昭和48年版 通信白書

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2 万国郵便連合(UPU)

(1) 概 要
 UPUは,郵便業務の効果的運営によって諸国民間の通信連絡を増進し,かつ,文化,社会及び経済の分野における国際協力という崇高な目的の達成に貢献するため(UPU憲章前文),1874年スイスのベルンで創設された。UPUは1947年の国際連合との間の協定によってその翌年から,国連の専門機関となっている。
 加盟国数は創設当時22か国であったが,昭和47年度末では148か国に達している。
 主な機関としては,連合の条約類を改正するために通常5年ごとに全加盟国の代表者(全権委員)を集めて開かれる「大会議」,大会議から大会議までの間において連合の事業の継続を確保する「執行理事会」(大会議選出の31の理事国から成る。),郵便の技術上,業務上,経済上及び技術協力上の問題を研究する「郵便研究諮問理事会(CCEP)」(大会議選出の30の理事国から成る。)及び連合の所在地であるベルンに置かれている「国際事務局」がある。
 我が国は1877年(明治10年),すなわち連合の創設の3年後,我が国の新式郵便制度創設の6年後にUPUに加盟した。欧米以外の国としては最も早く加盟した国であり,以来一貫して連合員として,1878年パリの第2回大会議以降,1947年パリの第12回を除いて毎回大会議に代表を派遣している。
 1952年ブラッセルの第13回大会議では,執行理事会の前身である実施連絡委員会の委員国に選出され,更に,その次の1957年オタワ大会議では同委員会の副議長国に選出された上,その時創設された郵便研究諮問委員会(現在のCCEP)の運営理事国に選出された。
 1961年には郵便研究諮問委員会運営理事会会議を東京で開催し,更に,1969年には第16回大会議を東京で開催した。東京大会議では我が国が議長をつとめ,現在施行されているUPU諸条約を作成した。また,次の大会議までの5年間における執行理事会の議長国に選ばれたほか,CCEPについては引き続き理事国に選出された。  UPUの技術協力活動についても,我が国は研修職員の受入れ,セミナーの実施,専門家の派遣,研究諮問理事会の研究活動への参加,研究主査国としての寄与等を通じて積極的に貢献している。
 また、我が国からUPU事務局への職員派遣も1959年から始まり,昭和48年7月末現在で2人であるが,今後なお一層の増加が望まれるところである。
(2) 47年度の活動と我が国の貢献
 47年度のUPUの活動は,前年度に引き続いて技術協力の充実に重点が置かれた。1972年は国連の開発第2次10か年計画の2年目であり,また,UNDPの援助の方式がこの年から改正され,各国の計画作成の段階からUPUが当該国郵政庁と協力しなければならなくなったことなどが主な理由である。  このほか特記すべき事項は,中国代表権の変更(1972年4月13日)である。1971年国連総会は,10月25日に「国際連合における中華人民共和国の権利の回復と題する決議2758(XX<5><1>)」を採択したので,専門機関であるUPUは,これについて何らかの措置を執らなければならないこととなった。我が国は執行理事会議長国として,同理事会内部規則の規定にしたがい,UPUにおける中国代表権をどのような手続で解決すべきかにつき理事国31か国に諮問を行ったところ,過半数が全加盟国に郵便投票を求めるべきとの意見であったので,国際事務局長に対し直ちに全加盟国諮問を行うよう議長名をもって指示した(1972年2月)。郵便投票の結果は,過半数が国連決議をUPUに適用することに賛成であったので,4月13日から中華人民共和国政府がUPUにおいて中国を代表する正当な代表者となった。
 1972年執行理事会会議は,5月1日から25日までベルンの国際事務局で開かれた。我が国は第1委員会(人事),UPU共済金庫財団理事会及び執行理事会本会議の議事を主宰した。この会議では,1972年及び1973年の連合の予算,1971年UPU活動報告書,国際事務局職員の昇進をそれぞれ承認したほか,新しい国際事務局職員規則の採択,UPU100年(1974年)記念行事の決定等が行われた。また,スイス開催の第17回大会議につき,会期は1974年5月22日から7月5日まで,場所はローザンヌと決定された。
 1972年CCEP会議は,11月13日から23日までベルンの国際事務局で開かれた。我が国は理事国の一員としてこの会議に参加した。また理事国である中国は,代表権回復後の初参加であり,郵政総局副局長以下10名を中国郵政庁から派遣した。CCEPは東京大会議から付託された36件の研究課題のそれぞれにつき作業部会を設けて研究を行っており,我が国は合計15の作業部会のメンバーとして研究に協力しているが,そのうちの「郵便輸送手段の効果的利用」については,研究のとりまとめを行う主査国となっている。1972年会議では,我が国は主査国としてこの研究の報告書案の概要を説明し,了承を得るとともに,その成果が高く評価された。この会議では,このほか封筒面のあて名の位置規制案等,次回のローザンヌ大会議に提出すべき提案が採択された。
(3) アジア・オセアニア郵便連合(AOPU)
 AOPUは,UPU憲章の規定に基づいてつくられた地域的な郵便連合であり,アジア・オセアニア郵便条約を基本文書とする政府間国際機関である。所在地はフィリピンのマニラで,アジア及び大洋州地域の郵政庁の間に広範囲な協力関係を設定し,かつ発展させるため(条約前文)1962年マニラで創設され,47年度末現在オーストラリア,台湾,インドネシア,日本,韓国,ラオス,ニュー・ジーランド,フィリピン及びタイで構成されている。
 機関はUPUに準じたものであり,「大会議(UPU大会議後2年以内に開催)」,「執行委員会」及び「中央事務局(在マニラ)」である。
 このような地域的郵便連合は,欧州,米州地域,アフリカ等にもあり,現在AOPUを含めて8機関ある。
 我が国は,1959年にフィリピンがこの連合の設立を提唱した当時から積極的にこれを支持し,1960年に東京で設立準備会議を開催し,1961年マニラの設立会議に代表を派遣したが,1962年設立当時は加盟国が少なく(4か国),十分な効果が得られない状況であったため加盟を見合わせていた。その後地域内諸国の強い要望もあり,1968年9月に加盟した。
 AOPUの主な活動は,郵便業務面では料金の引下げ,技術協力面では職員の交換である。我が国は1968年加盟以来条約の規定に従い,域内あての船便の書状及び葉書の料金を一般外国より40%引き下げている。職員交換には,1970年から参加している。また1969年には執行委員会を東京で開催し,1970年には第2回大会議を京都で開催した。京都大会議では我が国が議長をつとめ,現行の条約が作成された。
 47年度のAOPU執行委員会会議は,1973年3月オーストラリアで開かれることになっていたが,開催国の都合で無期延期となった。

 

 

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