昭和62年版 通信白書

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1 暮らしと通信の発達

(1)テレビジョン放送の普及

 ア テレビジョン受信機の普及
 テレビジョン放送は,28年に開始され,35年から,カラー放送も開始された。
 テレビジョン受信機は,白黒テレビが30年代において急速に家庭に普及し,39年には世帯普及率は90%に達した。また,カラーテレビについては,放送開始当初の30年代には伸び悩んだものの,40年代に入り急速に普及し,50年における世帯普及率は90%となった。そして,今日では,カラーテレビの世帯普及率は99%に達している。
 (価格の低下)
 テレビジョン受信機について,その価格(出荷金額)の低下と普及との関係をみると,価格の低下がテレビジョン受信機の普及に大きな影響があったことが分かる(第2-2-1図参照)。
 このうち,白黒テレビについては,一台当たり出荷金額が一世帯当たり月間可処分所得を下回るころから急速に普及が進んでいる。また,カラーテレビについても,価格の低下により普及が進んでいるが,白黒テレビの場合と比較すると,一台当たり出荷金額が一世帯当たり月間可処分所得を下回って2,3年後に急速に普及が進んでいる。
 (受信可能世帯の拡大)
 受信可能世帯は30年には全国の36.0%であったが,郵政省が全国的規模の周波数割当計画を短期間のうちに決定し,全国置局の方針を強力に推進したことにより,35年には,全国の79.0%と急速に拡大したことも普及の要因である。受信可能世帯の拡大は,一定のタイムラグをおいて普及率を増大させた。言い換えれば,民間放送における置局の進展と全国的に主要な地域で受信可能というネットワークの拡大により,テレビの利用価値が高まり,33年以降の飛躍的なテレビジョン受信機の普及がもたらされたものである。
 (放送時間の拡大)
 放送時間が拡大するにつれて,テレビジョン受信機の利用価値が高まり,起きている時間のほとんどすべてをカバーする18時間という放送時間になるにつれてテレビジョン受信機の普及が急速に進んでいる(第2-2-2図参照)。
 また,白黒テレビとカラーテレビの初期の普及状況を比較すると,カラーテレビの方が放送開始から普及が本格化するまでの期間が長くなっている。これは,白黒放送開始から5年後に,その放送時間が10時間56分(NHK総合)に達していたのに対し,カラー放送開始から5年後には,カラーの放送時間が2時間24分(NHK総合)にすぎなかったこと
によるものと考えられる。

 イ テレビ視聴の推移
 テレビに接触した人のテレビ視聴時間の推移についてみると,30年の1時間55分から35年の2時間8分へと30年代前半にはほとんど伸びていないが,30年代後半においては,視聴時間も増加しており,5年間で約1時間増加し,3時間となり,以後この水準は,今日まで続いている。これを放送時間の推移と比較すると,受信機の普及同様30年代半ばまでの放送時間延長という前提条件が視聴時間増大の下地となったといえよう(第2-2-3図参照)。
 また,テレビに接触した人,接触しなかった人を含めた国民平均のテレビ視聴時間は,35年の56分から40年には2時間52分と増加している。これに比べ,同じく国民平均のラジオの聴取時間は1時間34分から27分へと減少している。
 35年と40年のテレビ及びラジオの接触者率をみると,ラジオ接触者率の大きく減少した時間帯においてテレビ接触者率が著しく伸びており,テレビ視聴はラジオ聴取を吸収したことが分かる(第2-2-4図参照)。
 テレビの視聴時間とラジオの聴取時間の合計は,35年には2時間30分であったが,40年には3時間19分となっている。このように,テレビ視聴は,ラジオ聴取の時間を吸収しつつ,他の生活時間をも吸収していったものである。
 また,テレビ視聴時間は,40年ごろから3時間前後の高い水準で安定しており,60年には若干減少しているが,余暇活動の中では圧倒的なウェイトを占めており,暮らしの中における位置付けに,変化はみられない(第2-2-5図参照)。
 なお,こうした受信機の増加及び視聴時間の増加は,同じ映像メディアである映画にも強い影響を及ぼし,映像メディアの主役が映画からテレビへと完全に逆転した(第2-2-6図参照)。

(2)電話の普及

 ア 家庭における電話の普及
 住宅用電話の普及の推移は,第2-2-7図のとおりである。61年度末には,住宅用電話の全世帯に対する普及は,100世帯当たり81.1加入である。
 戦後の電話需要は事務用が中心であった。しかしながら30年代後半に入ってからは,家庭における耐久消費財に対する需要が急増し,これに伴って,47年には,加入電話に対する住宅用電話の比率が50%を超えた。
 こうした普及の状況を電話の自動即時化との関係からみる。
 市内電話網の自動即時化については,ダイヤル化が40年代になって大幅に進展し,50年度末のダイヤル化率は99.4%と,ほとんど達成された(第2-2-8図参照)。また,市外電話網の自動即時化を市外回線の種類からみると,35年には手動接続回線が中心であったが,40年代に入って相手先を直接ダイヤルして接続する自動接続回線が急増した(第2-2-9図参照)。
 このように,電話網の拡充による利用増大に対応するため,自動化,即時化が図られ,それによる電話サービスの改善が更に需要をよんで,住宅用電話の普及が一層進むこととなった。また,所得水準の上昇と国民が生活の利便性の向上を求めるようになったことにより,電話は必需品であるとの認識が定着してきたこと,生活行動圏の拡大,核家族化の進展等国民生活の様式に変化が生じてきたことなども電話の普及に大きく寄与した。
 なお,30年代に有線放送電話の端末設備数が大きく伸びたことは,電話のニーズが強かったことを示すものと考えられる。

 イ 公衆電話の普及
 公衆電話についても50年代まで順調に普及していた(第2-2-10図参照)。家庭で電話が普及する以前の段階においては,公衆電話は家庭の電話の代替的機能を果たしていたので,積極的な設置が進められていた。
 しかし,会計検査院の59年度決算検査報告で,委託公衆電話について効率的な設置及び適切な管理を行って収支改善を図るよう改善の処置を求められたこともあり,NTTにおいて利用の少ない公衆電話について見直しが図られた結果,公衆電話数は,60年度から減少に転じている。

(3)郵便の普及

 我が国の郵便制度は,明治4年に発足し,1年4か月後には,ほぼ全国的な郵便網が完成した。
 郵便発足当初の郵便物数と郵便局数の推移は,第2-2-11図のとおりである。郵便は,その普及に先だって,施設の整備が進展したメディアであったことが分かる。人口10万人当たりの郵便局数についてみると,明治15年には15.1局であり,昭和61年度末現在19.5局であるのと比較すると明治15年頃には既に極めて高い水準にあったことが分かる。
 その後の郵便物数は,大正3年から7年の第一次世界大戦時や昭和30年代の高度成長期に経済発展に伴って急激に増加している。
 戦前においては,一般の家庭では,郵便がほとんど唯一の通信手段であり,その中で郵便は,暮らしの中に完全に定着した。
 また,近年の郵便利用についてみると,郵便利用構造調査等から推計した私人差出しの一人当たり年間郵便差出通数の推移は,第2-2-12図のとおりである。全体として緩やかな伸びを示しており,年賀郵便を除くと,横ばいである。また,年賀郵便は,一人当たり26.8通で年間郵便差出通数の半分以上が年賀郵便となっており,国民生活の風習として定着しているが,これは,郵便の儀礼性の高さを最も特徴的に表すものである。

第2-2-1図 テレビジョン受信機の一台当たり出荷金額,普及率,一世帯当たり月間可処分所得の推移(1)

第2-2-1図 テレビジョン受信機の一台当たり出荷金額,普及率,一世帯当たり月間可処分所得の推移(2)

第2-2-2図 テレビの放送時間と受信機の普及の推移

第2-2-3図 テレビ接触者の視聴時間の推移(平日)

第2-2-4図 テレビ及びラジオの接触者率の変化

第2-2-5図 余暇活動時間の推移(平日)

第2-2-6図 映画入場者数とテレビジョン受信機の普及の推移

第2-2-7図 住宅用電話の普及の推移

第2-2-8図 市内電話網の自動即時化の進展

第2-2-9図 回線種類別市外回線の推移

第2-2-10図 公衆電話数の推移

第2-2-11図 当初の郵便局数と内国通常郵便物数の推移
 

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