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渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件

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事件の概要

 昭和47年(1972年)3月、公害等調整委員会の前身である中央公害審査委員会に調停事件として「渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件」が申請されました。
 本調停事件は、昭和47年(調)第8・9・14号事件及び昭和48年(調)第15号事件と、昭和49年(調)第22号事件及び昭和51年(調)第32号事件の2つの調停事件に大別され、いずれも、足尾銅山の鉱業権者古河鉱業株式会社を相手方(被申請人)として、渡良瀬川上流の被申請人会社が経営する栃木県足尾町所在の足尾事業所施設の廃棄物(鉱さい、スライム)等から浸出する銅その他の重金属が渡良瀬川に流入し、農業用水を媒介として、下流で農業を営む申請人らの水田に流入し、農作物に被害が生じたとして損害賠償を求めたものです。

事件処理の経過及び結果

(1) 昭和47年(調)第8・9・14号事件及び昭和48年(調)第15号事件

 関係機関の協力を得て専門的調査を実施し、11 回の調停期日の開催を経て、昭和49 年(1974 年)5月の第12 回調停期日において、被申請人は、申請人らに対し、被申請人の排出した銅その他の重金属等に起因して申請人らに損害を生じたことを認め、損害賠償金15 億5千万円を支払う等を内容とする調停が成立し、事件は終結しました。

(2) 昭和49年(調)第22号事件及び昭和51年(調)第32号事件

 本件の申請人らは、前記(1)事件の申請人らと同じ地区の農民であり、前記(1)事件同様の損害賠償金の支払を求めたものです。
 2回の調停期日を開催するとともに、現地調査や調停期日以外にも当事者双方から意見聴取するなど手続を進めたところ、昭和52年(1977年)12月、当事者双方の間で本件紛争を円満に解決するため、被申請人は、申請人らに対し、解決金として金390万円を支払う等を主な内容とする和解が成立し、同日、調停申請は取り下げられ、事件は終結しました。

渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件関係図

渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件関係図

調停成立後の関係事案の経過等

(1) 公害防止協定の締結

 昭和47年(調)第8・9・14号事件及び昭和48年(調)第15号事件の調停条項(以下「本調停条項」という。)において公害防止協定の締結に努めることとされていることを受け、昭和51年(1976年)7月古河鉱業株式会社と群馬県及び栃木県との間において、また同社と群馬県、桐生市及び太田市との間において、(i)坑廃水及び環境における水質の測定、(ii)前記(i)の測定結果の県等への報告、(iii)県等の公害担当職員の鉱山への立入調査の実施、(iv)鉱山及びその周辺の緑化等環境美化、(v)公害防止協議会の設置等を内容とする公害防止協定が締結されました。

(2) 汚染農用地の対策

 本調停条項において農用地土壌汚染対策計画の実施の早期実現を図ることが定められたことを受けて、昭和55年(1980年)、「渡良瀬川流域農用地土壌汚染対策計画」が決定され、当該公害防止事業に要する経費について、事業者である古河鉱業株式会社の費用負担計画が定められ、公害防除特別土地改良事業(特定有害物質(カドミウム・銅)によって汚染された農用地に対し排客土及び反転工並びに区画整理等を施工)が昭和55年(1980年)度から平成11年(1999年)度まで実施されました。

(3) その他の和解

 当委員会で進めた調停の成立に続いて、古河鉱業株式会社を相手方として、桐生地区の被害者で結成した「桐生地区鉱毒対策委員会」は、自主交渉の結果、昭和50年(1975年)に被害補償金2億3500万円の支払で和解契約が成立し、また、韮川の被害者で結成した「太田市韮川地区鉱害根絶期成同盟会」も、51年(1976年)に被害補償金1億1000万円の支払で和解契約が成立しました。

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