昭和57年版 通信白書

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第3節 諸外国における通信政策及び事業運営をめぐる動向

1 米国通信法改正の動向

 米国の通信法は,1934年に制定され現在まで至っているが,近年,議会において,同法を改正する動きが活発化してきている。
 こうした中で,上院では1981年4月,パックウッド商務・科学・運輸委員会委員長らが中心となり,「1981年電気通信の競争及び規制緩和法案」(以下「81年通信法案」という。)を作成し,法案は同年7月に同委員会を通過し,さらに10月本会議において可決された。
 また,上院では1982年5月,ゴールドウォーター議員が提出した米国における国際電気通信の規制緩和を目的とした「1982年国際電気通信規制緩和法案」が商務・科学・運輸委員会に付託されたが,その後同委員会の通信小委員会で公聴会が行われた結果,81年通信法案と重複する条項を削除するなどの修正が加えられ,法案の名称も「1982年国際電気通信法案」となり,8月下旬同委員会へ再提出された。その主な内容は,[1]FCCは,本法施行後30日以内に国際通信サービスを規制又は非規制対象とすべきものに分類すること,[2]国内及び国際の両サービスを提供する通信事業体は別個のものとして扱い,両者は国内と国際の相互接続について他の通信事業者を平等に扱わなければならないこと,[3]米国の電気通信・清報政策を総合的かっ一貫性をもって推進するための特別委員会を大統領府の下に設置すること,[4]コムサットに対し「1962年衛星通信法」により規制されている条件を緩和し,直接ユーザへの業務提供を認めること,などである。
 一方,下院では1981年12月,エネルギー・商務委員会のワース電気通信小委員会委員長が通信法第<2>編(公衆電気通信事業者編)の改正を目的とした法案を発表した。同法案は,上院の81年通信法案と同様にAT&Tに対し分離子会社を通じて非規制分野への参入を認めてぃるものの,その参入条件は上院よりも厳しい内容となっている。法案は,1982年1月の司法省・AT&Tの反トラスト訴訟和解合意に伴い,この和解条件に関する内容について一部修正され,同年3月,電気通信小委員会で可決された。その後,法案はエネルギー・商務委員会に上程されたが,AT&Tの反対等にょり1982年7月に取り下げられ,同委員会での審議は中止された。このため,当面,上・下両院の通信法改正法案が成立する可能性は薄くなった。

 

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