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第1部 特集 情報通信白書刊行から50年〜ICTとデジタル経済の変遷〜
第2節 1985−1995年頃:通信・放送市場の発展と新たなサービスの登場

1 国際情勢・諸外国の動向

1989年に、冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊し、世界は第二次世界大戦以降の国際社会を支配した東西二極対立による冷戦構造が終焉を迎え、新たな時代に入った。1993年には、欧州連合(EU)が誕生し、域内における人、物、サービス及び資本の移動が自由な市場を完成するために、域内の電気通信の強化が重要な要件の一つであると認識されていた1。1994年には、東西の経済活動を制限していた対共産圏輸出統制委員会(COCOM:Coordinating Committee for Multilateral Export Controls2)が解散したことにより、ICTを含む様々な分野において自由な取引がグローバルに可能となる環境が醸成された。さらにこの時期、中国が市場型経済に移行し積極的な外資導入を進めるなど、後の時代にグローバル経済において中国が大きな勢力となる土壌が育まれた。

また、冷戦の終結に伴い、国防費による研究開発成果の民間への転用が容易になったほか、米国を中心に軍事部門の人材や資金が民間部門に還流して旺盛なR&D投資によるイノベーションが生まれた。コンピューターやインターネットなどの情報技術の発展は軍事部門の研究開発が一つの契機となっており、冷戦構造の終結に伴う技術資源の民間へのシフトがもたらした「平和の配当」とみることができる3

インターネットは、冷戦構造の中で米国国防省の資金提供により1967年に研究を開始したパケット通信方式のARPAnet(Advanced Research Agency Network)を起源とし、当初はコンピューター科学者同士の連絡ツールであり、のちに研究者一般に開放され、その利便性が民間企業にも知られるようになった。当時、米国政府のNII構想(National Information Infrastructure)4においてインターネットの商用利用の方向性が示され、インターネットが民間に開放されることになった。これによってインターネットの一般的な商業利用が可能となり、パソコンやインターネットの技術革新と相まって、急速に情報化が進展した。



1 平成7年版通信白書第3部第1章第2節参照。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h07/html/h07a03010201.html別ウィンドウで開きます

2 冷戦時の資本主義諸国がソ連やワルシャワ条約機構による安全保障上の脅威に対応し、共産主義諸国への技術格差の確立を図るために、共産主義諸国へのハイテク物資の輸出を規制する目的で1949年秋に創設され、1950年1月から活動を開始した。

3 篠ア彰彦(2003)『情報技術革新の経済効果:日米経済の明暗と逆転』第4章第4節、第5節、及び日本インターネット協会『インターネット白書1996』第1節。
https://iwparchives.jp/files/pdf/iwp1996/iwp1996-ch02-01-p036.pdfPDF参照。

4 米国では1990年代に、クリントン政権が情報化を推進した。当初は政府による光ファイバ網の建設を唱えた「情報スーパー・ハイウェイ構想」であったが、民間による投資と市場の競争促進に転換され、民間に開放されたインターネットの普及を後押しした。この背景には、政府の介入に対する通信業界の批判が強かったことと、1993年包括財政調整法が成立する中で膨大な財政支出を伴う施策を実行することが困難であったことがある。1993年には情報インフラ整備に向けた行動計画(NII構想、National Information Infrastructure:Agenda for Action)が出され、政府の役割は先端的な実験、公正競争の確保、基盤整備など補完的なものに位置付けられた。

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