はじめに
弁護士の園尾です。今日はスキー帽を被って出てきましたが、これは昨日からの雪で安比(あっぴ)高原の雪質がよくなったから講演後にスキーに出かけようというわけではありません。実は、昨年末の雨の日に地下鉄駅踊り場で滑って後頭部を打ちました。年末で所属事務所を替わるため両手に荷物を持っていたのが災いしました。「腹に一物(いちもつ) 手に荷物(にもつ)」という状態でした(笑)。そのときは何ともなかったのですが、1月28日早朝、手足が動かなくなり、救急搬送されて慶應義塾大学病院で頭蓋骨切開・硬膜下血腫排出用ドレーン挿入手術を受け、5日後の一昨日2月1日に本講演のために退院しました。まだ療養中のため、保護帽を被っています。座って話すと声に張りがなくなりますので立ってお話しますが、脳を保護するため、なるべく小さい声でお話します(笑)。
1 公害等調整委員会の原因裁定申立事件での経験
(1)私と公害等調整委員会との接点
私は、東京高裁で裁判長をしているときに、公害等調整委員会の審査官を経験した陪席裁判官がいて、その裁判官から公害等調整委員会の話をよく聞きました。退官後弁護士になってから今まで11年間のうちに、原因裁定の申立てをした経験が1件、県公害審査会に調停の申立てをした経験が1件、府の公害審査会に調停申立てを受けた企業の代理人になった経験が1件あります。これらの経験に基づいて、お話したいと思います。
(2)県公害審査会への公害調停申立てが不受理で終了
産廃業者は、クレーン車に吊り下げた大型磁石で鉄の廃材を釣り上げ、大型トラックの荷台に落下させて積み込む作業をします。そのときの騒音は、まさに轟音です。その作業をしているときは、隣地の会社の5階にある会議室で会議もできないぐらいの騒音になります。廃材を積み込む作業をしている場所は、会社ビル外壁と産廃業者敷地との間の細長い土地で、産廃業者が破産管財人から買ったものです。破産事件を早く処理したい管財人が地形の悪いその土地を隣地の産廃業者に売り払ったものでした。産廃業者は、その土地に大型トラックを止めて廃材積込み作業を始めたのです。隣地の会社では、その騒音を何とかしてほしいということで、まずは県の公害の審査会に公害調停の申立てをしたのですが、その地域が準工業地域であったこと、産廃業者と隣地の大型企業本社との紛争であること等から、調停成立の見込みがないとして、受け付けてももらえませんでした。
(3)公害等調整委員会に原因裁定の申立てをするまでの顛末
騒音問題の持って行き場がなくなった会社から、どうしたらよいかと改めて相談がありました。個別企業間の騒音被害の問題ですから、公害等調整委員会に調停の申立てをしても、重大事件・広域処理事件・県際事件のいずれにも該当しないので、県の公害審査会に行くように言われるはずです。公害等調整委員会に担当してもらうには、原因裁定又は責任裁定の申立てをするほかありません。しかし、原因は明らかですから原因裁定には馴染まない。お金がほしいわけではないから責任裁定の申立ても適当でない。そこで、当事者間で話し合いを続けてみようということで、相手方にこちらから金額を示しての解決案を提示しました。不動産業者の意見に基づき、その産廃業者が他に移転し得る適地を見つけ、検討用資料も付けて、土地購入代金プラス移転費用を合わせて10億円支払うという提案をしたのです。ところが、産廃業者はその金額では移転に応じないということで話し合いは決裂しました。
これでは話し合いは無理なので、公害等調整委員会で審査官を経験した元陪席裁判官に相談しました。「実際には調停を申し立てて話合いをしたいのだけれど、公害等調整委員会に調停申立てをすると、管轄する都道府県に行きなさいと言われてしまう。原因は明らかだけど原因裁定の申立てをしてよいだろうか」と訊くと、「よい方法です」と言うのです。優秀な元陪席がそういうので、勇気を出して原因裁定の申立てをしました。そうしたら、何と受け付けられたのです。これにはみんな喜びました。もっとも、受け付けられてよかったと言っても、どういう解決になるかは誰にも見通せませんでした。
(4)公害等調整委員会での審理から調停成立まで
審理を担当する裁定委員会が定められて審理が始まると、期日に双方の事情聴取がなされ、その後、当方が提案した移転案についての検討に入ってくださいました。期日を重ねて意見交換がされた後に、紛争地である名古屋まで裁定委員会と事務局の方々が出張してきてくださり、騒音の現場の見分の後、当方が提示する移転先候補地を見分してくださいました。しかし、相手方はいろいろ難点を上げて提案の受諾を拒否しました。そこで当方では、次の期日までに第2の代替地を選定し、近隣環境等も調査した上で、裁定委員会と相手方に第2次移転案を提示しました。裁定委員会では、意見聴取の上、再度、提案の移転候補地に赴く決定をしていただき、期日調整の上、再度、現地を見分していただきました。しかし、相手方は、この案にも難点を挙げて移転を拒否しました。その間に1年が経過しました。
そのため、裁定委員会は、調停手続を中止し、原因裁定の手続を進めることを宣言し、工場のある現場に専門家委員である大学教授を同行し、その助言を得て、騒音測定のために複数場所に機器を設置しました。その1か月余の後に、機器のデータの回収等のために再度の出張をしていただきました。データの分析検討の期間を経た後、改めて開かれた期日において、調停案の受諾の勧告(公害紛争処理法34条)に進む方針を告げられました。当方では、騒音をいくらかでも軽減するため、今ある鉄製の塀の上に騒音防止のために高さ2メートル程度の防音板を付けることを調停案の勧告に加えていただく提案をしました。これに対して相手方も「付けるよう検討します」と回答しましたが、次の期日に、「それでは費用が高すぎるので70センチのものにしたい」と回答してきました。それだと単なる飾りのようになる可能性が高いのですが、ご尽力いただいている裁定委員会の措置にお任せしました。裁定委員会では、70センチの防音板設置を承認し、条項を加え、不履行があれば市の指導を受けた場合はこれに従うとの条項も加えて調停条項を定め、これを当事者双方に送達しました。この調停条項が異議なく確定し、調停成立とみなされて事件が終了しました。
(5)調停成立後の履行状況
欧米風に言うと、そのような調停条項で騒音が軽減されるとは考えられないのですが、実際の展開は全く日本風で、驚くべき結果となりました。出された調停条項には、この条項に違反があれば、市が介入する等の履行担保条項を入れて産廃業者を牽制しています。しかし、その牽制が効いた結果というよりも、調停が成立して終わったということ自体によって、相手方の態度がガラッと変わったのです。どう変わったかというと、騒音が出る作業をするときには事前に、「いついつ騒音が出ます」と言ってくる。「その時に大事な会議がある」と言うと、その時には騒音のある作業を延期するか、あるいは自分たちの持っている工場の奥の作業に変えるとかをやってくれるようになりました。
もし調停条項が守られないとしても、実際には調停条項に基づいて強制執行をすることは困難です。しかし、公害等調整委員会が仲介して調停が成立することによって、当事者の態度がガラッと違ってくるのです。私はその後、その会社にときどき出張して立ち寄っていますが、様子を訊くと、「あれから良く変わりました。あの申立てをして本当によかったです」と言われます。産廃業者のほうも、お隣りさんとの良い関係が戻ったということで喜んでくれていると思います。これまでもコロナの集団接種などでお隣り同士協力してきましたから、その関係が戻ったことを皆がうれしく思っていると思います。日本でなければ考えられない解決だと思います。代理人としてもうれしい経験でした。
2 府の公害審査会の調停事件での経験
先の県公害審査会の経験では、騒音公害紛争の調停申立てが受理されなかったのですが、県公害審査会の措置にも一理あるとは思いました。しかし、準工業地域であるその現場に行ってみると、周りにマンションが建て込んできており、その住民が多額の費用を負担して騒音を低減するための申立てをすることは困難です。そう考えると、なかなか難しい問題です。
その後、別件で、府の公害審査会において、それとはまったく違った経験をしました。府の公害審査会に申し立てられた騒音・振動等公害調停の相手方代理人として、私も審理に参加しました。申立人の主張と証拠では、裁判所に申し立てても請求を成り立たせるのが難しい事案であることは、関係者がほぼ見通せるのですが、府の公害審査会では、法的議論はさて置いて、当事者それぞれの事情を熱心に聴取して、当事者が感じる真の難点と譲れる範囲はどこなのかについて、公害審査会のコメントも加えつつ、熱心に和解に向けた協議を主催されました。当初は、双方当事者から見て和解は難しいだろうと思われたのですが、何度か期日を重ねていくうちに、双方当事者に公害審査会の調停委員長の言葉が徐々に心に響く現象が起こり、1年半の調整の後に、一定の金銭を支払い、公害審査会の進めるいくつかのことを努力することを盛り込む調停が成立しました。公害審査会が定める損害賠償金は、多額とはいえない金額ですが、申立人は、その和解金で家屋に防音工事をすることにより自らを納得させることができ、被申立人は、従業員が近隣関係で困惑させられることがなくなるということで、双方が納得した解決になりました。法律では処断し切れないものの、双方の関係を改善するため、一定の時間がかかっても意見の調整をする価値がある事件があるということを認識する貴重な経験になりました。
3 公害等調整委員会の審理の特徴
(1)職権証拠調べの実施
公害等調整委員会においては、当事者が申請した証拠を対比するだけではなく、当該事件に相応しい委員で裁定委員会を構成し、必要に応じて専門委員も審理に加えて、専門的見地に基づいて審理を進めます。当事者の提出した主張と証拠に基づいてそのいずれが正当かを判断する司法上の原則とは違った仕組みを持っています。司法上の原則は、欧米諸国の審理の原則に倣って、判断者が白紙の状態で当事者双方の主張を聴き、虚心に当事者双方の提出する証拠を見て、どちらの主張が優勢かを判断することです。公害等調整委員会は、これとは違って、真実発見を優先する仕組みをとっていることになります。
(2)出張調査の利用
公害等調整委員会は、裁定委員会と事務局が紛争の現場に赴いて双方当事者の説明を聴いたり、専門委員を同行して現地を見分した上で専門的意見を求めたりします。私が所属していた裁判所でも、かつては出張しての見分を多用していましたが、現在は、出張しての見分をすることは極めてまれになっています。現地に行く前には、わかっていると思っても、現地に行ってみると、実情がよく理解できて、それまでの理解が不十分だったと認識することが、私の経験でもしばしばでした。しかし、最近では、裁判所が自ら紛争の現場に足を運ぶことは極めてまれになっています。その意味で、公害等調整委員会の姿勢は、現在司法にはあまり見られない貴重なものになっています。
(3)手続上重要な費用の国庫負担
公害等調整委員会は、費用負担についても、司法の原則を遥かに超える仕組みを持っています。公害等調整委員会の手続について規定する公害紛争処理法においては、「あつせん、調停、仲裁、責任裁定、原因裁定又は証拠保全の手続に要する費用は、政令で定めるものを除き、各当事者又は証拠保全の申立てをした者が負担する」と定められています(44条1項)。これは費用の当事者負担を定めるもので、司法の規定と変わりがありません。ところが、その例外を定める政令において、手続上重要な費用の国庫負担が定められているのです。呼出・送達・出頭・出張・鑑定は国庫負担とされています(公害紛争処理法施行令17条)。特に、当事者にとって負担感が大きい「出頭・出張・鑑定」が国庫負担とされているのは、大変思い切った規定です。司法手続では、それは一切認められていません。公害等調整委員会にはそれがなぜ許されるのかというと、公害等調整委員会が本来的に被害を訴える者を救済しようという思想を持っているからです。その重要な観点を法律で規定せず、施行令で規定するところが公害等調整委員会を創設した者の賢明なところだと思います。司法関係者のような固い頭では到底思いつかない技法です(笑)。
司法の判断に被害者救済という判断基準はありません。司法は、あくまで双方当事者の言い分の当否を公平無私の立場から判断するものです。これは司法判断の大原則です。しかし、公害等調整委員会は、被害者救済の視点を持っています。公害等調整委員会が公害紛争の調整に当たる対象には、大気汚染、水質汚濁、航空機騒音のように被害の外縁が明瞭に区切れなかったり、放置すれば生命が脅かされたり、身体・精神に甚大な障害が生じたりする可能性が高いものがあり、公益の観点から、被害を食い止め、被害を救済するという役割を担っているからです。それがゆえに、公害等調整委員会には、司法の範囲を超える役割が与えられているといえます。ADR機関に対して、これほど自在に行動する権限を与え、費用の手当もしている例は、世界に類例がありません。
(4)判断者自らが和解を主催
我が国では、伝統的に、裁判官が職権で和解勧告をした上、自らが和解を主催するのが原則です。公害等調整委員会もわが国の裁判所と同じ仕組みを持っており、原因裁定・責任裁定をする場合にも、裁定委員会が自ら調停を主催するものとされ、職権性の強い手続となっています。これに対して欧米諸国では、判断を担当する者が自ら和解を主催することは、一般に不公正であると考えられています。和解の場で得た非公式な知識を判断に使うのを排除して公正さを確保するためです。
(5)個別面接
これに加えて、和解勧告をして和解の調整をする場合に、個別面接による意見聴取が行われています。そのことに違和感を持つ人は、わが国にはあまりいません。私の裁判官としての経験でも、調停・和解の場では、原則として、当事者から個別、かつ、交互に意見を聞いていました。これに対して欧米諸国では、個別の場で判断者が知識を得ることは、公正な判断の障害になるということで、相手方から書面で明示の同意がない限り許されないのが原則です。
(6)三層構造
公害等調整委員会には、その下に2層の機関があります。公害等調整委員会は、中央機関として、あっせん、調停、仲裁、裁定を取り扱います。全国各地には都道府県公害審査会があり、ここでは公害調停を取り扱います。ただし、重大事件・広域処理事件・県際事件は公害等調整委員会が取り扱います。また、市町村等では公害苦情相談が実施されます。このような3層構造により、全体として公害問題を取り扱う体制をとっています。
(7)公正解決の目標
公害等調整委員会が行うあっせんについて、公害紛争処理法は次のように規定しています。「あつせん委員は、当事者間をあっせんし、双方の主張の要点を確かめ、事件が公正に解決されるよう努めなければならない」(公害紛争処理法29条)。この規律は、調停や裁定の手続も支配しています。その意味するところは、「当事者双方の主張の要点を把握した上で、その主張に縛られて判断するのではなく、事件の公正な解決の観点から解決策を追求しなければならない」とするものです。これは司法判断の範囲を超える指針です。司法の判断には、当事者の申立てを全部認めるか、一部認めるか、全部を排斥するかの3つの選択肢しかありません。ところが、公害等調整委員会は、双方の主張の要点を把握した上で、次に行うべき責務は、「事件が公正な解決の観点から解決するよう努める」ことなのです。
4 江戸奉行所裁判との類似性
(1)江戸奉行所の裁判体制
今の公害等調整委員会の制度を、虚心に我が国の歴史と照らし合わせてみると、江戸時代に形成された奉行所裁判の制度と非常によく似た仕組みだと感じます。明治政府は、江戸幕府が反革命勢力であったため、帝国大学教育を統制し、明治の進んだ仕組みはすべて明治政府の指揮の下、欧米諸国に倣って構築したとか、江戸時代はすべてが武断的で野卑であったとの思想を展開しました。しかし、実像は必ずしもそうではありませんでした。特に江戸時代の奉行所制度では、公正な裁判を行う仕組みが整えられていました。
江戸奉行所裁判の制度設計について要点をかいつまんでご説明しますと、重要な裁判を担当する江戸・大坂・京には相互牽制の役割を担う2つの奉行所を置きました。民事裁判は、訴えた月が奇数月か偶数月かにより所管奉行所を異にしました。また、奉行が一定程度以上の裁判を行うには、全件上級機関である評定所(将軍代理及び江戸3奉行所奉行で構成される合議体)の裁許を得なければならないものとされ、佐渡奉行所や長崎奉行所からも裁許を求めるため早駕籠で江戸の評定所に参内させるなどの仕組みを整えていました。江戸時代260年間には、庶民から信頼を集める奉行が多数生まれ、江戸の裁判の原則は、その後のわが国の裁判に影響を与えました。アジア地域では珍しく、裁判官に賄賂がないと国民に信じられているのも江戸時代の奉行の評価のゆえです。その奉行所の体制と公害等調整委員会の体制と大変よく似ているのです。
(2) 江戸奉行所裁判の原則と公害等調整委員会の審理手続
ア 職証拠調べの実施
公害等調整委員会においては、当事者が申請した証拠を対比するだけではなく、専門委員を審理に加えて、専門的見地からの意見を求めたりします。当事者の提出した証拠に基づいてその主張の当否を判断するという司法上の原則とは違った仕組みを持っています。江戸奉行所裁判においても、奉行所は、当事者が提出する証拠ばかりでなく、自らが与力・同心・目明し等の配下の機関を用いて職権で証拠を調べ、それを重要な証拠に加えて裁判を行っていました。
イ 出張調査の積極利用
公害等調整委員会は、裁定委員会と事務局が紛争の現場に赴いて双方当事者の説明を聴いたり、専門委員を同行して現地を見分した上での専門的意見を求めたりします。江戸奉行所においても、証拠収集のために、与力・同心・目明し等を事件の現場に派遣して証拠を収集し、それを証拠に加えて裁判をしていました。
ウ 費用の国庫負担
公害等調整委員会の審理においては、呼出・送達・出頭・出張・鑑定は国庫負担として、審理に重要な手続は国費で実施するものとしています。江戸奉行所裁判においては、職権調査は、奉行所が扶持米を支給する与力・同心・目明し等によって行われていました。
エ 判断者自らが和解を主催
我が国では、伝統的に、裁判官が職権で和解勧告をした上、自らが和解を主催するのが原則です。公害等調整委員会も我が国の裁判所と同じ仕組みを持っており、原因裁定・責任裁定をする場合にも、裁定委員会が自ら和解を主催する職権性の強い手続となっています。江戸奉行所においても、奉行又は与力が職権で和解勧告をした上、自らが和解を主導するのが原則でした。
オ 個別面接
和解勧告をして和解の調整をする場合に、司法でも公害等調整委員会でも、個別面接による意見聴取が行われています。江戸時代の奉行所裁判においても、当事者間の調停に当たる村役人・町役人は、当事者から個別に意見聴取をするのが原則でした。
カ 三層構造
江戸奉行所の裁判は、一定以上の重要度のあるものは、奉行が判決を下す前に、上級機関である評定所の裁許を得なければなりませんでした。それに加えて、特に重大な事件、広域にわたる事件、藩相互の事件は、評定所が直接審理しました。評定所は、将軍代理と江戸3奉行所の奉行で構成される合議機関でした。公害等調整委員会においても、全国各地の都道府県の公害審査会は公害調停を担当しますが、重大な事件、広域にわたる事件及び県際事件は、中央機関である公害等調整委員会が直接審理することとされています。住民に身近な市町村が公害に関する苦情処理を担当することとしているのは、奉行所裁判において、村役人・町役人が当事者間で調停が成立するよう尽力する体制と同じといえます。明治時代に創設された大審院も、江戸奉行所裁判と同様に、重大な事件は最終審である大審院が第1審として直接審理する仕組みでした。有名な大津事件は、大審院が第1審として大津裁判所に出張して、審理を遂げ、判決をした事件です。
公害等調整委員会の中で50年かかって、つい先日、最終解決までこぎ着けた瀬戸内海豊島の産廃事件なども、その仕組みに基づいたものです。豊島の産廃事件は、なぜ公害等調整委員会が取り上げたのかというと、産廃業者がいろんな県からやってきて物を捨てていく。重大事件で、かつ、広域にわたる事件だったからです。あの事件は、最終的解決までに50年という長い年月がかかりましたが、公害等調整委員会での調停によって、今は豊島が芸術の盛んな緑豊かな島になっているのです。
キ 公正解決の目標
公害等調整委員会が行う審理の原則は、当事者双方の主張の要点を把握した上で、事件の公正な解決の観点から解決策を追求することです。江戸奉行所裁判では、民事訴訟の審理の中で犯罪として処罰すべき事実が出てきたときは、奉行は、職権で刑事手続に移行させることができる仕組みが採られていました。当事者の申立ての範囲内で、それが正当か、一部正当か、全部が認められないかを判定する司法手続とは違っていました。民事事件を刑事事件に移行させるのは江戸奉行所裁判に特有のことですが、当事者双方の主張の要点を把握した上で、その主張に縛られて判断するのではなく、事件の公正な解決の観点から解決策を追求するという公害等調整委員会の審理の在り様は、江戸時代の奉行所裁判に起源を持つものといえます。
5 欧米諸国のADRとの対比
(1)アメリカでの弁護士会調停の経験
公害等調整委員会の存在や手続が世界に例を見ないものであることをお示しするために、欧米諸国のADRの実情についてお話します。
私は、今から30年あまり前の判事補時代に1年間アメリカに出張してアメリカの裁判官の下で研修を受けたことがありますが、そこでアメリカの職権調停を経験しました。学校のトイレでの不同意性交の損害賠償事件です。裁判官は、調停に付する決定をすると、自らが調停を主催するのでなく、弁護士会の調停に委ねます。調停に当たったのは、原告側・被告側・中立の3人の弁護士です。調停委員は、双方当事者から事情を聴取して審理を終えます。その後、原告側委員は原告側の立場から調停案を出し、被告側調停委員は被告の立場から調停案を出します。中立委員は双方委員の意見を聞いて、中立の立場から調停案をまとめ、それを双方当事者に郵送します。それを双方が受諾すれば調停が成立します。どちらかが受諾しなければ訴訟に戻ります。双方当事者に対して、これこれの事情があるからこの程度譲歩してはどうかというような説得はしません。ただし、調停案より一定程度以上有利な判決が得られないときは、弁護士費用を含む相手方の訴訟費用を負担する義務を負います。ある意味、これはアメリカにおいて考えられている理想的な調停の姿だと思います。
(2)調停に関する国際シンポジウムでの経験
5年ほど前に台湾司法院(台湾最高裁)が主催する調停制度に関する国際シンポジウムに呼ばれ、基調講演を行ったことがあります。講演後、台湾の裁判官から質問の手が上がりました。「調停前に仮差押えをしないという理由がよくわからない」との質問でした。我が国では、調停前に仮差押えをする弁護士はいません。「話し合う前に仮差押えをすれば、真摯(しんし)な話し合いをする意思がないと受け取られて調停が成立しないからです」と説明したところ、会場から次々に手が上がりました。「仮差押えをしておかなければ譲歩が得られないではないか」というのです。
アメリカでこれと似たような経験をしたという弁護士の話を聞きました。その弁護士がアメリカのロースクールで、教授から優れた和解の手法の講義を受けた際に、「まず一発殴りなさい。その上で、もう一発殴られたいのかと言って、和解の協議をするのが基本だ」と教わったそうです。最初に重要な標的に爆撃を加えて、その後で和平の協議をするというやり方は、最近も多くの人が見てきたと思います。調停機関や判断機関は公平無私で、双方当事者から離れた立場で淡々と手続を進めていきますが、その分、当事者は、相手方に対して先制攻撃を加え、優位な立場で相手方に譲歩を迫ろうとするのです。調停・和解の姿勢においても、このような大きな違いがあります。
<主要参考文献>
○稲葉光彦『窮民救助制度の研究 ―帝国議会開設以前史―』(慶應義塾大学出版会、1994年)
○園尾隆司『民事訴訟・執行・破産の近現代史』(弘文堂、2010年)
○園尾隆司「優先主義・平等主義法制の歴史と将来展望〜ローマ法を起源とする優先主義と対比した我が国平等主義の位置づけ」(金融財政事情研究会、金融法務事情1996号(26頁)、2014年)
○園尾隆司『民事調停 世界に例のない制度がどのようにして形成されたのか』(金融財政事情研究会、2025年)
○上野透=池田千恵「米国のADR(特に公害・環境分野)について」(公害等調整委員会、機関誌「ちょうせい」第43号、平成17年)
○公害等調整委員会事務局編『公害等調整委員会50年史』(公害等調整委員会、令和4年)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000829083.pdf
後編は次号の機関誌「ちょうせい」第126号(令和8年8月)に掲載を予定しています。