昭和49年版 通信白書

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2 広帯域通信回線の発展

 近年における国際通信の発展は良質な国際伝送路の拡充によるところが極めて大きい。大量の通信のそ通,自動化の進展,高速度通信サービスの提供等は,帯域が狭く,フェージングがあり,しかも同一周波数で長時間継続して通信することが不能な短波回線が,海底同軸ケーブル,通信衛星による広帯域通信回線に代わらなければ不可能であった。
(1) 海底ケーブル
 海底ケーブルの歴史は古い。マルコーニによって無線通信が発見されるまでは電気通信はすべて有線に頼っていた。1850年,ドーバー海狭に,続いて1866年,大西洋を横断して海底電信ケーブルが敷設され,これを契機に列強は競って世界を結ぶ海底電信ケーブルの敷設に乗り出した。特に英国は国策としてケーブルを敷設し,当時,世界の海底電信ケーブルの約60%を所有するに至った。
 1899年,マルコーニが無線電信の実験に成功して以来,英国以外の諸国は英国の海底ケーブル網に対抗するため,無線通信の発展に力を注いだ。その結果,無線通信が発展し,遠距離の通信はほとんど短波によって行われるようになり,国際通信における有線の地位は低下していった。しかし,海底ケーブルの研究はその後も続けられ,周波数帯域幅が広く,かつ伝送品質の良い同軸ケーブルが開発され,また,信頼性の高い海底中継器も開発された。
 第2次世界大戦後の1956年,英国・米国間に大西洋を横断する同軸ケーブルが敷設された。これはTAT-1(Transatlantic Telephone Cable No.1)と呼ばれ,以前のケーブルのようにケーブル1条で1回線しか得られないものではなく,4kHzの電話36回線の容量をもつものであった。このケーブルの成功は各国の海底ケーブルへの関心を呼び起こし,これ以後,大西洋,太平洋に次々と海底同軸ケーブルが敷設されていった。
 現在,世界の海底同軸ケーブルは第1-4-5図のとおり,大西洋,太平洋にはりめぐらされ,通信量の多い2地点を結ぶ回線として,衛星回線とともに国際通信に重要な役割を果たしている。
 我が国においては,国際電電が1964年6月,太平洋ケーブル(TPC)をアメリカ電話電信会社及びハワイ電話会社との共同出資で,日本―グアム―ウェーキ―ミッドウェイ―ハワイ間に敷設した。TPCの開通により,すべて短波回線に頼っていた我が国の国際通信は初めて広帯域回線を持つこととなった。TPCは電話換算138回線をもつ海底同軸ケーブルで,現在でも最も重要な国際通信回線の一つとなっている。
 また,1968年には,国際電電と大北電信会社との共同建設により日本海ケーブルが完成した。同ケーブルは,シベリア経由で我が国と欧州を結ぶ重要な国際通信幹線となっている。
(2) 通信衛星
 無線通信にあってはVHF帯,UHF帯,そしてマイクロ波帯と周波数の範囲が拡大するに伴い,伝送路の広帯域化が進み,超多重伝送,テレビジョン伝送なども可能となったが,大洋上にマイクロ波中継局を置くことができないため,大洋を横断する長距離の広帯域回線を設定できないでいた。1957年10月,ソ連が人工衛星スプートニク1号の打上げに成功したことにより,人工衛星による通信が注目を集め,以後,衛星通信は急速に実用化のみちを歩んでいった。
 1958年,米国はスコア衛星によりアイゼンハワー大統領のクリスマスメッセージを地上送信することに成功した。続いて1962年,米国は,地上からの電波を受信し増幅して送り返す能力をもったテルスター1号を打ち上げ,衛星を経由した通話の実験に成功した。同時にフランスと英国ではこの衛星を利用して大西洋を越えて米国からのテレビ信号の受信に成功した。その後,日米間のテレビ信号の送信に成功したリレー1号(1962年),テルスター2号(1963年),リレー2号(1964年)と通信衛星が次々に打ち上げられ,通信衛星の実用性が実証されていった。更に,1963年7月には,地球の自転と同じ周期をもつシンコム2号が打ち上げられ,静止衛星による世界通信ネットワークの実現に一歩を踏み出し,翌1964年には静止衛星シンコム3号を経由して東京オリンピックの世界テレビ中継が行われた。
 このように衛星通信技術が発達する中で,1961年7月,ケネディ大統領が通信衛星政策の基本路線を発表し,通信衛星組織の国際化を明らかにしたことにより,衛星通信の国際組織を設立しようとする動きが活発となった。1963年米国政府は公衆通信衛星組織の開設に着手することを明らかにし,翌年米国は世界商業通信衛星組織に関する暫定協定の試案を各国に送付した。
 1964年8月20日「世界商業通信衛星組織に関する暫定的制度を設立する協定」及び「特別協定」が我が国をはじめ11か国によって署名され,同日付けで発効した。ここに,世界商業通信衛星組織に関する暫定制度(インテルサット)が成立し,宇宙通信を実用化し,それを商業ベースで全世界の利用に供する国際的な組織が設立された。
 その後,インテルサットは衛星通信の開発を進め,電話換算240回線のアーリーバード(1号系)から<2>号系を経て,<3>号系衛星を打ち上げ,グローバル衛星システムを完成した。48年度末現在,電話換算約5,000回線の容量をもつ<4>号系衛星が,太平洋,大西洋,インド洋上に計5個(うち1個は軌道上予備)打ち上げられ,世界の通信のかなめとなっている。衛星に対応して各国地球局の増加も著しく,地球局数は54か国86局に達している(第1-4-6図参照)。
 また,制度的にも1973年2月に暫定的な制度から恒久的な制度に移行し,当初11か国であった加盟国は48年度末には85か国となっている。
 一方,ソ連は1968年にインテルサットと競合する形で,インタースプートニク構想を発表,1971年11月,同組織が設立された。この組織も国際的な宇宙通信のための国際機関とされているが,現在まで構成国はソ連等9か国にとどまっている。衛星は現在ソ連のモルニア衛星が複数個使用されている。

 

第1-4-5図 世界の主な海底同軸ケーブル

第1-4-6図 インテルサット地球局の現状(1974年4月4日現在)

 

 

 

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