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写真やデータで振り返る公害等調整委員会の50年(第1回 昭和40年代半ば頃〜昭和50年代半ば頃)

公害等調整委員会事務局


 公害等調整委員会の50年の歩みを、写真やデータから振り返ります。
 今回は、主に、公害紛争処理法(昭和45年法律第108号)が制定された頃から昭和50年代半ば頃までをご紹介します。

1 公害等調整委員会の設置

各地で発生する公害

 昭和40年代半ば頃までは、戦後の高度経済成長の過程で「四大公害病」(水俣(みなまた)病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)に代表される産業型公害が各地で発生し、個別法での取組が行われていました。
 このような状況から、公害対策の総合的推進を図り、国民の健康を保護するとともに生活環境を保全することを目的として「公害対策基本法」(昭和42年法律132号)が制定されました。
 
(写真)凧(たこ)揚げをして遊ぶ子供たちの向こうに、煙を吐き続ける煙突
(場所不明。昭和40年代)
出典;写真集 記録「東京の公害」

凧揚げをして遊ぶ子供たちの向こうに、煙を吐き続ける煙突

公害紛争処理法の制定

 昭和45年6月に「公害紛争処理法」(昭和45年法律第108号)が制定され、同年11月に中央公害審査委員会が発足しました。同委員会では、公害紛争の調停及び仲裁を行うこととされ、準司法的機能を有することから、特に独立性、中立性の確保が図られていました。
 同法では、公害紛争の解決のため、中央公害審査委員会を置く旨を規定したほか、条例で定めるところにより都道府県公害審査会を置くことができる旨も規定されました。
 
(写真)御署名原本「公害紛争処理法」
(国立公文書館所蔵)

御署名原本「公害紛争処理法」

公害等調整委員会の設置・発足

 昭和47年6月に「公害等調整委員会設置法」(昭和47年法律第52号)が制定され、中央公害審査委員会及び土地調整委員会(鉱業・採石業・砂利採取業と一般公益又は農林業などとの調整を図るため、昭和25年12月に「土地調整委員会設置法」(昭和25年法律第292号)が制定され、翌昭和26年1月に発足)が担っていた役割を統合する形で、昭和47年7月1日、総理府(当時)の外局として公害等調整委員会が発足しました。また、同年9月末に公害紛争処理の方法として、従来の調停及び仲裁のほか裁定制度が導入され、昭和49年11月にあっせん制度が導入されました。
 
(写真)御署名原本「公害等調整委員会設置法」
(国立公文書館所蔵)

御署名原本「公害等調整委員会設置法」


 なお、公害紛争処理法制定の背景、法の制定、新たな制度の導入、その後の制度改正等の詳細は、「公害紛争処理制度とその進展」に掲載しておりますので、そちらもあわせてご覧ください。

2 公害等調整委員会が取り扱った主な事件等

公害紛争事件の傾向

 公害等調整委員会の設置前後から昭和56年度までにおける事件申請数は、年平均41.4件で、直近10年の年平均21.8件の2倍弱でした。その内訳をみると、「不知火(しらぬい)海(かい)沿岸における水俣病に係る損害賠償調停申請事件」など、調停事件が約97%で、直近10年と比較して圧倒的に多い傾向にありました(直近10年は裁定事件が約89%)。
 

グラフ

【調停と裁定の違い】
 調停 当事者間の話合いを積極的にリードし、双方の互譲に基づく合意
 裁定(原因裁定)加害行為と被害との間の因果関係の存否に関する法律判断
   (責任裁定)損害賠償責任の有無に関する法律判断
 

不知火海沿岸における水俣病に係る損害賠償調停申請事件

 本事件は、昭和46年12月、熊本県から鹿児島県にまたがる不知火海の沿岸の漁民等が、チッソ株式会社水俣工場からの排水に起因した水俣病に罹患(りかん)し、これによって精神上及び財産上の損害を被ったとして、チッソ株式会社を相手方(被申請人)として、賠償金の支払等を内容とする調停を求めたものです。
 昭和48年4月27日、公害等調整委員会に係属中だった調停申請について、30人の患者とチッソ株式会社との間の調停(第1次)が成立しました。
 本事件は、昭和48年の第1次調停から令和3年度末で、55次にわたる調停がなされています。
 現在の調停手続では、水俣病患者の症状等に応じ、患者グループとチッソ株式会社との間の補償協定に定められたA、B、Cの3ランクのいずれに該当するかランク付けを行い、各ランクに応じて個々人の補償額等の決定、家族の補償等を中心とした調停を行っています。

参考:令和2年度公害等調整委員会年次報告(参考資料)第1編 第2章 第1節 1PDF
 
(写真)チッソ水俣工場(昭和34年撮影)
写真提供;水俣病資料館

チッソ水俣工場

渡良瀬川(わたらせがわ)沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件

 昭和47年3月、渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件(いわゆる足尾鉱毒事件)が申請されました。
 本事件は、昭和47年〜昭和48年申請、昭和49年・昭和51年申請の2つの調停事件に大別され、いずれも、足尾銅山の鉱業権者古河鉱業株式会社を相手方(被申請人)として、渡良瀬川上流の被申請人会社が経営する足尾事業所施設の廃棄物等から浸出する銅その他の重金属が渡良瀬川に流入し、下流で農作物に被害が生じたとして損害賠償を求めたものです。
 最初の調停事件については、昭和49年5月、被申請人は、申請人らに対し、被申請人の排出した銅その他の重金属等に起因して申請人らに損害を生じたことを認める調停が成立しています。

参考:渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件別ウィンドウで開きます
 
(写真)足尾鉱毒による農業被害などの補償調停の調印の様子。
手前後ろ姿は、小沢文雄公害等調整委員会委員長(当時)。
(昭和49年5月11日)
写真提供;共同通信社

足尾鉱毒による農業被害などの補償調停の調印の様子。手前後ろ姿は、小沢文雄公害等調整委員会委員長(当時)。

3 略年表

公害等調整委員会設置前から昭和50年代半ば頃まで、関係する主なできごとは次のとおりです。
年 月 事   項
昭和25年12月 土地調整委員会設置法(昭和25年法律第292号)公布
昭和26年1月 土地調整委員会発足(総理府の外局)
6月 土地収用法(昭和26年法律第219号)公布により意見照会制度を創設
昭和42年8月 公害対策基本法(昭和42年法律第132号)公布
昭和45年6月 公害紛争処理法(昭和45年法律第108号)公布
同法により調停、和解の仲介及び仲裁の手続を整備、また、中央公害審査委員会の設置のほか、公害審査会等を設置することができるとされた。
11月 中央公害審査委員会発足(総理府)
昭和46年6月 ○公害の防止に関する事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律(昭和46年法律第70号)公布(議員立法)
 12月 ○不知火海沿岸における水俣病に係る損害賠償調停申請事件を受付(昭和48年4月以降令和3年度末までに55次にわたる調停を実施)
昭和47年3月 ○渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件を受付(昭和49年5月調停成立、昭和52年12月和解成立)
6月 公害等調整委員会設置法(昭和47年法律第52号)公布
7月 公害等調整委員会発足(総理府の外局、土地調整委員会と中央公害審査委員会を統合)
土地調整委員会設置法の一部改正により鉱業等に係る土地利用の調整手続等に関する法律に題名改正
9月 公害紛争処理法の一部改正により裁定制度導入
昭和49年9月 ○公害健康被害補償法(昭和48年法律第111号)公布
11月 公害紛争処理法の一部改正により職権あっせん制度導入
注)年表のうち、「○」は関係法令や関連する動き。

次回予定

 次回の「写真やデータで振り返る公害等調整委員会の50年」(第2回)では、主に、昭和50年代後半頃〜平成10年代始め頃までの概要の紹介を予定しています。引き続きご覧ください。
 

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