昭和54年版 通信白書

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2 通信と文化現象

(1) 文字文化としての手紙の現代的特質

 手紙は,単に通信手段としての機能のみでなく文字文化の発達そのものにも大きな役割を果たしてきた。今日,文字文化とりわけ書く文化としての手紙も印刷化傾向,表現の多様化という現代的特質を帯びてきたが,同時に書く行為の文化性の見直しが求められている。
ア.手紙の印刷化傾向
 手紙は,もともと差出人本人の直筆を要件としてきた。手紙コミュニケーションは,第三者によって時間的にずれて送達される間接性にもかかわらず,この直筆性によって独特の直接性を保っていた。すなわち,受取人にとって手紙は単に情報の記されたものではなく,差出人の人格を感じたりあるいは差出人の心を感じるという非常に感性的な機能を持つ。逆にこの直筆性は,美しい字が書けないことにより手紙を書くことを消極的にさせる面をも持っている。空海の「風信帖」や最澄の「久隔帖」のように後世の書の手本あるいは観賞の対象となっている個人の手紙は少なくない。この面において,タイプライターが家庭にまで普及している欧米諸国に比べ,我が国の手紙文化は大きな特徴を持っている。
 しかし,近年,手紙は個人の社会生活の範囲の拡大とともに,一対一の安否通信としてよりも,多数の人々との間でのより儀礼的なものとして利用されるため,印刷(コピー)して差し出す傾向がみられる。印刷された手紙による転任・転居等の個人間通知はライフスタイルとして定着した感がある。
 手書きの代替としての手紙の印刷化は,儀礼的性格とあいまって内容の画一化,簡略化の傾向になり,印刷所に備えられたある文章パターンに従う言わばレディメードの手紙になりやすい。ことに,年賀状がその例で,現在そのほとんどがお年玉つき官製葉書を利用し,53年の発行枚数は27億5千枚,国民1人当たり約24枚とまでなっているが,画一化された印刷文を主体とする年賀状により一年一度お互いに安否を確かめ合うことは,一年間の個人通信の動機ともなり,また締めくくりともなっている。
イ.手紙表現の多様化
 今日では,文章を従とし視覚化の要素を主体とするような手紙も出現し,手紙表現の多様化が進んでいる。
 例えば,放送局にあてられるリクエストカードは,番組の担当者に選ばれて放送で紹介されることを期待してか,入念なイラストを描いたものが多いといわれる。このような文字離れ傾向は,年賀状や最近利用されるようになってきたグリーティングカードにもみられるところである。そこでは,従来言わば手紙のアクセントとして用いられてきたさし絵版画あるいは,同封されていた写真等の視覚化の要素が主体化されつつあり,手紙は文章によってのみ成立するものではなくなっている。家庭にごく簡易な印刷機,複写機等が普及すれば,多色刷の鮮やかな手紙,従来の概念とは異なる手紙が出てくるものと考えられる。
 このような傾向は,従来の型にはまった文章を内容とする手紙に対抗した新しい手紙表現の模索であり,個性化,多様化を求めるものと考えられるが,一方では,現代における放送メディアの急速な発達による「見る・聞く文化」が主流となって特に視覚化要素が多用される文化現象に対応した手紙表現とみることもできよう。
ウ.文字文化としての手紙の見直し
 現代においては,映像メディアへの適応過剰によって文字文化志向が全般的に減退するとともに,読み能力に比して「書き能力」が衰退していくことが一部有識者によって懸念されている。けだし,社会一般が量的志向から質的志向への転換に向かっていることに対応して,伝統的文字文化としての手紙も今一度見直す必要があろう。「書く」ということは,面談や電話で「話す」時以上に自分自身の対象化が必要であり,自分の意思や感情を整理する行為が必要といわれている。この意味で「書く」という行為は,人間の精神生活上必要な行為であるし文字文化の発展のためにも必要であろう。また,受け手からすれば,手紙は何回でも読み返すことが可能であり,何十年後であろうと書き手が手紙を書いた時の心に触れることができ,最初に読んだときの印象を味わえる。この点も他の通信メディアにない特性であり,受け手にとっての手紙の見直しも必要であると考えられる。
 郵政省では,54年3月から毎月23日を「ふみの日」とし,親しい人々に手紙を書くことを呼びかけているが,日本文化の継承のためにも意義深いものといえる。

(2) 生活文化にとけこむ電話コミュニケーション

 近年における住宅用電話の普及は,国民の所得水準の向上,大衆消費社会現象,人口の都市集中,核家族化の進行といった社会経済構造の変化を背景に,人々の日常生活において,電話による新しい生活文化現象をもたらしている。
ア.パーソナル・コミュニケーションにおける電話の役割
 パーソナル・コミュニケーションに占める電話の役割は,住宅用電話の普及に伴って年々増大し,電電公社の通信需要構造調査によると,今日では,郵便・電報・電話・外出による情報交換のうち,7割以上が電話を利用して行われているといわれている。
 また,電話をコミュニケーション手段として選択する理由は,第1-2-40図のとおりで,これによると電話は,「簡単な用件だから」,「急いでいたから」という理由で利用されており,その簡便性,迅速性が電話の特質として高く評価されている。
 このように,電話は用件を簡単に迅速にすませるといった理由で利用され,パーソナル・コミュニケーションにおけるその役割を増大させてきたが,最近では主婦や子供の長電話にみられるごとく,電話の利用形態にも変化が起きつつある。
イ.多様化する電話コミュニケーション
 住宅用電話の普及によって,パーソナル・メディアとしての電話利用の主役となったのは,主婦と子供であろう。彼らによる電話利用の増大は,ただ単に用件を済ませるためといった従来の電話利用の形態を変えつつあり,電話コミュニケーションの多様化を生み出している。
 電電公社の調査によると,主婦や子供の電話利用の実態は次のとおりである。
 家庭の電話利用の約50%は主婦であるといわれているが,主婦が電話をかける回数は1日平均1回弱,1回当たりの通話時間は約9分で,1か月に2〜3回は17分以上の長電話をかけていることから,長電話がレジャーの一つとなっている様子がみられる。通話の相手は,大部分が「親・兄弟・姉妹・親戚」で,次いで「隣近所の友人」,「学校時代の友人」となっており,電話が里帰りや井戸端会議の機能を果たしつつあるといえる(第1-2-41図参照)。
 また今日,子供にとって電話は,生まれた時からある生活用具の一つであり,空気のような存在となっている。ほとんどの子供が小学校に入る前に電話のかけ方を知っており,小学2年になると,自由に電話を使いこなせるようになっている。通話の内容は,「遊びのさそい」や「宿題・勉強のこと」などで,週に2〜3回電話をかけている。そして,高学年になるほど,また,塾やクラブ等子供の交際範囲が広がるほど電話の利用回数が増加しており,電話が着実に子供の生活に入り込んでいることがうかがえる(第1-2-42表参照)。
 更に,中学生・高校生になると電話を利用する回数も増加し,中学生が週平均3.2回,高校生が週平均3.8回電話をかけている。1回当たりの通話時間は,中学生が約9分,高校生が約15分で,思春期になる程長くなっており,特に女子の場合には,中学生約12分,高校生約20分と長電話の傾向が出ている。通話の相手は大部分(全体の95%)が同性の友達で,通話の内容は,「遊びのさそいや連絡」,「宿題や勉強のこと」が主であるが,「用がなくとも電話する」というのが,中・高校生全体で18%,女子高校生の場合には32%もあり,孤独を避けコミュニケーションを求める手段として電話が大きな役割を果たしていることがわかる(第1-2-43図参照)。
 以上みてきたように,従来,電話の利用者として余り大きな位置を占めていなかった主婦と子供が,パーソナル・メディアとしての電話利用の主役になることによって,電話の利用形態も単に用件を伝えるだけといった使い方から,主婦と故郷の親戚との近況報告,あるいは隣近所の友人との雑談,子供同士の遊びのさそいや宿題の教え合いなど,多様な電話の使い方が行われるようになり,日常生活に深くとけこむようになったといえよう。
 また,こうした電話コミュニケーションの多様化と電話に慣れ親しんだ子供達の成長は,電話では失礼といった儀礼性の欠如に対する感覚をも変化させ,電話で済ませられることは,すべて電話で済ますという考え方を一般化させる可能性をはらんでいるといえよう。
ウ.相談電話の定着
 都市化や核家族化等の社会現象が生み出した孤独,疎外,不安といった現代社会のひずみを背景に,電話のもつ簡便性,匿名性といった特質を生かして欧米で始められた相談電話が,我が国にも定着しつつある。
 主な相談電話で,最近1年間に受けつけた件数をみると,全国40都道府県警察が取り扱っている「ヤングテレホンコーナー」では,4万7千件,東京,大阪,北九州,沖縄,北海道,島根などで民間の社会福祉法人等が行っている「いのちの電話」4万7千件,愛知,静岡,石川などで教育関係機関が行っている「こころの電話」等の4万件である。
 特に,これらのなかで注目されるのは,自殺に関する訴えが年々増加していることで,東京の「いのちの電話」で受け付けた件数をみると,49年10月からの1年間では89件であったものが,53年には415件にも達している。なかでも29歳以下の若者が多く,全体の6割を占めているが,最近において特徴的なことは,18歳以下の未成年者の件数の著しい増加で,急速に低年齢化している現代の自殺問題を反映している(第1-2-44表参照)。
 このような,誰にも言えないことでも電話なら言えるという電話のもつ匿名性,簡便性の特質を活用した相談電話の定着は,現代を象徴する社会現象の一つであるといえよう。

(3) ラジオ・テレビと放送文化

 テレビを中心とした放送メディアの持つ社会や生活に及ぼす影響力は,その速報性,娯楽性といった独特の機能とともに,これを一つの独立した文化,いわゆる放送文化と言われる文化体系を形成することとなった。以下,この放送文化のさまざまな側面をみていくこととする。
ア.我が国のテレビの普及とその文化的特質
 我が国におけるテレビの急激な発展とともに,テレビは日本人の生活の中に深く入りこんできた。このことは,50年における日本人全体の平均テレビ視聴時間(平日)が3時間19分にもなっていることからもうかがえる。また,1966年に社会科学調査ヨーロッパセンターにより10か国で一斉に実施された情報行動時間量調査によると,第1-2-45図に示すとおり,日本人のテレビ視聴時間は他の国に比べて群を抜いて長くなっているのが特徴である。
 このような急速なテレビ普及と日本人のテレビ好きの文化的背景はどこにあるのであろうか。
 NHK総合放送文化研究所の研究「日本におけるテレビ普及の特質」ではこの問題について多面的な分析を試みている。
 この研究では,テレビの基本的属性として,[1]マス・コミュニケーション・メディア,[2]視聴覚メディア,[3]機械メディア,[4]ホームメディアの4点をあげ,テレビ普及の社会的背景として,都市化の進展等に伴う新中間層の急速な増大,都市と農村の間の生活水準の格差が著しく縮小したことに伴う生活様式の近代化等をあげている。更に,その文化的背景として3つの側面から分析している。
 第1に,我が国における視聴覚文化の伝統である。第1-2-46図は,我が国における視聴覚メディアの発達図である。これによると現代におけるテレビは,影絵から映画に連なる視覚芸術と,声色,演歌師からラジオに連なる聴覚芸術の伝統の上に成り立っていることがわかる。
 第2に,日本人は,明治維新以来の歴史が示すとおり新しい文化や技術を大した抵抗もなく受容しかつ同化してしまう性格がある。
 第3に,日本人の屋外の余暇活動がかなり貧しく娯楽設備が乏しく,また社会的,文化的活動が貧弱なため,相対的に人々の家庭への志向が強い。
 以上のような日本人の国民性等を背景にテレビはホームメディアとして家庭に急速に導入されていった。
イ.日本人とテレビ文化
 テレビは,我が国のみならず海外の国々の政治や芸術や暮らしのさまざまを,その番組の中に間断なく提供してきた結果,今ではテレビ文化と呼ばれる一つの文化が定着したといわれている。このようなテレビの文化的状況をあらわすものとして米国と日木で行われた生活必需品に関する調査がある(第1-2-47表参照)。これによると最も大事とされるものが,日本ではテレビであり第2位が新聞であるのに対して,米国では全く異なり第1位が自動車,第2位が冷蔵庫となっている。これには,両国民の国民性がよく表現されていると同時に我が国のテレビが持つ潜在力とその文化的影響力の大きさが示されている。
 次にテレビの文化的効用についてみてみると,第1-2-48図のとおりである。最も多いのは,「人々のいろいろな生き方に関心を持つようになった」という人で51%,次いで「広く海外にまで目をむけるようになった」(44%),「都会の風俗や流行を身近に感じるようになった」(39%)となっている。
 更に,テレビの社会的影響について,43年と50年に行われたNHKの「放送に関する世論調査」によりみてみると,第1-2-49図のとおりである。まず影響の方向については,「言葉や風俗」,「日本人の道徳」に対してマイナスの影響を与えたとする人の方が多いが,「新しい思想や文化の発達」,「日本の経済的発展」,「日本の文化水準」,「政治の民主化」,「日本の伝統文化」に対しては,プラスの影響を与えたとする人が圧倒的に多く,しかも43年から50年にかけてその率が増えている。このように,テレビは社会的,文化的にも大きな影響を与えたとする考えが一般的になっている。
ウ.ホームメディアとしてのテレビ
 テレビがホームメディアとして家庭に入るとともに,茶の間のコミュニケーションの意義が大きく変容してきた。テレビが普及する以前は,いろり端で対面し話し合っていた大人も子供もその話題は固有の狭い範囲に限られていた。しかしテレビ普及とともにリビングルームとして装いを変えた茶の間においては,従来のコミュニケーションパターンの上にマス・コミュニケーションの多種,多彩な内容が付加されることになり,茶の間の話題は,一挙に全国的のみならず世界的な拡がりを持つこととなった。
 このような茶の間とテレビとの関係,すなわちテレビのホームメディアとしての明確な位置づけは,NHKの「マス・メディア利用状況調査」にも表れている。「慰安・娯楽」における各メディアの利用理由は,第1-2-50表のとおりであり,テレビ利用の理由としての「家族性」が,テレビの魅力の中でもかなり高い位置を占めている。
エ.テレビの普及と文化の平準化,画一化
 30年代以降のテレビの急速な普及は,文化の全国的な平準化,画一化の傾向にますます拍車をかけている。
 メディア別の1人当たり民力水準を地域別にみると第1-2-51図のとおりとなる。これによると書籍・雑誌,新聞は地域的に大きな違いがあるが,テレビについてはそうした地域差はみられず,全国的によく普及しており,文化の平準化の面でテレビが果たしてきた役割の大きさをうかがわせるものである。
 このようなマス・メディアの状況の中で地方の方言はどのように変容したであろうか。我が国のマスコミは第一次的には標準語主義をとっており,これは,テレビ普及とあいまって文化の画一化を押し進める一つの要因となった。
 このような標準語主義は最近変容をとげつつある。すなわち経済の高度成長が行きづまり西欧型都市文明の限界を思い知らされるに至った日本人の間に,その裏返しとして「日本的なもの」,「ふるさと文化」見直しの機運が生じ,その一環として方言が再評価されるようになってきており,特に地域放送においてその傾向がみられる。地域放送における方言の取扱い状況については,NHKにより調査が行われている。
 これによると最初は方言が電波に乗ることにさえ抵抗を覚えた人達が慣れるにしたがって逆に親しみや共感を抱くようになったとか,放送時間は短くても長寿番組が多いという事実が示されており,地域における方言の位置,役割といったものが如実に出ている。
オ.ラジオ聴取時間の現状と質的変化
 ラジオ聴取時間は,テレビの普及と表裏一体の関係にあり,35年当時平均1時間34分(平日)であったのが,40年には一気に27分にまで激減した。しかし,その後,わずかずつ増加を続け50年には35分になっている(第1-2-52図参照)。
 テレビ以前のラジオは,家庭内娯楽の中心的な存在であったが,現在ではその地位は一変しラジオ聴取者の率が夜よりも昼間の時間帯でなだらかな高原地帯になっていることから労働の場における情報ソースあるいはバックグランド・ミュージックとして溶けこんでいると考えられる。
 また,聴取態様も「自動車の運転をしながら」とか「食事の支度をしながら」といった「ながら」聴取が大部分を占めている(第1-2-53図参照)。
 更に,携帯用トランジスタ・ラジオ,カセット付きラジオ,カーラジオなどの普及に伴い,個人個人がそれぞれに自分の好きな番組を聞くといった個人聴取の傾向を次第に強めている。
 このようにラジオはテレビの普及により,その機能を変化させながらも,テレビの果たせない独自の機能領域を確立し,地道な発展を続けている。

第1-2-40図 メディア選択の理由

第1-2-41図 主婦の通話相手

第1-2-42表 小学生が電話をかけた回数(週平均)

第1-2-43図 中・高校生の通話内容

第1-2-44表 自殺問題に関する電話相談の年齢別・性別件数の推移

第1-2-45図 各国民の情報行動時間量(週平均の1日) (1966年,社会科学調査ヨーロッパセンター)

第1-2-46図 視聴覚メディアの発達図

第1-2-47表 日米の生活必需品の比較

第1-2-48図 テレビの文化的効用

第1-2-49図 テレビの社会への影響-その方向-<「言葉や風俗」〜」日本の伝統文化」の各項目について,テレビがプラスの影響を与えてか,マイナスの影響を与えたか)

第1-2-50表 「慰安・娯楽」における各メディアの利用理由

第1-2-51図 メディア別1人当たり民力水準(地域別)

第1-2-52図 テレビとラジオの接触時間量の推移(平日)

第1-2-53図 ラジオの時刻別聴取状況(50年)

 

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