中外製薬では、2020年に策定した全社の経営戦略「TOP I 2030」において、2030年までの成長戦略の最も重要なキードライバーの一つにDXを定め、この全社的な経営戦略に基づき、デジタル戦略「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」26を策定しAIを活用したビジネス変革とイノベーション創出に取り組んでいる(図表Ⅰ-2-1-20)。
中外製薬によれば、AI活用を比較的順調に進めることが出来ている理由の一つとして、経営層の強力なコミットメントに支えられていることが大きいという。経営層が「競争環境のなかでいつディスラプト(淘汰)されるかわからない」との危機意識を持っており、その危機意識の下で、AIを使わないことこそがリスクと捉え、経営層が積極的にAIに取り組む姿勢を明確に示しているという。2025年には、急速に進化するAIに対応し、戦略の実行スピードを向上させるために、AIにフォーカスしたビジョン「Chugai AI Strategy」を定めた28。AI活用が社内で急速に進む中、“成長戦略に基づき、AIがどう使われるべきか、AIをどう位置付けるのか”を改めて経営層から明確なメッセージとして打ち出すことが策定の狙いであるという(図表Ⅰ-2-1-21)。
この「Chugai AI Strategy」では「Chugai AI Vision」として、“中外製薬はAIをパートナーとして、人と組織の可能性を解放し、医療の未来を切り拓き人々に新たな希望を届け続ける”という方向性を示し、「AI Everyday」・「AI Everywhere」・「AI Transformation」という3つの柱を打ち出した。“AIをパートナーとする”という言葉には、AIは”新たな取組みに向かう人間の力を解放し、時間を作り出すために、バディとして能力を高めてくれる存在”であるとの考え方が込められており、このビジョンに基づきAIの役割に関して、社内で活発な議論が始まっているという。その上で、人間には「問う」ことを行えることに価値があり、AIをパートナーとして使いこなすためには、AIへのインプットの質を上げ、AIのアウトプットを判断するという両面で、人間側の知識や判断力が求められるとしている。
中外製薬では、AI活用を含めデジタル戦略の推進に当たり、事業部門とDX部門それぞれの専門性を持ち寄った上での共創がポイントと考え、DX部門における組織体制を縦割りから横割り組織(戦略企画機能と戦略推進機能)に再編した上で、事業部門との接点を戦略企画機能に集約した。これにより、一貫した戦略に基づき、事業部門のニーズを集約して事業部門との共創による価値創出の加速が可能になったという。さらに、2025年には、事業部門ごとの個別ニーズに対応できる体制を構築するため、DX部門の中に「ビジネスアーキテクトグループ」を新たに立ち上げ、事業部門・部署によって異なる要件・ニーズと最新の技術のブリッジ(橋渡し)を推進している。
また、技術的な環境整備としては、著しく進化する技術にキャッチアップするため、2024年から、常に各社の最新のAIツールを使える環境(AIプラットフォーム)を社内に提供している。AIプラットフォームでは、コスト管理、ガバナンス管理、セキュリティガイドライン等の運用面のほか、AIツールの利用状況に基づくパフォーマンス管理、各部署のAI関連予算管理も含めた包括的な管理が行われている。最新のAIツールを積極的に導入するのは、AI技術の進化が急速で、新しいAI技術が出ると低コストで同程度のアウトプットを出せるようになるためで、特に基幹業務に適用する場合に大きな影響になりうるためであるという。
中外製薬では、先述のAI戦略「Chugai AI Strategy」に基づき、段階的にAI活用の推進に取り組んでいる。まず、一つ目の柱である「AI Everyday」として、全社員が業務の質とスピードを向上させるためにAIを活用する段階である。今後、AIはパソコンと同様に、使いこなせない人がビジネスに着いていくのが困難な時代になっていくと捉えており、約7,800名の社員向けに内製開発した生成AIアプリ「Chugai AI Assistant」は平均約5,400人のユニークユーザがいるという30。
次に、二つ目の柱である「AI Everywhere」として、組織全体の生産性向上の視点で、人間が一連の業務を行うという前提で設計されていたビジネスプロセスを全て書き換えていく必要があるとの認識の下、全社的にビジネスプロセスへのAIの埋め込みを推進し、ビジネス全体の構造変革(リストラクチャリング)に取り組んでいる。
中外製薬では、従来から研究開発領域において、新薬開発の期間と費用の圧縮、ならびに開発の成功確率向上を目指し、AI創薬基盤「MALEXA」(Machine Learning x Antibody)等を独自に構築して活用し、創薬プロセス等の変革に取り組んでおり、また、研究開発から生産、営業に至るバリューチェーン全体の効率化にも取り組んでいる。
AI活用の効果的なユースケースについては、社内向けの周知に加えて、積極的に社外メディアにも情報発信し横展開に取り組んでおり、今後はこうした成功事例をより効果的に全社に広げていけるよう仕組み化することも検討しているという。
今後、AI活用を推進するためには事業と技術の両方を理解する人材が必要であるという認識の下、各事業を理解するAIエンジニア等の人材、また、事業部門においてAIスキルを持つ人材の双方の育成に取り組み、デジタルを活用した事業変革を“自分ごと”として捉える風土の醸成につなげている。
デジタル人材育成の取組として「Chugai Digital Academy」を設立し、そこで包括的な育成プログラムの実施に取り組むほか、DX部門と事業部門の積極的な人材流動、全社員が参加可能なボトムアップ型のアイデア創出プログラム「Digital Innovation Lab(DIL)」等を実施している。DILは、事業部門側からのニーズを踏まえてDX部門の予算でPoC(概念実証)まで実施できる仕組みであり、採択においては、ROI(投資利益率)を問わず、先進性、拡張性、将来性等、ビジネスに与えるインパクトの可能性で判断するとしていた。このような取組によりボトムアップ文化が定着した現在では、「実用最小限の製品」(Minimum Viable Product:MVP)のアプローチとして、実業務でアジャイルに導入していくとしている。
また、ジョブ型雇用の下、あくまでも意欲がある人がチャレンジできる環境を整備するため、DX部門においても年齢や採用区分の基準を設けず応募を受け付けており、実際、若手レベルから、ベテランのマネージャーレベルまでが応募してきているという。
中外製薬は、ビジネスプロセスの変革においては個人作業の効率化とは異なり、人間とAIの役割分担について十分に検討した上で、ガバナンスに基づきAIを活用するべきであると考えている。AIに行わせた方が良いプロセス、人間が責任を取らなければならないのはどこかという点を見極めた上で、人間の判断や確認を適切に介在させる「ヒューマン・イン・ザ・ループ」を重視し、ビジネスプロセスの再設計に取り組むことが必要であるとしている。
この点、同社は、生成AIが登場する以前の機械学習の時代から、AIを活用した創薬に取り組んでおり、内部統制上必要なリスク管理として、AIアルゴリズムをリスク評価によってカテゴライズし管理してきた。その後、生成AIの活用が進み、利用の裾野も広がっていることを踏まえ、利用ポリシーやガイドライン、評価スキームの整備を継続的に実施しており、今後社内業務に留まらない形でAIの活用が進む場合に備えて、利用ルールやIT統制といった様々な方向からの検討も継続しているところであるという。
26 中外製薬「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」〈https://www.chugai-pharm.co.jp/innovation/digital/vision.html
〉(2026年4月6日参照)
27 中外製薬より提供。
28 中外製薬(2025)「CHUGAI AI Strategy」(中外製薬2025年12月期決算説明会資料 P18)〈https://www.chugai-pharm.co.jp/cont_file_dl.php?f=FILE_5_74.pdf&src=[%0],[%1]&rep=119,74
〉(2026年4月6日参照)
29 同上。
30 中外製薬より提供。