昭和52年版 通信白書

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第1節 宇宙通信発展の歩み

1 衛星の出現と宇宙通信

 宇宙通信の幕あけは,1957年の「国際地球観測年」に宇宙空間の研究のために観測機器をとう載した人工衛星を利用する構想を米国及びソ連が発表し,この計画のもとに1957年10月,ソ連がスプートニク1号の打上げに成功したときであった。この衛星は,上層大気の密度や宇宙空間の荷電粒子等の観測データ,衛星内部の温度,圧力等のデータを電波で地上に送信してきた。続いて米国も4か月後にエクスプローラ1号を打ち上げ,地球の周囲に放射能層バン・アレン帯があることを発見した。
 このように初期の衛星は,主に科学観測を目的としたものであったが,衛星及びロケット技術の進展に伴って,人間生活に直接役立てようとする計画が進み,1960年に衛星から地上の雲を観測することを目的とした気象衛星タイロス1号により初の実利用分野の宇宙通信が行われた。1962年には,衛星上の中継器で受信電波を増幅して再送信する本格的実験用通信衛星テルスター1号が米国によって打ち上げられ,世界最初のテレビジョン及び電話の衛星中継に成功した。更に,宇宙通信に関する研究,開発が進展し,特に静止軌道への投入技術の確立に伴い実利用への可能性が高まった。
 通信衛星の分野では,テルスター系の衛星に引き続いて,中高度衛星のリレー系衛星が,更に静止衛星であるシンコム系の衛星が打ち上げられ,世界各国がこれらの衛星を利用した通信実験に参加し,多くの成果を挙げた。我が国においても,1962年から衛星通信実験の協力に関する日米両政府間の取決めに基づいて,国際的実験計画に参加することとなった。
 1962年,郵政省電波研究所鹿島支所に,直径30mのパラボラアンテナをもつ地球局が,また翌1963年には,国際電電茨城宇宙通信実験所の地球局が完成し,上記各衛星を利用した各種通信実験を行い,太平洋横断テレビジョン,電話中継等に次々と成功した。この一連の実験の中で特に印象深いものとしては,1963年11月のリレー1号による初の日米間テレビジョン中継の受信に成功した時,受像機の画面に写し出されたものが,米国大統領ケネディ暗殺の悲報であったこと,また,1964年10月にシンコム3号により,東京オリンピックの実況を米国に向けて初めて生中継し大成功を収めたことであった。これらの通信衛星による実験成果は,インテルサットに引き継がれて,本格的国際衛星通信の確立に寄与することとなった。
 初期の宇宙通信発展の動向は極めて多彩であるが,諸外国の動向としては,1965年にソ連が通信衛星モルニアI号を打ち上げ,衛星通信の分野にも独自の活動を開始したこと,1966年以降米国が応用技術衛星(ATS)数個による幅広い応用技術の実験を行い,郵政省電波研究所等がこの実験に参画したこと,1969年に,米国がアポロ11号により月面着陸に成功し,高度の宇宙通信技術が駆使されたこと,1970年に中国が初の衛星打上げを行い宇宙活動に参入したこと及び1972年カナダが初の国内用通信衛星によるサービスを開始したことなどが挙げられる。
 国内の動向としては,1969年に宇宙開発事業団が発足し,実利用分野の衛星開発に一歩を踏みだしたこと及び1970年に東京大学が我が国初の人工衛星として,「おおすみ」の打上げに成功したことが挙げられる。
 また,国際機関の動向としては,1967年に「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約(宇宙条約)」が発効し宇宙活動に対する規律原則が明確化されたこと及び1971年に国際電気通信連合(ITU)が宇宙通信に関する世界無線通信主管庁会議を開催し,宇宙通信の新しい規律について国際的合意が得られたことなどが挙げられる。
 

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