昭和49年版 通信白書

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2 主な動き

(1) 石油危機
 第4次中東戦争を契機とするアラブ諸国の石油生産削減,原油公示価格引上措置は,一次エネルギー供給量の74.7%を石油に,更にその大部分を中東地域からの輸入に依存していた我が国経済に大きな影響を与えることとなった。
 石油危機に伴う社会,経済の混乱を可能な限り回避し,国民生活の安定と国家経済の円滑な運営を図るため,まず政府は11月16日「石油緊急対策要綱」を閣議決定し,石油,電力等のエネルギーの供給確保,消費節減のための諸種の施策を講じることとした。その一環として郵政省は一般放送事業者(民間放送)に対し,午前零時以降における深夜のテレビジョン放送を自粛するよう要請した。次いで「石油需給適正化法」等が12月21日成立したのに伴い,政府は同法に基づき,いわゆる緊急事態宣言を発するとともに,石油,電力の使用についても,法律の規定に基づく規制を行う等,緊急対策の一層の強化と浸透を図ることとした。当時テレビジョン放送を行っている民間放送87社のうち,83社が深夜の放送を行っていたが,各社とも12月以降逐次深夜放送の休止又は時間短縮を決定し,実施に移した。NHKでは1月中旬から夜間及び昼間のテレビジョン放送の一部を休止することとした。
 また,郵政省は日本電信電話公社(以下「電電公社」という。)に対しても資源節約の見地から電話帳の改善について検討を求め,その結果,発行周期の延長,配布先の縮小など,用紙の使用量を従来の約7割にする改革案が実施に移されることとなった。
 更に政府の総需要抑制策を受けて,電電公社の設備投資額の翌年度繰越額は約1,249億円となり,郵政省も同じく投資額のうち,約99億円を翌年度に繰り越すこととなった。
(2) 郵便事業経営の危機とその健全化
 郵便事業は,近代化・合理化等の各般にわたる経営努力にもかかわらず,最近における人件費の著しい上昇に伴い事業財政は窮迫の度を加えている。すなわち48年度においては133億円の赤字予算となり,49年度においては696億円の赤字,50年度においては,更に2千数百億円の赤字が予想された。一方,情報通信手段の高度化,国民の生活意識の変化に伴い,郵便の役割や利用構造も変化していくと考えられ,これに即応した郵便サービスの在り方を検討する必要がある。
 このような情勢下にあって,郵政大臣は「郵便事業の健全な経営を維持する方策」について郵政審議会に諮問した。48年12月13日,郵政審議会はこれに対し次のような骨子の答申を行った。
 答申は,第一に,郵便事業収支を改善し健全な事業経営を維持する方策について述べ,郵便事業収支の不足額は郵便事業にとって少なからざるものであり,かつ労働集約的な郵便事業の特質もあって,各種の合理化施策によっても,短時日に効果的にその不足額を償う方策はないと認められる等の理由から,郵便料金の改正を行うことが適当であるとしている。
 第二に,郵便料金改正とあわせ,今後の郵便事業経営に当たって採るべき措置に触れ,[1]最近における社会的変化に適応した郵便の在るべき姿について需要及び事業経営などの観点から長期的視野に立った検討をすべきである,[2]現下の諸情勢からみて,実情に即しないサービス,あるいは利用者に協力を求めるべき事項については,当面措置すべきものとして積極的にその改善に取り組むべきである,等としている。
 郵便料金の改正については,公共料金抑制の見地からその実施を一時見合わせることとされたが,今後,郵便事業にとってその経営をいかに健全化するかが緊要の課題となっている。
 なお,郵便の在るべき姿については,長期的視野に立った検討を進めるため,広く各分野の専門家の参画を得て「郵便の将来展望に関する調査会」を設置し,積極的に取り組むこととしている。
(3) 日中間の通信改善
 日中間の電気通信は,短波のほか,衛星を経由する回線により行われているが,急速に増大する通信の信頼性を増し継続性を確保するため,両国間に海底ケーブルを敷設することとなり,48年5月,北京において久野郵政大臣と鍾夫翔中国電信総局長との間で,「日本国郵政省と中華人民共和国電信総局との日本・中国間海底ケーブル建設に関する取極」が締結された。その内容は,日中間に十分な回線容量を有する海底ケーブル1条を共同で敷設すること,建設当事者は日本側は国際電信電話株式会社(以下「国際電電」という。),中国側は上海市電信局とすること,建設費用及び完成後の所有権は建設当事者が折半すること,ケーブル建設は,建設及び保守に関する協定を締結してから3年前後で完成することとなっている。
 この基本的な取決めに基づき,建設当事者たる国際電電と上海市郵電管理局(上海市電信局が改組ざれたもの)との間で,49年4月計画実施の基礎となる建設保守協定の成案がまとまり,国際電電は同年5月,郵政大臣の認可を得て,協定を締結した。ここに海底ケーブル建設の計画はいよいよ実施に移されることとなった。
 51年秋ごろ完成予定のこの海底ケーブルは,容量は電話換算で480回線,建設費総額は当初の見積りで約60億円である。完成後は日中間の通信のみならず他の諸国との間の通信にも積極的に使用されることとなっており,世界の電気通信発展のためにも重要な意義を有するものである。
(4) 第2太平洋ケーブルの建設
 我が国に発着する国際通信の量は年々急速に増大しており,また,その提供するサービスも電報,加入電信,電話,専用サービス,テレビジョン伝送,国際デーテル,データ通信等逐次多様化してきている。これらのサービスは短波,インテルサット通信衛星,太平洋ケーブル,日本海ケーブル及び日韓間対流圏散乱波通信回線を使用して提供されているが,なかでも太平洋ケーブルは昭和39年6月に開通したものであり,既に容量の限度まで使用されているため,最近の回線増設は,ほとんどが通信衛星施設に依存せざるを得ない状況にある。したがって,このまま推移すると通信衛星施設の使用比率がますます増大することとなって,障害が発生した場合等に国際通信の信頼性,継続性を確保する上に支障が生ずることが予想されるところから,国際電電は,アメリカ電話電信会社(AT&T)等米国5通信業者及びオーストラリア海外電気通信委員会と共同で,沖縄―グアム―ハワイ―米本土間に新しい第2太平洋ケーブルの建設を計画した。郵政省は,その建設保守協定を締結することについて,48年12月26日,国際電電に対し認可を行った。
 第2太平洋ケーブルの建設工事は,協定締結後直ちに開始され,50年11月に完成する予定である。このケーブルの容量は電話換算で845回線,総建設費は当初の見積りで約540億円であり,そのうち,日本側の分担額は約133億円である。
(5)公衆通信回線の開放
 46年5月の公衆電気通信法の改正により,公衆通信回線の開放は制度的に確立されることとなったが,その実施は電電公社の電話料金広域時分制への切替えをまって,逐次行われてきた。
 広域時分制への切替えは,47年11月,甲府単位料金区域等で実施されたのを皮切りに,漸次他の地域に及び,48年8月の沖縄県を最後に全国的に完了し,公衆通信回線の開放が全国的に実施されることとなった。これに伴い公衆通信回線を利用するデータ通信システムが誕生することとなり,48年度末では48システムに達した。
 また,公衆通信回線と接続して通信を行う機器には,データ伝送端末装置以外にもファクシミリ装置,遠隔制御装置などがあり,48年度末現在で2,000加入以上に達している。将来,端末機器については様々な機能を有するものが開発されると見込まれ,公衆通信回線の利用形態は一層多様化,複雑化していくであろう。
 また,これら端末機器は音響結合装置を付加することにより電話機と結合して使用することができるので,例えば外出先から任意の電話機を利用して通信ができるように小型軽量化して,携行可能としたものが開発されている。
 なお,電電公社でも,加入電話等の電話回線を利用して「電話ファクス」サービスを新たに提供することとし,郵政省は48年7月,これを認可した。
(6) テレビジョン放送用周波数割当計画の修正
 テレビジョン放送の放送番組の多様化を図るため,郵政省では,民間放送については42年以来,全国的にいずれの地域においても,少なくとも複数の放送が可能となるよう措置してきた。すなわち,基幹的地域(京浜,中京及び京阪神の広域圏の地域並びに北海道,宮城県,広島県及び福岡県の区域をいう。)においては3以上,その他の地域においては原則として2の民間テレビジョン放送の実施が可能となっていた。
 しかしながら,放送番組の多様化の要望は極めて強いものがあるので,郵政省では48年10月19日テレビジョン放送用周波数の割当計画を修正し,各地域の経済的基盤,周波数等の技術的条件を考慮して,基幹的地域については4以上,これに準ずる地域については3の放送が可能となるよう措置した。
 この結果,基幹的地域のうち,これまで3の放送しか行われていなかった広島県及び宮城県においては4の放送が可能となり,また基幹的地域に準ずる地域(長野県,新潟県及び静岡県)については,これまでより1増えて3の放送が可能なった。
 また従来,京浜広域圏においては,2の周波数(10チャンネル及び12チャンネル)を民間放送の教育専門局に割り当ててきたが,民間放送に対し,教育専門局としての役割を果たさせることは,事業運営上極めて困難であることが経験的に明らかになったこと,またNHKの教育専門局の放送がほぼ全国的に普及しており,教育番組の実施状況等からみて,教育への放送の利用は,一応の成果を挙げていると認められるところから,これを廃止し,新たに民間放送の総合番組局用として割り当てることにした。
(7) 通信衛星及び放送衛星の開発
 世界各国間の通信に使用される衛星としては,既にインテルサット衛星及びモルニア衛星が運用中であるが,更に世界の各国において自国内又は数か国間の通信のための衛星の開発が計画され,既にサービスを開始しているものもある。カナダのアニク衛星(1973年1月運用開始),米国の国内通信衛星(1974年打上げ),独仏共同のシンフォニー衛星(1974年打上げ予定),イタリアのシリオ衛星(1975年打上げ予定),欧州宇宙研究機構のOTS(軌道試験衛星,1977年ごろ打上げ予定)などがそれである。また放送用の衛星についても米国(ATS-6,1974年打上げ),カナダ(CTS,1975年ごろ打上げ予定),西独(1979年ごろ打上げ予定)などで,実験用衛星の開発が行われている。
 このような世界の宇宙開発の急速な進展にかんがみ,郵政省では電波権益の確保と将来の通信,放送需要を満たす技術の確立を早急に図る必要があるところから,かねて電電公社,国際電電,NHK等とともに,衛星に関する各種研究を進めてきたが,48年度においては,具体的な実験用中容量静止通信衛星及び実験用中型放送衛星を前提として,その開発研究を進めてきた。
 48年10月29日,宇宙開発委員会は51年度打上げを目標に両衛星の開発を48年度から行うことを決定した。政府はこれに伴い,宇宙開発事業団に対し両衛星開発にさしあたり必要な経費を出資した。我が国初の通信用及び放送用の静止衛星の開発は,ここにその第一歩を踏み出すこととなった。
 実験用中容量静止通信衛星は,将来の増大する通信需要に対処するために必要な大容量通信衛星の打上げに至る過程として衛星システムを用いた準ミリ波等の周波数における通信実験を行うこと及び衛星通信システムの運用技術の確立を図ること等を目的とした衛星で,軌道上重量約340kg,伝送容量電話換算4,000回線となっている。また,実験用中型放送衛星は,教育,難視聴対策等の放送需要に対処するために必要なテレビジョン放送の個別受信が可能な大型放送衛星の打上げに至る過程として,衛星システムを用いた画像及び音声の伝送試験を行うこと,衛星放送システムの運用技術の確立を図ること等を目的とした衛星で,軌道上重量約330kg,伝送容量カラーテレビ2回線となっている。
(8) 通信関係国際会議の開催
 48年度においては,通信関係で毎年開かれるもののほか,次のような注目すべき国際会議が開催された。
 国際電気通信連合(<1>TU)の最高機関である全権委員会議が9月14日から10月26日までスペインのマラガ・トレモリノスで開匿され,連合の基本文書である国際電気通信条約の改正,連合の予算の審議,決定等を行った。そのほか管理理事国の選挙が行われ,我が国は,アジア・オセアニア地域から最高点で当選し,引き続き理事国として貢献していくことになった。
 <1>TUの全権委員会議に次ぐ組織の主管庁会議の一つである世界電信電話主管庁会議が,33年のジュネーブ通常電信電話主管庁会議以来15年ぶりに4月2日から11日まで,スイスのジュネーブで開催され,電信規則及び電話規則の改正を行った。
 また,<1>TUの常設機関の一つであって,無線通信に関する技術及び運用の問題について研究し,<1>TU無線主管庁会議等に勧告や,意見表明を行うことを主な任務とする国際無線通信諮問委員会(CCIR)の最終会合が,49年2月5日から3月20日まで同じくジュネーブで開催され,中波放送問題では,電界強度の計算方法,混信保護比,チャンネル間隔等,衛星問題では静止衛星軌道における衛星の位置保持精度,衛星通信のアンテナ特性等,その他ディジタル伝送方式に関する問題,テレビジョン放送の音声多重方式に関する問題等,広範な分野において勧告案,報告案が検討された。これらの審議結果は,49年7月開催予定の総会に付されることとなっている。
 このほか国際電気通信衛星機構(インテルサット)恒久協定が,48年2月発効したことに伴い,恒久協定発効後1年以内に開催されることとなっていた第1回締約国総会が,49年2月4日から8日までの間,ワシントンで開催され,理事会及び署名当事者総会からの活動報告の検討,締約国が処置すべき事項の審議決定等を行った。
 また,国連宇宙空間平和利用委員会の直接放送衛星作業部会第4会期会合が3年ぶりに6月11日から22日までの間,ニューヨークにおいて開催され,衛星による直接テレビジョン放送の利用に関する国際的規律等について討議された。なお,この作業部会の第5会期会合が,49年3月11日から22日までの間,ジュネーブにおいて開催され,同じく衛星放送に関する国際規律の問題等が討議された。
 また,教育用衛星放送システム及び教育放送一般について討議し,各国の知識と経験を分かち合うための教育用衛星放送システムに関する国際連合パネル会議が,49年2月26日から3月7日までの間,東京で開催された。

 

 

 

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