弁護士 都築 政則(公害等調整委員会前委員)
公害等調整委員会事務局調査官 石田 耕一
1 はじめに
公害紛争の中でも低周波音に関する紛争は、地方公共団体によっては測定結果を得ること自体に困難を伴うことがあり、しかも、測定結果と被害感覚との乖離が見られることが多い上、低減策にも困難があるため、合意による解決が困難な事案の一つということができます。
本稿は、低周波音の公害紛争について、公害等調整委員会(以下「公調委」という。)において、最終的に調停成立に至った具体的なケースを素材とし、事件の概要及び解決の内容を紹介し(実際より簡略化しています。)、都道府県公害審査会(以下「審査会」という。)における調停の強みと特色をいかした実践の参考とするものです(機関誌「ちょうせい」第122号(令和7年8月)に掲載した実践例の2回目です。)。
本事例の特徴は、市による苦情相談や行政指導だけでは解決に至らなかった事案について、公調委が専門的知見に基づく事実確認を行い、その結果を踏まえて柔軟な調停を行うことにより解決に至った点にあります。この事例は、公害苦情相談と行政ADRである調停との役割分担や連携の在り方を考える上でも参考となるものです。
2 事件の概要及び手続の経過
この事件は、一戸建て住宅に居住する申請人らが、近隣のスーパーマーケットに設置された空調機及び冷凍・冷蔵設備の室外機(以下「本件室外機」という。)から発生する低周波音により、睡眠障害及び日常生活への支障等の健康被害を受けたとして、当該店舗を経営する事業者に対し損害賠償を求めた責任裁定(損害賠償責任の有無を判断する手続)申請事件です(本件室外機と申請人ら宅の窓までの直線距離はいずれも20m以内)。
申請人らは、当初、居住する市に対して苦情の申立てを行い、市の担当課において騒音と低周波音の測定を実施し、被申請人に対して対策を行うよう行政指導をしました。被申請人において、本件室外機の一部に防音カバーを設置したり、移設したりする対応を講じました。しかし、申請人らは低周波音による影響は解消していないと主張し、これに対し、被申請人はそれ以上対応できないとし、担当課も強制力を伴う指示を行う権限がないとしたことから、公調委に対する責任裁定の申請に至りました。
このように、市は測定や行政指導を行い、発生源者も一定の改善措置を講じました。しかし、申請人らはなお被害が継続していると感じており、他方で市には更なる対応を求める法的権限がありませんでした。このため、当事者間で解決策を話し合う調停等の紛争処理手続の活用が課題となりました。
申請受理後、公調委は、専門委員の関与の下で現地調査及び測定を実施し、同専門委員による測定結果の分析もされた結果、以下の点が判明しました。
(1)申請人ら宅で測定された低周波音は、感覚閾値(人が音を感じ始める水準。具体的数値は機関誌「ちょうせい」第125号(令和8年5月)5頁参照)より低いがそれに近い値(窓閉め時)か、感覚閾値を少し超過する値(窓開け時)となった部分があるため、申請人らの訴えがこれに起因している可能性はあること(窓開け時に音圧レベルが増加するから申請人ら宅外の音源が考えられること)
(2)しかし、本件室外機が稼働している時と稼働していない時の申請人ら宅における低周波音の音圧レベルの差がほとんどない上、申請人ら宅における低周波音の卓越周波数と本件室外機の稼働時の卓越周波数とが一致しないことから、上記(1)の低周波音について本件室外機に起因している可能性は低いこと
(3)本件室外機のオン・オフと申請人らの体感との間には相関関係がないこと
(4)申請人ら宅の低周波音は、いずれの場合にも環境省の評価指針に基づく「心身に係る苦情に関する参照値」(環境省が示している目安となる値。以下「参照値」という。具体的内容は機関誌「ちょうせい」第125号(令和8年5月)4頁参照)は下回ったこと
以上の結果、裁定委員会としては、本件室外機の低周波音が申請人らの主張する健康被害の原因であると認めることは困難であり、責任裁定としては棄却すべきという判断に至りました。
もっとも、公調委においては、裁定申請を棄却すべきと判断した場合でも、近隣紛争を話合いで解決することは、被申請人、特に地域で活動する事業者にとってもメリットがあることから調停の可能性について打診しています。本件についても、審問期日において、率直に上記の測定結果を説明した上、調停の可能性について打診したところ、申請人らは、上記測定時はいつもより低周波音の音圧レベルが低く、季節によってはもっと高くなるとして測定結果に納得していない様子を示しました。裁定委員会としては、そうであるなら、被申請人に対し、今回の測定結果を維持するよう努めること、今後の本件室外機の交換等の場合でも同様とすることを約束させることは、申請人らにとってメリットがあるのではないかと説得したところ、申請人らは直ちに応ずるとはいえないものの、その方向でもやむを得ないかとの反応を示しました。他方、被申請人はその約束をすることに応じるとしました。そこで、裁定委員会は、職権で本件を調停に付した上、以下の調停条項案を作成し、受諾勧告(調停委員会が解決案を提示して受入れを勧める制度)を行ったところ、設定された期間内に双方から受諾しない旨の申出がなかったことから、その案のとおり、調停成立に至りました。
現地周辺の状況
調停条項案
- 前記(1)から(3)の測定結果を相互に確認する。
- 参照値の内容と、申請人ら宅では参照値を下回ったことを相互に確認する。
- 被申請人は、本件室外機から発生する低周波音について、第1項の測定結果の音圧レベルを維持するよう努める。本件室外機を交換又は移設する場合も同様とする。
- 申請人らと被申請人は、互いに、他方当事者へ配慮することを約束する。
- 申請人らは、その余の請求を放棄する。
- 当事者間に、本件に関し、本調停条項に定めるほか、何らの債権債務が存在しないことを相互に確認する。
- 手続費用は各自の負担とする。
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3 低周波音事案で公害調停の強みと特色をいかす実践の方法
(1)事案に応じた事実把握
公害調停においては、当事者間の認識の隔たりを小さくし、解決の方向性を見いだすため、事実関係をできる限り具体的に把握することが重要です。
その方法は事案によって様々であり、資料の収集、現地確認、当事者からの事情聴取、関係機関からの情報収集などが考えられます。
本件では、公調委が専門委員の関与の下で現地調査及び測定を実施した結果、低周波音の状況や当事者の主張との関係について一定の知見を得ることができ、その後の合意形成に役立ちました。
もっとも、本件では既に市が公害苦情相談の一環として測定を実施しており、市区町村が苦情対応の過程で取得した測定結果や調査資料は、調停における事実把握の重要な資料となり得ます。その内容が十分に活用できる場合には、必ずしも改めて調停機関が測定を実施しなければならないものではありません。本件においても、市の測定結果を活用することは可能であったと考えられますが、公調委では、当事者双方の納得を得るため、また、音源との関連性や体感との相関関係等について専門的な観点から再確認するため、念のため専門委員による現地調査及び測定を実施したものです。
現地調査及び測定を実施して事案の解明を図ることは調停を運営する上で有効な方法ですが、低周波音は騒音規制法上の規制基準がなく、市区町村によっては測定体制が整っていない場合もあります。調停委員自ら測定のできる審査会等もありますが、それが困難な場合には、都道府県や市区町村の環境部局等の協力を得て測定を実施することも有効です。また、どうしても十分な測定ができない場合であっても、本件で行われたような音源と主張される機器のオン・オフを伴う体感調査や、当事者からの詳細な事情聴取、生活実態の確認等を行うことは可能であり、そのような手法によっても調停のための有益な説得材料を得ることができると考えられます。
このように、公害苦情相談を担当する市区町村等と調停機関とは、それぞれの役割に応じて事実把握を行い、相互に情報を活用しながら連携することが重要です。
(2)柔軟な調停案の検討
(1)で把握した事実関係を踏まえつつ調停内容を柔軟に検討していくことが必要です。例えば、参照値を超える場合には、低減策を検討する必要がありますが、低周波音の場合、科学的な根拠に基づく低減策を検討すること自体に費用がかかったり、採るべき低減策に高額の費用がかかったりすることがあります。調停委員の有する知識経験を活用したり、環境部局の協力を求めたりするなど、持てるリソースを活用して少しでも効果の期待できる対策を検討し、場合によっては、引き続きフォローアップをしていくとの条項を入れたり、対策費用の趣旨で金銭解決を提案するなど、柔軟に解決案を検討する必要があります。
他方、参照値を下回った場合でも、感覚閾値との比較など、他の要素も考慮の上、受忍限度(社会生活上受け入れざるを得ない限界)の判断を慎重に行うことが必要です。仮に、受忍限度を超えないと判断する場合でも、調停による解決は当事者双方にメリットがあります。例えば、測定結果を確認し、被申請人は今後もそれを維持するよう努力するほか、任意に協力できる対策(例えば、機器の更新時に移設するなど)を盛り込むことが、現実的な解決となることがあります。ただし、受忍限度を超えないと判断しながら被申請人に過度な負担を求めることは避けるべきです。
以上のような調整の結果、当事者のもう一歩の決断により合意成立の可能性がある場合、受諾勧告により調停委員会の見解を示して合意形成を後押しすることも重要です(仮に成立しなかった場合でも、調停委員会の示した見解はその後の紛争解決に役立つことになります。)。
(3)公害苦情相談による解決と行政ADRである調停の役割分担
地方公共団体による公害苦情相談は、公害紛争解決の第一段階として重要な役割を果たしています。例えば、市区町村は、現地確認や測定の実施、関係者からの事情聴取、行政指導による改善の働き掛けなどを行うことができます。
他方で、規制基準に適合している事案や規制対象外の事案では、行政指導のみでは当事者双方が納得できる解決に至らない場合があります。また、発生源者が既に可能な範囲で改善措置を講じている場合には、更なる対応を求めることが難しいこともあります。
本件は、市による苦情相談から始まり、測定や行政指導を経ても解決が困難であったため、公調委の手続に移行した事例です。公調委では、専門委員による現地調査及び分析を行った上で、その結果を踏まえた柔軟な調停案を提示し、最終的な合意形成につなげることができました。このように、調停は事実関係を丁寧に確認し、必要に応じて専門的知見も活用しながら、その結果を踏まえて当事者双方が納得できる現実的な解決を目指すことができます。
このように、公害苦情相談と調停とは対立するものではなく、それぞれが異なる役割を担いながら、段階に応じて連携して紛争解決を図ることが重要です。
申請から調停成立に至るまでのイメージ
4 おわりに
本件は、低周波音という評価の難しい問題について、専門的知見に基づく検証を通じて当事者の理解を深め、その結果として合意形成に至った事例です。このように、公害紛争の解決においては、苦情相談と調停とがそれぞれ異なる役割を果たしながら連携することが重要です。また、規制基準違反の有無を判断することだけでは紛争解決に至らない場合であっても、調停により柔軟な解決を図ることができる場合があります。
特に、参照値や感覚閾値との比較で受忍限度内と認められる場合であっても調停による柔軟な解決が可能であることを示した点に意義があります。ただし、反省点として、(1)公調委による測定を実施する前に、市による低周波音の測定結果を把握して検討すべきであったこと(利用できる内容なら解決が早まった可能性があります。)と、(2)調停条項として、今後市による行政指導(規制権限を背景とせずに苦情相談機関としての市が行う調整的な行政指導)が行われる場合には、被申請人はそれに従う旨の条項を設けるべきであったということが挙げられます。
今後は、市区町村担当者も含め、苦情相談による解決と調停等との役割分担について理解を深め、苦情相談の段階で可能な範囲で事実関係の把握や関係者との調整を行い、その上で解決が困難な場合には調停等への移行を適切に検討するという運用を共有していくことが求められます。また、紛争処理機関においては、事案の内容や体制に応じて、資料収集、現地確認、委員の知見の活用等の適切な方法により事実把握に努め、その結果を踏まえて柔軟な解決を図ることが期待されます。
本件は、公害苦情相談から調停等への円滑な移行や、事案に応じた事実把握の在り方を含め、公害紛争処理制度全体として解決力を高めるための取組(全体構想)を考える上で参考となる事例ということができます。
参考