本事件は,大阪国際空港に離着陸する航空機の騒音,振動等に係る公害紛争に関し,本空港周辺の住民から,本空港を管理,運用する国(代表者運輸大臣)を相手方として,公害等調整委員会に対し,48年2月に最初の調停の申請があった事件である。
本事件は,申請人の数が2万人を超えるという我が国の民事紛争史上まれなマンモス事件であるばかりでなく,国際空港という極めて公共性の高い施設の管理,運用に係る先例のない事件である点に際立った特色を有している。
調停委員会は,48年2月から51年2月までにかけて,伊丹市,宝塚市,尼崎市及び大阪市の住民2万138人から申請のあった事件(以下「伊丹事件」という。)と56年4月,川西市の住民592人から申請のあった事件(以下「川西事件」という。)とを各別にして調停手続を進めてきた。
61年度は,前年度に引き続き,これらの事件の迅速かつ適正な解決を目指して,精力的に調停手続を進めた結果,伊丹事件については,61年12月23日,慰謝料等金員支払請求に関して調停が成立し,これによって,10年余の長きにわたった伊丹事件の申請事項のすべての調停手続が終了した。
過去に成立した調停条項については,今後とも円滑に実施されていくことが期待されている。
また,川西事件については,鋭意調停手続を進めたが,62年度に繰り越した。
イ 事件の処理の経過
(ア) 調停委員会は,申請人が居住地域によって区分された9グループ(伊丹第1次〜第6次,宝塚,尼崎及び大阪の各グループ)と各別に調停手続を進めてきた。
調停委員会は,調停手続の進め方について,本空港周辺の申請人が受けている航空機騒音を可及的速やかに軽減することの緊要性を重視し,まず航空機騒音の軽減対策から進めることとし,これを当事者双方に提示したところ,伊丹第5次グループを除く8グループと国とがこれに応じた。
調停委員会は,国と8グループとに対し,50年9月8日及び9日,調停手続の進め方等についての調停委員会の見解(
別記1参照
)を示した上,10月14日から16日までの間に,航空機騒音の軽減対策に関し,発生源対策,空港周辺対策等を実情に即して計画的かつ段階的に実施する等の諸施策を盛り込んだ調停案を提示した。
その結果,10月28日には,国と伊丹第1次,伊丹第4次,伊丹第6次及び宝塚の各グループとの間で,また,11月14日には,国と伊丹第2次,伊丹第3次及び大阪(51年2月の参加申立者は含まない。)の各グループとの間で,それぞれ調停が成立した(
別記2参照
。)
尼崎グループは,調停案を拒否したので,調停委員会は,同グループ申請の航空機騒音の軽減対策に関しては調停成立の見込みがないとして,11月14日,調停を打ち切った。
なお,調停申請事項の一括調停を求めていた伊丹第5次グループは,53年3月28日,調停委員会の航空機騒音の軽減対策に関する調停案に同意して,国との間で調停が成立した(
別記5参照
)。
(イ) 次に調停委員会は,慰謝料等請求に関して,調停を進めることとした。しかし,本問題については,当事者双方の互譲を期待し難い状況であったこと及び航空機騒音に係る慰謝料等請求については,前述の訴訟事件の第1審及び第2審の判決以外の先例がなかったことから,調停委員会は,違法性の基準等法律上の諸問題については,これらの訴訟事件に関する司法機関の最終判断をまって,これとの整合を考慮することとした。
また,申請人の居住地域の騒音等の現状にかんがみ,調停委員会は50年10月及び11月に成立した調停条項(
別記2参照
)に加えて,生活環境等の整備及び地域防災対策に関し,行政施策の拡充について,検討,工夫を要すると判断した。
53年2月21日及び22日,調停委員会は,国と申請取下げの動きのあった宝塚グループを除く8グループとに対し,以上のような調停委員会の見解(
別記3参照
)を表明した上,慰謝料等請求に関しては最高裁判所の「上告事件の判断を俟って」調停手続を進めること,本件空港周辺地区の特殊性に対応する土地利用計画を含む整備計画に関する総合的調査,研究を促進すること等の調停案を提示した。
その結果,3月16日,国と伊丹第1次,伊丹第4次,伊丹第6次,尼崎及び大阪の各グループとの間で,また,3月28日には,国と伊丹第2次,伊丹第3次及び伊丹第5次の各グループとの間で,それぞれ調停が成立した(
別記4参照
)。
なお,10月24日,宝塚グループから,同グループが航空機騒音防止対策の一環として求めていた地域の共同利用施設が完成したこと等の理由で,申請の取下げがあった。
(ウ) 調停委員会は,その後,申請人が国に対し最も強く要求していた本空港の使用禁止問題に関して調停手続を進めた。
しかし,この問題は,単に騒音等の対策という観点からだけではなく,関西国際空港を含め我が国の総合交通体系,ひいては,我が国の総合政策の一つとして慎重に検討する必要があることから,調停委員会は,55年5月26日及び27日,当事者双方に対し,調停委員会の見解及び調停条項案の骨子(
別記6参照
)を提示し,6月20日,本空港の存廃については,国が,その責任において,関西国際空港開港時までに決定すること等の調停案を提示した。その結果,6月30日,国と伊丹第1次から第4次まで,伊丹第6次及び大阪の各グループとの間で,7月16日,国と伊丹第5次との間で,それぞれ調停が成立した(
別記7参照
)。
なお,尼崎グループは,この調停手続には最初から参加せず,態度を保留した。
(エ) 以上のような調停手続の経過により,53年3月の調停で調停手続の進行を留保した慰謝料等請求問題が残ることとなった。
前述の訴訟事件は,最高裁判所の大法廷で慎重に審理されていたが,56年12月16日,判決があった。
調停委員会は,これを受けて,本問題についての調停手続を再開したが,当時,別途,大阪地方裁判所に係属中の大阪国際空港事件の第4次訴訟及び第5次訴訟の併合審理の判断にも注目していたところ,59年3月,これらの訴訟は和解によって解決した。
7月12日,国から慰謝料支払に関する国の考え方の提示があり,また,9月20日には申請人グループから共同で,国の考え方に対する反論と対案の提示があり,調停委員会は,これら当事者双方の主張を慎重に検討する等して本格的に調停手続を進めた。
また,調停委員会は,60年2月,当事者双方の同意を得て,申請人のうち金員の支払を請求している者約1万3,000人全員に対し,金員の算定,支払の基礎資料とするため,居住関係等調書の提出を求めた。
この調査の過程で申請人の一部には,住所等を変更し,その所在等が不分明となっているものがあることが判明した。
調停委員会は,申請人各グループの代理人に対し,これらの申請人の所在について調査を要請した。
61年度に入り,調停委員会は,所在不分明者の調査をさらに促進するため,伊丹市,尼崎市,大阪市(淀川区)等の関係市町村の協力を得て,職権調査を進めるとともに,5月22日及び10月15日の官報公告をもって公示する等して所在不分明者の所在調査に努めた。
また,この調査と並行して,伊丹市等の現地において,申請人からの意見聴取,所要の調整等を精力的に進め,当事者双方の真摯な態度と誠実な対応とによる協力もあって,調停手続は,急速に進展した。
12月23日,調停委員会が提示した調停案について,当事者双方が合意し,慰謝料等金員支払請求に係る調停が成立した。
調停は,国と居住関係等調書等の基礎資料を提出した申請人1万1,112人との間で成立し,所在不分明者等基礎資料の提出がなかった申請人については,国との間で合意が成立する見込みがないと認めて,調停を打ち切った。
調停条項は,国が,調停の成立した申請人に対し,これらの申請人が申請した慰謝料等の金員支払請求全部について,本事件の紛争の解決金として18億1,000万円を62年2月10日までに,一括して支払うこと等を内容としたものである(
別記8参照
)。
調停委員会は,この解決金の算定に当たって,56年12月の最高裁判所の判決の考え方,当事者双方の意見等を参酌し,騒音の程度,被害を受けた期間その他の要素を加味して算出した。
なお,55年6月及び7月の調停に参加しなかった尼崎グループから,本空港の使用禁止に関する申請事項について,61年12月14日,その調停申請の取下げがあった。
これらの調停手続の終了によって,本伊丹事件は,調停委員会の調停事件としては,申請人の申請事項全部について終結したが,過去に成立した調停条項については,今後引き続き,円滑に実施されることが期待される。
大阪国際空港騒音調停申請事件のうち伊丹市,宝塚市,尼崎市及び大阪市の住民からあった申請に係る伊丹事件については,前述のとおり,61年12月23日,申請人の調停申請事項の全部につき調停手続は終結したが,62年3月3日,伊丹事件に係る大阪グループから,公害等調整委員会に対し,53年3月16日に成立した調停条項の第2項に規定する事項(本空港周辺地区の整備計画に関する総合的調査,研究の促進等)に関して,義務履行の勧告の申出(公害紛争処理法第43条の2第1項)があった。
現在,公害等調整委員会において,所要の手続を進めている。