昭和54年版 通信白書

本文へジャンプ メニューへジャンプ
トップページへ戻る
操作方法


目次の階層をすべて開く 目次の階層をすべて閉じる

1 主要通信メディア成熟の過程

(1) 郵  便

ア.郵便システムの改善
 我が国郵便事業の年間取扱郵便物数(引受)は,30年度に戦前の水準(昭和9〜11年度平均)の48億通を突破して以降,経済の発展に伴い増加の一途をたどり,48年の石油危機及びその後の経済変動や料金値上げ等により一時わずかに低下したものの,53年度には143億通と過去最大の郵便物数を記録するに至った。その伸び率は,30年度に比較して40年度には196%,53年度には295%に及んでいる。郵便物数のこのような伸びに対応するため,郵便局の増設などが図られてきている。ことに大量に郵便物の集中する東京・大阪等の大都市においては,郵便物を集中的・効率的に処理するため第1-2-1表に示すとおり,機械化処理による集中局の設置等を進め,郵便処理システムの改善を図ったほか,第1-2-2表に示すとおり集配郵便局の増置を推進し,事業基盤整備に努めてきた。
 また,43年に郵便番号制が導入されたことにより,手紙・はがきの普通通常郵便物については,郵便番号を機械的に読み取り自動的に区分する郵便番号自動読取区分機が開発され,43年度以降,大都市を中心に配備されてきている。53年度末における郵便番号自動読取区分機の導入状況は,全国で104台,そのうち東京都内45台(43.3%),大阪市内10台(9.6%),名古屋市内5台(4.8%),その他の地域44台(42.3%)となっている。
 この郵便番号制の導入は,単に郵便物の機械処理に効果があるばかりでなく,人手による区分作業においても,作業能率の向上と業務運行管理の改善に極めて大きな役割を果たしており,日本の郵便番号制は世界的に見ても成功したものの一つといえる。
イ.輸送の迅速化と合理化
 近年における交通手段の発達と変革は郵便輸送にも大きな変革をもたらしている。モータリゼーション,新幹線の完成,航空輸送手段の発達に伴い,郵便の送達にも一層の迅速性が要求されるようになった。このため41年10月からは,それまで速達に限っていた郵便物の航空輸送を通常郵便物(定形郵便物,郵便書簡及び第二種郵便物)にまで広げ,航空夜間専用便の開設と併せて郵便の輸送時間を大幅に短縮することとなった。
 航空夜間専用便は航空機の夜間発着制限に伴い49年に廃止ざれたが,航空機による郵便輸送は郵便の迅速性の確保に今日も大きく寄与しており,郵便物の航空輸送の1日当たり延ベキロ程は,53年度には35年度に比べて4.5倍の伸びを示している。郵便輸送に各種輸送手段の占める割合の変遷は第1-2-3図の示すとおりである。
 また,高速道路の発達に伴い,高速郵便専用自動車便が44年に東京一名古屋間に開設され,以後第1-2-4表のとおり開設された。
 更に,国鉄の輸送近代化により鉄道輸送は主要幹線を主体に各駅停車から拠点駅停車に移行してきており,これに対応して近距離間郵便輸送の分野において自動車輸送網を整備するとともに郵便物の区分方法の改善を進めている。また,輸送方法についても郵袋に代わる輸送容器の開発・導入が進められている。これまで,東京・大阪地区の集中局にその新設に際し郵便コンテナを,大都市内の主要局間にかご型コンテナをそれぞれ導入したほか鉄道郵便車にパレット輸送方式を取り入れるなど,積卸作業の改善や局内作業と連動した輸送方法を採用している。また一方,海に囲まれている我が国の地理的条件を利用し,経済的な海上コンテナによる郵便輸送の導入も進められてきた。こうした輸送体系の変化は,郵便局の設置にも大きな変革をもたらし,輸送基地の機能を重視した設置が行われるに至っている。
ウ.郵便システムの基盤の整備
 30年代の我が国の高度経済成長は,人口の都市集中化をもたらし,ことに核家族化の進行とあいまって,団地造成等による大都市近郊地域の目覚ましい発展をもたらした。これらの地域においては配達郵便物数が爆発的に増大し,40年前後には郵便施設改善の立ち遅れが目立っていた。そのため40年代には,これらの地域に対する施設拡充が重点的に行われ,組織の面でも例えば首都圏の急激な膨張に対処するため,関東地方一円の郵便局を管轄していた東京郵政局が47年には東京都を管轄する東京郵政局と,東京都以外の関東地方を管轄する関東郵政局に二分された(第1-2-5表参照)。
 さらに40年代半ば以降,経済の高度成長に伴い,若年労働者の雇用難が次第に深刻になり,人手依存傾向の強い郵便事業にとっては,特に労働力の確保が重要課題となった。そこで,東京,関東,東海,近畿といった三大都市圏を受け持つ地方郵政局においては,大量の若年労働力を九州等の他の郵政局に依頼してその必要とする人員の確保を図った。50年度における学卒者の一括採用の管外依存率は,東京,関東,近畿といった郵政局では50%前後にもなっている。
 また,都市及び近郊の急激な人口移動に伴って生じた,旧来の町名・地番の混乱による市民生活及び各種行政事務上の不便を解消するため,各地で住居表示が実施されてきたが,郵政省も配達作業難緩和の観点からこれに積極的に協力し,郵便配達業務の効率化に努めている(第1-2-6表参照)。
 このような郵便システムの改善を積み重ねる一方で,46年には第一種定形郵便物,郵便書簡及び第二種郵便物の引受から主なあて地について配達までに要する日数を示した「郵便日数表(郵便物標準送達所要日数表)」を公表し,利用者の利便を図っている。

(2) 国内電気通信

ア.電話積滞の解消
 第2次世界大戦によって壊滅的な打撃を受けた電気通信施設の復興を図り,電信電話に対する国民の熱烈な要望に1日も早くこたえるため,27年に,政府運営の長所と私企業の長所を取り入れた公共企業体として設立された電電公社は,翌年から開始した第1次5か年計画において,6大都市,特に東京・大阪中心部の電話需給の改善を図ることとした。次いで,33年度からの第2次5か年計画を策定した際には,電電公社は,当時の国民の電気通信に対する要望であった「電話の積滞解消と市外通話の即時化」,いわゆる「すぐつく電話」と「すぐつながる電話」を2大目標として掲げ,全国的に施策を推し進めることになった。
 電電公社発足以降における一般加入電話の需給状況は第1-2-7図のとおりである。当初,電話の積滞解消は47年度までに実現する予定であったが,その後における著しい経済成長と生活水準の向上等により電話需要は急速に伸び,増設に次ぐ増設も思うように効果を得ることができず,45年度末には積滞数が290万を超すに至った。しかし,第5次5か年計画の終了した52年度末には,総額13兆円を超える5か年計画建設投資において新局の設置等電話回線増加のために払われたたゆまぬ需給改善努力が実り,積滞数はわずか15万9千となり,積滞解消の目標をほぼ実現するに至った。
イ.電話の全国ダイヤル自動化
 電電公社は,第2次5か年計画の策定に当たって,47年度末までの実現を目指して長期目標の一つに「すぐつながる電話」を掲げ,その具体的目標として「東京,大阪と全国主要都市相互間並びに同一経済圏内の近接都市相互間の市外通話の即時化」を,更に,第3次5か年計画では「全国即時網の形成」と「県庁所在都市相互間の市外通話のダイヤル化」を推進した。
 この間,電電公社は,交換機能及び音声品質の点からステップ・バイ・ステップ交換機よりもクロスバ交換機が全国即時網の交換機としては好ましいとして,クロスバ交換機の開発・導入に力を注ぎ,また,マイクロウェーブや同軸ケーブルの実用化を通じ,安定しかつ品質のよい市外回線網の整備を行った。他方,効率的な課金システムとして37年には距離別時間差法を導入した。その結果,全国ダイヤル自動化は急ピッチで進展し,第3次5か年計画期末の42年度末には,自動化率は90%を超え,全国の県庁所在地相互間のダイヤル自動化が成るに至った。
 こうした飛躍的な成果を受け継ぎ,第4次及び第5次にわたる計画で総仕上げが行われ,54年3月14日,東京都利島並びに沖縄県南大東島・北大東島における自動化を最後に,全国のダイヤル自動化を完了することとなった(第1-2-8図参照)。
ウ.電報の役割の変容
 明治以来,国民一般の緊急通信手段として利用されてきた電報は,30年代以降,住宅用電話や加入電信(テレックス)の普及により押され気味となり,利用は38年の約9,500万通をピークに急速に減少してきている。また,その役割にも大きな変化がみられ,業務用の電報はもとより,死亡・危篤などの緊急通信は次第にきん少となり,慶弔電報の比重が増大して,その性格を緊急的なものから社交的・儀礼的なものへと移行させつつある。
エ.5次にわたる電電公社5か年計画
 電電公社は,電気通信施設の整備拡充を図る一方,新技術の開発を強力に推進することを目的として,28年以降今日まで5次にわたる5か年計画を策定し,実行してきた。その結果,前述のとおり,電話の積滞解消,全国ダイヤル自動化が達成されるに至ったが,その模様を表に示すと第1-2-9表のとおりである。

(3) 国際電気通信

ア.広帯域通信時代を迎えた国際電気通信
 国際電気通信は,戦後しばらくの間は短波無線通信が主役であった。短波無線通信は波の割当て上からも回線数が限られているため,各地との通信に待ち時間が多いほか,品質面でも回線が不安定であることから安定した通信サービスを提供するためには運用操作に並々ならぬ努力が必要であった。
 しかし,39年6月,回線容量138音声級回線収容可能の第一太平洋ケーブル(TPC-1)が開通,更に41年12月にはインテルサット<2>号(F-1)による太平洋衛星通信が登場したことにより,対米通信回線でみればTPC-1開通前の38年度には49回線であったものが,太平洋通信衛星が利用開始となった41年度には112回線と約2.3倍の急増を示すなど,我が国も本格的な広帯域通信幹線の時代を迎え,短波無線回線の時代に比し回線品質は格段に向上し,大量通信が可能となった。第1-2-10図は,広帯域通信幹線の導入を契機として我が国の対外通信回線が飛躍的に増大してきた状況を示したものであるが,このような海底ケーブル及び通信衛星を中心とする広帯域通信幹線は,今日では第1-2-11図にみるようなグローバルなネットワークを形成し,我が国の国際社会における活躍に大きな役割を果たしつつある。
イ.自動化の進展
 広帯域通信幹線ネットワークの飛躍的な発展は,近年におけるコンピュータ技術の発達ともあいまって主要業務の自動化を可能とした(第1-2-12図参照)。
 国際電報は,国際電報自動処理システム(TAS)の導入により格段の合理化が図られた。
 国際電話は,交換作業の半自動化がTPC-1の開通を機に実施された結果,待ち合わせ時分は,従来の平均待ち合わせ時分49分を対米通話の実績でケーブル開通1か月後には7分に,1年後には5分前後に短縮することができた。更に,48年3月国際ダイヤル通話の開始により国際電話もいよいよ待ち合わせ時分0分の完全自動ダイヤル化の時代を迎えることとなった。また,大容量かつ高性能のコンピュータ制御の国際電話用電子交換機(XE-1システム)の導入は国際ダイヤル通話のための小刻み課金を可能としたほか,接続処理を大幅に改善した。
 国際加入電信は,即時性,記録性及び経済性において大きなメリットを有していたため需要が予測をはるかに上まわり,また,発信申込み時間が18時以降の短時間に集中して殺到したこともあって,繁忙時の待ち合わせ時間は1時間から2時間にも及んだが,広帯域通信幹線の登場により44年6月に全自動化が実現した。通信回線の広帯域化及び交換処理の自動化の実現はさらに潜在需要を喚起することとなり,国際加入電信の利用は依然として大幅な伸びを示していることから,51年8月にはCT-10形国際中継線電子交換機が導入され運用を開始している。
 伝送技術,交換技術,コンピュータ技術等通信に関わる技術の顕著な発展は国際電気通信の主要メディアの急速な成長に多大の貢献を果たしてきたが,これら3メディアのほかにも国際専用回線,国際テレビジョン伝送,国際デーテル,国際オートメックス等のあらゆるメディアの飛躍的な成長あるいは登場をも促し,高度化,多様化した今日の国際電気通信を形成するに至っている。

(4) 放   送

ア.民間放送の導入
 我が国の放送は,長らく社団法人日本放送協会の下で成長し発展してきたが,25年に電波法,放送法及び電波監理委員会設置法のいわゆる電波三法が制定され,公共放送と民間放送の併存という新たな放送体制がとられることとなった。これを受けて,早速翌年には最初の一般放送事業者(民間放送)の放送局16局に予備免許が与えられ,27年には民間放送の第一声が発せられ,民間放送は,放送法によって設けられたNHKとともに,我が国の放送を担い始めた。
 公共放送と民間放送の併存という放送体制をとったことにより,我が国の放送は,あまねく日本全国で放送が受信できるよう放送設備を設置し,全国民の要望を満たすような放送番組を放送する義務を持つ公共的放送事業者たるNHKと,個人の創意と工夫により自由かっ達に放送文化を建設高揚する自由な事業体としての民間放送とが,それぞれの長所を発揮するとともに互いに他を啓発し,各々その短所を補いながら放送活動を行うことにより,また,民間放送間において競争し合うことにより,急速に発展することとなった。日本は,英国型の公共放送と米国型の民間放送の両者の利点をいち早く総合することに成功したのであった。
イ.テレビジョン放送の登場とその急速な普及
 我が国におけるテレビジョン放送の研究は戦前から進められてきたが,戦後,米国からの技術導入等により急速に実用化が進み,27年7月には,我が国最初のテレビジョン放送局予備免許が与えられ,翌28年には開局し,テレビ時代の幕開けとなった。郵政省は,27年12月に,京浜,京阪神及び名古屋の3大地区へのテレビジョン放送用の周波数割当計画を定め,31年2月に全国7基幹地区への割当てを決めた割当計画基本方針を決定し,更には32年6月に全国50地区を網羅する第1次チャンネルプランを定める等,テレビジョン放送の全国普及のための前提となる全国的規模のチャンネルプランを短期間のうちに決定し,全国置局の方針を強力に推進した。この結果,34年度末には,NHK46局,民間放送39社47局のテレビジョン放送局が全国に置かれることとなった。また,42年には,従前,難視聴地域の解消のための中継局に限って認めていたUHF帯を,親局用に開放し,民間放送の1県複数化を実現するに至った。この結果,第1-2-13図に見るとおり,45年度末には,民間放送は81社1,103局と急増した。
 NHKは,放送の全国普及という任務を遂行するため,33年度からの第1次5か年計画,37年度からの第2次6か年計画において,テレビジョン放送局の全国置局を推進し,第2次計画の終了した42年度末には,総合テレビ657局,教育テレビ646局,カバレージはともに95.5%に達した。置局は,その後も,難視聴地域の解消を目指して続けられ,53年度末現在,総合テレビ2,892局,教育テレビ2,840局となり,共同受信施設設置施策とあわせ,残存難視世帯数を約56万世帯にまで減少させてきている。
 全国放送網の形成のためには,置局の他に,局間の番組伝送網の形成が必要であり,NHKは当初このマイクロ回線の開発を独力で進めていたが,その計画はやがて電電公社の手に移され,それ以来短期間の間に,国内主要都市間にマイクロ回線網が張りめぐらされるに至った。こうして,31年9月までには北は札幌から南は福岡に至るまでの幹線回路,37年6月には北は稚内から南は名瀬までの約2,900kmに及ぶ日本縦断マイクロ回線網が完成し,テレビの全国中継が著しく発展することとなった。また,これにより,NHKの放送の普及のみならず,民間放送の系列化も刺激されることとなった。
 カラー放送は,35年9月からNHK及び東京・大阪の民間放送によって開始されたが,NHKは,43年度からの第3次長期経営構想において,番組のカラー化を推進し,総合テレビは46年度に全放送時間のカラー化を実現するに至った。民間放送のカラー化努力もこれに続き,在京5社(日本テレビ,東京放送,フジテレビ,全国朝日放送,東京12チャンネル)の番組も49年にはほぼ100%がカラー化されることとなった(第1-2-14図参照)。
 放送事業者側のこのような様々な努力に加え,トランジスタ,IC等我が国の電子技術の著しい発展の成果としてテレビ受像機のコストダウンが図られ,その販売価格が急速に低下したこと及び高度経済成長に伴い国民の所得が増大したこともあって,第1-2-15図のとおり,テレビは国民の間に急速に浸透していった。しかしながら,今日,普及の伸びは小さくなってきており,テレビは各家庭に一通り普及したと言えよう。
ウ.ラジオ放送の新展開
 終戦直後,一時落ち込んだ中波ラジオ放送受信者数は,経済復興とともに再び伸び始め,民間放送が27年に開始されるとその豊かな娯楽性も手伝って,ラジオ放送は急速に普及し,32〜33年には全盛期を迎えるに至った。その後,テレビの発展に伴い,ラジオ放送は,マスコミの王座,家庭団らんの中心の座を明け渡すこととなったが,トランジスタ技術の発展による受信機の小型化,軽量化及び低廉化やモータリゼーションの進展により,ラジオ放送は,根強い人気を保っている。32年から実験放送が始められたFM放送は,42年度末にはカバレージを87%とし,本放送が開始された43年度末からは,音質の良さやステレオ放送の魅力もあって,普及が促進され,国民の生活の中に次第に溶け込んできた(第1-2-16図参照)。

第1-2-1表 集中処理局の概要

第1-2-2表 集配普通郵便局新設状況

第1-2-3図 郵便輸送施設の変遷(1日当たり延べキロ程)

第1-2-4表 高速郵便専用自動車便の運行区間

第1-2-5表 関東郵政局管内普通郵便局局舎面積

第1-2-6表 住居表示実施状況の推移

第1-2-7図 一般加入電話の需給状況

第1-2-8図 一般加入電話加入数と自動化率の推移

第1-2-9表 5か年計画における積滞解消と全国ダイヤル自動化(1)

第1-2-9表 5か年計画における積滞解消と全国ダイヤル自動化(2)

第1-2-10図 対外回線数の推移及び広帯域化の状況

第1-2-11図 国際電気通信網(直通対地及び主要ルート)

第1-2-12図 国際通信主要業務(電報,電話,加入電信)の取扱数及び自動化の推移

第1-2-13図 テレビジョン放送局数の推移

第1-2-14図 テレビ番組のカラー化率の推移

第1-2-15図 テレビジョン放送受信契約数の推移

第1-2-16図 FM受信機普及の推移

 

第1部第2章第1節 主要通信メディアの成熟 に戻る 2 通信の大衆化と国際化 に進む