昭和53年版 通信白書

本文へジャンプ メニューへジャンプ
トップページへ戻る
操作方法


目次の階層をすべて開く 目次の階層をすべて閉じる

2 電信電話の動向

(1) 電信電話サービスの現状と動向

 電信電話サービスの主なものとしては,電報,テレックス,電話が挙げられるがその現状をみてみると次のようになる。
 まず電報であるが,この利用通数は多くの国において,減少の傾向にある。各国の利用通数の1976年度における対前年度減少率をみると米国の減少率が最も高く,22.1%となっており,急速に減少していることが分かる。一方,フランスの電報通数の減少率をみると,比較的小さく,2.0%となっており,国によって相当な異なりをみせている。
 テレックスの加入数は,年々増加の傾向にあるが,その増加率は全体的にみて鈍化する傾向にある。
 1977年1月1日現在の全世界の電話機数は3億9,818万個であり,人口100人当たりの普及率は14.5個となっている。電話機普及率を各国別にみると,米国が71.8個で第1位であり,次いでスウェーデンの68.9,スイスの63.8,カナダの60.4,ニュー・ジーランドの52.0,デンマークの48.9等となっている。
 各国とも電報,テレックス,電話といった基本的サービスの普及,発展に力を入れているが,通信に対するニーズ及び電気通信分野における技術は激しく変化してきており様々な分野で高度化,多様化する国民のニーズにこたえるべく各国とも様々な努力が払われている。
 その一つが電子交換システムの導入である。
 米国のベル・システムにおいては1,300を超える電子交換システムが利用されており,ベルシステムの電話加入者の約24%は,電子交換システムによるサービスの提供を受けている。
 英国においては小局用電子交換機TXE-2のほかに大局用電子交換機の設置も進んでいる。
 西独においてはモータベーラ式交換機の時代から,蓄積プログラム制御の電子交換機(EWS)が実用化の段階に入り西独郵電省の計画によると,設置はミュンヘンをはじめとする大都市から徐々に行い,1984年ごろから小加入区域にまで拡大することとなっている。1995年にはEWS方式による加入電話が西独全体の半分に達する予定となっている。
 フランスにおいても,電子交換機の発注量が年々多くの比率を占めるようになってきている。
 次に注目されるのは画像通信システムの発展である。
 これは英国のプレステル(ビューデータ),西独のピルトシルムテキスト,フランスのティタン等の名称で知られているもので,コンピュータ,テレビジョン受像機,電話網を利用してテキスト伝送等を行うもので,今後における新しい情報メディアとして注目されている。
 英国では,プレステルのパブリックトライヤルを1978年6月から開始しており,1979年の初頭には商用に供することとなっている。
 西独では,英国のノウハウ等を導入しピルトシルムテキストとして開発しており1980年に実験を開始し,1982年には商用開始を目指している。
 次の注目される動きは,自動車電話サービスをはじめとする移動体通信サービスの動向である。
 米国では世界で初めて自動車電話サービスが提供され自動車電話機数は世界で最も多い。アメリカ電話電信会社(AT&T)ではこれまでよりも高品質の移動体通信サービスを提供することのできる大容量移動電気通信システム(High-Capacity Mobile Telecommunications System)を開発している。
 英国においては,1965年からロンドンで自動車電話サービスが開始されている。ポケットベルサービスについては1976年12月からロンドン地区でサービスが開始された。
 西独のヨーロッパ無線呼出しサービスは,1974年に開始され1976年末には約2,000となり,ライン河無線呼出しサービスは船舶無線局約1万2,000が加入している。
 フランスにおいては,1973年にパリ市内で自動車電話サービスが開始されて以来,リール,リヨン等の市内でも実用に供されている。最終的には人口10万人以上のすべての町にサービスを提供する予定である。ヨーロッパ無線呼出しサービスについては1975年12月からパリを中心とした北フランス地域でサービスが開始された。

(2) 通信政策及び事業運営をめぐる動向

 各国の電信電話事業は,公益事業として何らかの形で政府の関与がみられるが,その態様は一様ではなく,その国の歴史的発展形態及び段階,国民的資質により異なる。米国における私企業による運営,西独のような国による運営が両端に位置し,多くの国では日本,英国のように公社による運営形態がみられる(第1-2-15表参照)。これらの態様に従ってその国の通信政策もおのずから異なった特徴を持ったものとなっているが,ここでは,政策上の問題がドラスティックな形で顕在化している米国の状況について紹介することとする。
 米国の電気通信政策の推移をみるとその基本的理念は建国以来の国是である自由競争にあると言える。この理念も時代とともに変化し,その流れは,[1]自由競争時代(1847〜1907),[2]規制下の競争(1907〜1934),[3]規制下の独占(1934〜1968),[4]規制下の独占と競争併存(1968〜現在)に大きく分けられる。
 米国においては,最近の10年間に連邦通信委員会(FCC)の強力な競争導入,促進政策の展開がみられた。1968年の端末機器分野への競争導入(力ーターホン裁定),1969年の専用線分野への競争導入(MCI裁定),1972年の国内衛星通信分野への競争導入,1973年の付加価値通信業者(VAC)の認可,1976年の専用線の再販売・共同使用に関する裁定及び第2次コンピュータ調査の開始等が主なものである(第1-2-16表参照)。これら一連の新しい政策の展開によって,伝統的な分野での「規制下の独占」と新しい分野での規制下の競争政策が共存することとなった。
 以下,これらの新しい政策の展開について簡単に触れることとする。
(ア) 端末機器の自由化
 従来,私設システム及び自営附属装置の公衆網への接続は,AT&Tなど既存通信業者の料金表(タリフ)により禁止きれていたが,1968年FCCは,この禁止条項は不合理であり不当に差別的であるとのカーターホン裁定を出し,端末機器の分野に競争を導入した。
(イ) 特殊通信事業の認可
 従来,米国における国内長距離通信市場はほぼAT&Tの独占の状態であったが,カーターホン裁定の翌年の1969年にFCCはMCI裁定を出し,専用線分野に競争を導入した。AT&Tは専用線分野への競争の導入はいわゆる「クリームスキミング」であり,住宅用加入者に不利な影響をもたらすとして強く反対してきた。これに対し,FCCは,専用線分野への特殊通信業者の新規参入は,[1]増大かつ変容する通信需要を最も満足させるような選択と柔軟性を利用者に与えることができる,[2]通信サービスに対する多様な需要を経済的,迅速に満たすにはベル・システムだけではその責任を遂行することは困難である等の理由で競争を導入した。
(ウ) 国内衛星通信事業
 国内衛星通信市場への参入の自由化は,米国三大放送網の一つであるアメリカ放送会社(ABC)が1965年9月,自前の国内衛星通信システム建設認可をFCCに申請したことに端を発する。ラジオ,テレビジョン等の番組中継用国内回線は従来AT&Tの自然独占の形で提供されてきた。
 これについてFCCは,国内衛星通信サービスを提供するのに必要な財政的,技術的資格要件を満たすことを立証し,かつ公共の利益に合致するという事実認定を得ればすべての申請は認められるといういわゆる「オープンスカイ政策」を展開した。
 こうして国内衛星通信システムとして,1973年12月のサットコムシステムをはじめ,ウェスターシステム,コムスターシステムが運用されてきている状況の中で情報処理業界の雄であるIBMもサテライト・ビジネス・システム社(SBS)を共同設立し,この分野に参入した。IBMのこの分野への参入は関係各方面から大きな反響を呼んだが,1977年1月FCCは,SBSの提案システムは,公共の利益につながるという理由の下に条件付きながらもその申請を認可した。
(エ) 専用線の再販売・共同使用
 端末機器及び特殊通信分野への自由参入政策を積極的に推進してきたFCCは,1976年に「通信回線の再販売及び共同使用の規制方針に関する報告並びに命令」を出し,その中で,既存通信業者に対して専用線の再販売・共同使用を制限するタリフ条項を削除するよう命じた。
 このFCCの裁定は,関係各方面に大きな影響を与えることとなった。すなわち,[1]FCCは伝送設備を建設,所有し保守・運用する事業体が直接最終顧客にサービスを提供するといった通信産業の伝統からの離脱を認めた,[2]州際通信産業構造及び市場構造の二層化をもたらし,通信事業者は,基本的な通信回線及び交換サービスを提供する第一次的通信業者と,回線施設の提供を受けてサービスを再販売する第二次的通信事業者に分化した。これによって通信サービス市場は「卸売り」段階と「小売り」段階が混在することとなった(第1-2-17図参照)。
(オ) 消費者通信改革法案
 以上概観したようなFCCの強力な競争導入促進政策に対してAT&Tなどの既存通信業者は,FCCの政策が市内電話サービスの料金値上げに結びつき,公共の利益に反するという主張を終始行ってきた。このような電気通信分野における競争の制限を目的として,1976年議会に「消費者通信改革法案」が提出された。この法案は1934年通信法の改正を主な内容としており,その骨子は,[1]コストとサービスの価値を考慮した料金による一元的な州際・国際サービスが市内サービスの料金を安くするのに役立っている,[2]高品質のサービスを提供するため一元的な州際電気通信網が必要である,[3]特殊通信業者を認めることは,電話会社の州際収入の減少,重複設備等を生じ公共の利益に反する。これらのおそれのない場合のみ特殊通信業者を認めるべきである,[4]端末機器の規制の権限は州にある,などとなっている。
 この消費者通信改革法案は多くの論議を呼んだが第94議会においては,予想されたとおり決着がつかず,その後も審議が継続されている。
(カ) 1978年通信法案
 このような消費者通信改革法案とは別に言わばこの20年間の通信政策関係の論議を集大成した感のある1978年通信法案が議会自身の手でとりまとめられ1978年6月議会に提出された。
 この法案は,画期的な内容を持っており,今後の見通しについては困難な面も多いが,これからの米国の通信政策に大きな影響を与えることは確実であろう。以下この法案の骨子を紹介すると,
 まず,組織改正においては,[1]FCCを廃止し代りに「通信規制委員会」を設置する。規制は「市場機能が十分に働かない場合」にのみ必要とされる。[2]商務省の電気通信情報庁(NTIA)に代えて,政策立案を担当する独立の行政機関として電気通信庁(NTA)を設置することが挙げられる。
 次に公衆通信事業についてであるがこの骨子は,[1]いかなる公衆通信事業者に対しても,別個の会社を通してではあるが,「通信規制委員会」が電気通信業務及びその関連業務と認めたいかなるサービスを提供することも認める。これによってAT&Tは,「電話会社はその設備を電話サービスの提供にのみ使用することができ,規制されないサービスを提供することを禁止する」とした1956年の同意審決の束縛から解放されることになる。[2]いかなる独占的な公衆通信事業者(例えばAT&T)も,この法律の効力発生後3年以内に設備製造業者(例えばウェスタン・エレクトリック社)を放棄しなければならない。[3]市外通信サービスを提供する公衆通信事業者に対して「アクセスチャージ」を課し,これを財源にして「均一サービス特別基金」(ユニバーサル・サービス・コンペンセーション・ファンド)を創設する。この基金は,電話サービスの全国的な規模での利用を保証するために使用される。[4]国際電気通信サービスの国家政策的重要性に鑑みNTA長官を長とするタスク・フォースを設ける,などとなっている。
 1978年通信法案はこのほかに放送についても触れているが放送については「5.放送の現状と動向」において述べる。

第1-2-15表 欧米諸国における経営主体及び主管庁等

第1-2-16表 米国における通信政策史上の主な出来事

第1-2-17図 米国の電気通信事業の分類

 

 

第1部第2章第2節1 郵便の現状と将来への模索 に戻る 3 データ通信の現状と動向 に進む