏主幹兼係長、総務課 木村竹志主幹兼係長

1.復興に関しICTが果たした役割について

  東日本大震災からまもなく10年が経過しようとしています。震災当時、女川町は、津波により甚大な被害を受けました。また、役場庁舎も浸水し、防災行政無線や各種情報通信システムが壊滅状態になるなどの被害が発生しました。そうした被害を乗り越え、女川町は力強く復興さ れています。
 復興に当たっての具体的な取組を示した女川町の復興基本計画では、迅速確実な情報伝達手段の確保について計画されていました。
 女川町の新たな街づくりにおいて、ICTはどのような役割を担ってきたのでしょうか。


 女川町の復興基本計画では、避難している住民が情報を収集するための手段として必要なものであるという認識をもとに、防災広報無線のデジタル化や、避難所におけるインターネット環境整備を記載しました。

 防災広報無線については、デジタル化を復興基本計画に記載していたものの、すぐにデジタル化するというのは難しく、また、防災広報無線を速やかに復旧したいということがあって、アナログのものを一旦仮復旧し、昨年度からデジタル化に向けた整備を行っています。
 アナログのものを早期に仮復旧させていただいたことによって、町民に対する重要な情報提供を行う有効な手段を確保することができました。
 具体的には、女川町では復興にあたって、住民説明会の開催等を頻繁に行っており、その案内の放送やイベントがあるときも防災広報無線で広報を行いました。
 また、女川町では、広報紙を毎月全世帯に配布しているのですが、広報紙を見ないという方もいるため、重要な情報については防災広報無線でも必ず流すようにしていました。

 インターネットの環境の整備につきましては、避難者の方々が仮設住宅の談話室で、インターネットの情報を見ることができるようにして欲しいという要望があり、各仮設住宅の談話室に設置し、自由に被災者が使える環境を作りました。

 また、女川町では、総務省の「情報通信技術利活用事業費補助金」を活用させて頂き、2つの取り組みを行いました。
 1つは、難視聴対策です。本町の復興事業では、防災集団移転によって被災地域の住宅を高台に造成移転させることになりました。女川町の場合、町南北の沿岸に集落が点在しており、そのほとんどが被災しました。いくつかの集落を集約移転する話もあったのですが、住民から既存集落ごとに近傍の高台に移転したいとの希望があったことから、それぞれ高台に移転することになりました。
 移転先の住宅団地は山地に造成されたため、電波状況が悪いということもあって、難視聴対策のための補助金を活用させて頂いて、テレビの良好な受信環境の確保をしました。住民が情報収集するにあたって、テレビの受信環境というのはすごく重要なものだと考えていますので、補助金を活用して整備できたのは大きいことだったと考えています。

 2つ目としては、町民総合サポートシステムの構築です。女川町では、被災後、保健師等が避難所や各仮設住宅等を回って、被災者の心身の状況や悩み、困っている情報を集め、できるだけ早い支援をしていました。そのためのツールが被災者の心の状態や体の状態など、細かくチェックした「訪問記録」と呼ばれる記録です。それを、補助金を活用して、町民総合サポートシステムを構築する際にシステムに取り入れました。
 保健師が収集した情報は、震災直後からの身体面の変化だけでなく、個人の気持ちの変化等についても記録しており、それを無くす手はありません。復興後も女川町で生活していく方々へ支援をしていく際に、過去の記録を容易に検索でき支援できることは、住民サービスの向上という点でも、とても重要です。
 そういった記録を全て町民総合サポートシステムの中に入れて、住民それぞれが置かれていた状況などと一緒に総合的に把握することで、支援を必要とする方々に寄り添った支援やサービスの提供をすることができるようになったと感じています。

 震災前は、この「訪問記録」は、基本的に紙媒体で、冊子が1人ごとにある状態でした。このため、検索が大変だったという話を聞いていました。担当の保健師が訪問等で外出してしまうと、別の保健師さんが対応しなければいけないのですが、検索性が良くなったことで、他の保健師や職員でも速やかに対応できるようになりました。訪問が必要な場合や窓口に相談に来ている場合というのは、すぐに対応しないと問題が大きくなってしまうことも多く、そういうところでも十分活用をさせて頂き、町民総合サポートシステムが町民へのサービス向上に、とても役に立つシステムとすることができました。
 また、震災時の心の部分の記録を見ながら、現在の健康状況を見なければいけないというところを、1つのシステムにしたことによって効率もあがり、より一人ひとりに時間をかけて関わることができるようになったという話も聞いています。
 そうした意味で、女川町の復興にあたっては、ICTが重要な役割を果たしてきたと考えています。

2.女川町の今後の課題について

 女川町の復興基本計画は平成30年度で計画期間の終了を迎えました。他方、「女川町総合計画2019」が策定され、新たな街作りの指針が示されています。女川町がめざす将来像である『「いのち」と「くらし」をみんなが紡ぐまち』の実現のための課題についてお聞かせください。


 女川町では、復興に当たってのまちづくりの中で、住宅地を高台に整備したというのが非常に大きいです。離半島部だけでなく、女川町内の中心部についても、基本的に今回の津波高よりも高いところに住宅地を整備しています。
 それまで、女川町の中心市街地は、店舗兼住宅といった形態の建物が立ち並んでいたのですが、住居の高台移転により、職住分離が進んでいます。このため、女川町の中心市街地は、人が住んでおらず、中心市街地を囲むように住宅地があるので、中心市街地の活性化、賑わいの創出というのは今後も重視していかなければならないことだと思っています。

 これは日本全体にも言えることですが、女川町も少子・高齢化が非常に進み、人口減少が問題になっています。他方で、女川町がいくら頑張っても、日本全体の人口が減ってきているので、極端に人口を増やすというのは難しいかなという認識があります。その上で、人口減少下でも賑わいがあるまちづくりが必要だろうということで、我々は「女川のまちを使ってもらう」ということを考えています。女川に住む人、女川で働く人、女川を訪れた人だけでなく、女川に居なくても外から関わってくれる人をどんどん増やして、女川のまちをフィールドとして使ってもらうということをすごく意識しています。

シーパルピア

シーパルピア女川

 今回の復興に際してのまちづくりについては、女川町は「公民連携」で成功した事例だと思っています。女川に実際に住んでいる方々、店を経営されている方々が一生懸命自分たちで考えて、シャッター通りにしないように、テナント型のシーパルピアを作ったというのも、その1つです。
 また、今後は、スマートシティやスマートタウンといったものが、住民サービスの向上や、行政の効率化といった部分で大事なことだと思っているので、そういったところを検討していく必要があると思っています。
 そこも、行政だけでは難しいと思われるため、「公民連携」というのをきっちり考えてやっていかなければいけないと思っています。

 他には、高台移転によって、住居と中心市街地との間に、高低差と距離が生じたため、中心市街地に出かけることが少し面倒に感じているお年寄りの方もいるので、そのような部分での交通手段の確保も大きい問題です。
 東日本大震災前の課題だった、住宅が密集していて道路が狭く何をするにも大変だったというところは、ある程度解消することができました。そういったハード面の基盤整備はできましたが、今後、その基盤をどのように使っていくかというソフト面の課題が残っており、ここ数年で、ソフト面の課題解決に向けた流れをしっかりと作っておく必要があると考えています。そのためにもICTをどんどん取り込んでいきたいと考えています。

3.今後、ICTを活用して実施したいこと

  近年では第5世代移動通信システム(5G)やビッグデータ、AIといった新しい技術が登場しています。他方で、我が国は「課題先進国」と称されるように、諸外国に先んじて人口減少・少子高齢化が進んでおり、ICTを導入・利活用することで雇用や生活の質の向上などを進めていくことが必要であると言われています。
 女川町の今後の街づくりに際し、今後、ICTを活用して実施したいことがありましたら、お聞かせください。


 具体的に定まった計画はないのですが、今から、それを検討していこうという段階です。先ほどお話ししたスマートシティ(スマートタウン)への取組というのがまさにそれになります。
 女川町は、高台に住宅地があって、町の主要な施設、銀行や商店などが一段低いところにあります。その距離を埋めるために、自動運転などが活用できないかなと考えています。その一環として、女川町では、トヨタ自動車さんと協定を締結し、自動運転の前段としてスマートモビリティの実証試験を昨年度・今年度で行っています。将来的には、自動運転の実証実験もできないかなと考えています。
 また、当然、窓口の自動化といった行政の効率化も今後検討をしていかなければなりません。自治体のICT化は必ず必要になってくると思っています。
 

  トヨタ自動車さんとのスマートモビリティの実証実験は、どのような実験なのでしょうか。
スマートモビリティ

スマートモビリティ実証実験の模様


 トヨタ自動車さんが開発した「歩行領域EV」というタイプの車両を使用しました。運転免許は不要で歩道の走行が可能です。道路交通法上は身体障害者用車椅子に分類され、時速2〜6kmで走り、障害物を探知すると自動で減速するセンサーが付いています。
 この車両を使って、高台に住む高齢者が、町の主要な施設がある下の地域まで、自分の好きなタイミングで降りてきて、自分の好きなタイミングで帰るといったことができないかなと考えて実証実験を行っています。

 これは、現在、女川町の町民バスが1日3〜4往復しかなく、住民が、女川町の中で買い物をして次の場所に行きたくても、バスの本数が少なくて不便だという声があったからです。町民バスは起点から終点まで走るのに1便あたり1時間ぐらいを要します。1つの地区の高台に行って幹線道路まで戻ってくるのに5分程度かかる高台が複数あるので、高台と幹線道路との往復だけで大分時間を要することになります。その部分を、バスの運行ルートから切り離せれば、バスも効率的に運行できるし、住民も時間に縛られずに、街の中に降りてこられるかなと考えて始めたのがきっかけです。

 女川町は復興まちづくりの中で、スマートシティの前段として必要と思われるコンパクトシティ化がある程度進められたと思っていますので、比較的スムーズにスマートシティに取り組めるのではないかと考えています。
 また、女川町は、規模的にも、様々な実験がやりやすい環境です。そういう意味でも、先ほどのお話の中で出た、多様な主体に女川町をフィールドとして使ってもらい、賑わいを創出していければと思っています。

4.後世に向けて伝えたいこと

 東日本大震災は千年に1度と言われる大災害でした。甚大な被害を受けられた経験を通して、後世に向けて伝えたいこと、残したいことについてお聞かせください。


 単純に「逃げる」ということが大事です。女川町の場合は高台に住居を移転することによって、災害時でも住む場所を確保するようなまちづくりをしています。東日本大震災は千年に1度と言われる大災害となりましたが、次の千年に1度の大災害が、同じ規模になるとは限らないと思うので、津波が来たら「とにかく高台に逃げる」という意識が大切であるということを伝えたいです

 また、「記録」というのは、後世に向けて伝えるためには、すごく必要なことだと思っていまして、そういったものはICTを使って残していく。電子データとして、クラウドなどを使って半永久的に残るような形で残し、災害等により消失しないよう、しっかりと残していけるような仕組みを構築することが重要であると考えています。
 今回の震災では、紙ベースの書類等が流されてしまい、復旧の時に大変苦労しました。それでも、一部外部にバックアップされていたデータを活用したり、契約事業者さんからのデータ提供をいただいたりすることにより、文書等の復元をしながら業務に当たりました。具体的な部分では、女川町の議事録や決算などのデータは、東日本大震災前に、当時の総務係長(現総務課長)が、マイクロフィルム化(後にCD-ROM化)をすすめ女川町にも残すとともに、関東の倉庫にも保管していました。そのことによって復元できたという経験があるので、やはり、保管のあり方というのは大事だなと考えています。
 復興するにあたって、過去のデータというのは本当に欲しくて、残っていたことが分かったときは非常に嬉しかったということがありました。

 最後に、気持ち的な話になりますが、一番伝えたいのは、「諦めないこと」です。正直なところ、震災直後は、もう駄目だと思いました。復興なんてできないのではないかと。それでも、人ってすごいなと、助け合っていけば何でもできるんだなと。時間はかかりましたが、元よりも良くなったと思っていますし、諦めなければ、やる気さえあれば、何でもできるんだということを伝えたいです。
 女川町の復興まちづくりは、町民が主役でした。行政ができることは限られていますが、とにかく町民が、自分たちで持続可能なまちづくりをするんだという「諦めない」強い気持ちで主体的にまちづくりに関わっていただいたことが大きな推進力になったのだと思います。

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