昭和48年版 通信白書

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第2節 周波数分配

 周波数帯又は周波数を固定業務,放送業務等の各無線通信業務に対して配分することを周波数分配といい,各国は周波数を使用する場合,国際電気通信条約附属無線通信規則に定める周波数分配に従わなければならない。
 最初の国際的な周波数分配は1906年(明治39年)ベルリンで開催された第1回国際無線電信会議において,500kHzと1,000kHzの周波数が陸上一船舶間の電信用として定められたものであるが,その後電波利用技術の進歩に伴い,第3-6-2表に示すように十数度の国際会議において周波数分配の改正が行われた。
 すなわち,第1次世界大戦前まではいまだ無線通信の揺らん時代で,単に海上移動通信に使用する長波,中波の電波を規正するのみで十分であったが,大戦により無線通信技術が格段に進歩し,短波帯が利用されるに及び混信妨害が国際的な問題となってきた。このため,1927年(昭和2年)ワシントン会議では混信妨害を軽減し,周波数スぺクトラムを有効に使用する手段として,23MHz以下の周波数帯を固定業務,移動業務等五つの業務別に分配することとした。更に1932年(昭和7年)マドリッド会議では,世界的に共用する周波数帯及び地域的に制限して使用する周波数帯の区分が設けられた。
 その後,超短波帯の伝搬特性が解明されるに従い使用可能な周波数の範囲が拡大され,特に欧州では超短波帯の混信が問題となってきた。このため,1938年(昭和13年)カイロ会議では,テレビ用の周波数帯の確保を含め,200MHz以下の周波数分配表が作成された。
 第2次世界大戦を経て電波技術はレーダ,航空無線,移動無線,テレビ等飛躍的な発展を示し,また,新興国の誕生など電波をめぐる国際情勢の変化に対処するため,戦後初めて開催された1947年(昭和22年)アトランティック・シティ会議では,新たな国際電気通信条約が締結され,また,同条約に附属する無線通信規則も大幅に改正された。すなわち,分配周波数の上限は一挙に10.5GHzまで拡大され,地域区分も従来の欧州中心の区分から第1地域(欧州,アフリカ),第2地域(南・北アメリカ),第3地域(アジア,大洋州)に改められた。また,周波数の管理方法も各国の使用周波数を単にリストして周波数の選定に資するという従来の方式を改め,周波数帯別,業務別に世界的な周波数の計画を作成し,これに基づいて国際周波数登録委員会(IFRB)が使用周波数を管理することとした。
 この結果,世界的な周波数の計画を作成するため,1948年(昭和23年)から1950年(昭和25年)にかけ,臨時周波数委員会,地域主管庁会議,国際航空無線通信主管庁会議,高周波放送会議が相次いで開催された。次いでこれら一連の会議の結果を総合して,できる限り広範囲に各国の使用する周波数の割当計画を作成することを目的に,1951年(昭和26年)臨時無線通信主管庁会議(EARC)が開催され,3,950kHz以下の周波数帯の周波数割当計画及び4〜27.5MHz帯における海上移動業務と航空移動業務に対する周波数区域分配計画が作成された。しかしながら固定業務及び短波放送業務については,各国の利害が対立し,ついに周波数計画の作成は失敗に終り,これらの周波数の管理方法が最終的に決定されたのは1959年(昭和34年)のジュネーブ会議においてである。
 この会議では,分配周波数の上限が40GHzまで拡大され,また,宇宙通信,電波天文業務,無線標定業務等に新たな周波数が分配されるとともに,更に放送業務,海上移動業務等に関する分配が大幅に改正された。このほか,IFRBの機構,周波数登録手続その他技術上,運用上の諸問題について附属無線通信規則が改正されたが,これらの大部分は今日まで引き継がれているものである。
 その後1963年(昭和38年)に宇宙通信,1966年(昭和41年)に民間航空路の航空移動業務,1967年(昭和42年)に海上移動業務,1971年(昭和46年)に再び宇宙通信に関し部分的な周波数分配の改正が行われ,10kHzから275GHzまでの周波数帯が地域別及び業務別に分配されている。
 我が国では国際分配を基礎とし,これに国内事情をも考慮して周波数分配を定めている。

第3-6-2図 周波数分配に関する国際会議

 

 

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