昭和48年版 通信白書

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2 外国郵便

 明治維新前から米国,英国及びフランスの各国は,居留民と本国との通信のために,横浜,神戸,長崎にそれぞれ郵便局を開設していた。我が国の外国郵便は,これらの外国郵便局を利用して明治5年から開始された。しかし,これらの外国郵便局の存在は,郵便に関する国権の侵害であるとして,これらの郵便局を撤廃させるとともに,それまでの煩さな交換手続を改善する目的で,まず,明治6年米国との間に日米郵便条約を締結した。この条約は,8年1月から実施された。これに伴い在日米国郵便局は明治7年末で閉鎖された。条約によれば,信書の郵便料金は4匁4分のもので15銭であった。欧州に向ける郵便物も米国を経由して送られることになった。
 明治10年2月,万国郵便連合へ加盟したことにより,加盟国のどこに差し出される郵便物も,同一種類のものは原則として均一料金になるなど,自由かつ手軽に利用できるようになった。万国郵便連合加盟が実現した結果,在日外国郵便局は,英国が明治12年末,フランスが13年3月までに廃止されることになり,ここに郵便の主権は完全に回復された。
 外国郵便は,第2次世界大戦の末期にはほとんどその機能を失ったが,昭和21年9月に種々の規制のもとに再開され,25年6月に取扱い上の制限はほとんど全面的に解除された。
 戦後における外国郵便の特徴は,航空郵便が伸長したことである。22年8月に初めて米国の航空機によって外国向け郵便物が差立てられ,29年2月日本航空株式会社の国際線が開設されるに及んで,航空郵便の利用はますます盛んとなった。34年ごろから世界の航空界はジェット機時代に入ったが,日本航空も35年8月東京・サンフランシスコ間を手始めに次々とジェット機を導入した。また,北極経由便の開設は,欧州への距離を縮めることとなった。このようにして,航空郵便は大幅にスピードアップされた。
 一方,船便郵便物についても昭和33年10月ナホトカ経由によりシベリア便が再開され,それまでスエズ運河又は米国経由によって約50日を要していた欧州あて郵便物は約25日で到達することになった。更に,43年11月からは日米間にコンテナ船による郵便輸送が開始され,輸送時間が大幅に短縮された。海上コンテナ輸送はその後関釜航路,カナダ航路,オーストラリア航路,欧州航路にも相次いで導入され到達日数の短縮に貢献している。
 なお,外国通常郵便物の変遷を第1-1-3図に示す。

第1-1-3図 外国通常郵便物数の変遷

 

 

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