平成8年版 通信白書

本文へジャンプ メニューへジャンプ
トップページへ戻る
操作方法


目次の階層をすべて開く 目次の階層をすべて閉じる

第3章 情報通信が牽引する社会の変革―「世界情報通信革命」の幕開け―

(2)  情報通信技術の先進的な研究開発事例

 情報通信技術は、その進化に伴い、従来意識されてきた厳密であるが冷たい機械的な側面だけでなく、親しみやすい人間的な側面をも兼ね備えるようになってきた。この変化は、情報通信技術の利用者の広がりに伴うユーザニーズへの対応に起因しており、これを受けて研究開発の場面における技術開発の課題や達成目標は、ハード・硬直性からソフト・柔軟性へ、あるいは一次元性能から多次元性能へと重点を移しつつ広がりを見せている。このような技術の進化の方向性から、情報通信技術は大きく、デジタル技術、ネットワーク技術、ユーザインタフェース技術の三つの技術に分類される。
 なお、7年6月の電気通信技術審議会答申「未来創造型技術立国に向けて-情報通信先端技術開発プログラム-」において情報通信分野で重要な項目として示された7分野(無線技術、光通信技術、ネットワーキング技術、知的通信技術、ソフトウェア技術、材料・素子・デバイス技術、電波・光応用技術)と上記の三つの技術分類との関連性を示すと、第3-2-28図のとおりである。
 以下では、これら三つの技術分類(デジタル技術、ネットワーク技術、ユーザインタフェース技術)ごとに、代表的な事例を含めて最近の研究開発動向を紹介する。 

ア デジタル技術

 情報通信技術の分類の第一は、音声、文字、写真、映像等の統合に関する技術群である。この技術群を総称したものがデジタル技術であり、デジタル技術は素子・デバイスや機器を設計する際の正に中心的な位置を占めている。
 これまでのデジタル技術の性能向上は、半導体の微細加工技術による素子演算能力の急激な向上によるところが大きく、そのコストパフォーマンスは年率50%を超える勢いで向上している。画像プロセッサ、コーデック等は、向上する素子演算能力をフルに活用し、任意のアプリケーションに向けてチューニングした高度なアルゴリズムを電子デバイス製品として作り込むという形でのデジタル技術応用の代表例である。
 しかし、例えば「テラビット(Tb/s )伝送への挑戦」のような極限を追求した技術の実現に向けては、電子デバイスに代わる新たなデジタル技術の核として、光処理等の光デバイスの進歩が注目されている。
 (光スイッチの実用化に向けた研究開発)
 光ファイバが家庭にまで引き込まれ、家庭において数百Mb/s の情報が頻繁に送受される状況を想定すると、交換システムとしても現在の千倍以上の大容量化が必要となる。光スイッチは、電気的な手段では実現できない数GHz 以上の信号のスイッチングや数Tb/s 以上のスループットの大容量ノードの実現を目標に研究が進められている。こういった光技術によるネットワークの大容量化の展開は、光接続ATM、光ATM、光周波数時間多重の三つの技術フェイズに分けて進展するものと見られている(第3-2-29図参照)。
 第一段階は電子系システムの中に光技術を一部埋め込んだり、ボード間を光相互接続する光接続ATM技術であり、2000年までに1Tb/s レベルのスループットの実現が見込まれており、現在実用化している電子ATM技術の十倍〜百倍の性能向上が見込まれている。第二段階の光ATMは、ATMセルを光のままルーティングするもので、光バッファの実現等、技術課題は残っているものの既に一部基礎実験段階に入っており、光周波数によるルーティング等によって、電気では実現できない高いスループットを達成する技術として注目されている。第三段階となると、光の空間的な並列信号処理、超高速光信号検波技術等、数多くの技術的ブレークスルーの可能性を秘めている。しかしながら、光デバイス技術を含めて数多くの課題を抱えており、10〜20年の長期的な展望のもとに取り組んでいる研究テーマである。
 現在、光スイッチ分野における交換機等ハードウェア機器・システムの研究開発においては、我が国の電気通信事業者、機器メーカーは世界的に最高の水準の技術を蓄積している。
 情報通信技術の分類の第二は、ネットワーク技術であり、ネットワークを介したインタラクティブな環境を提供する技術群を総称したものである。ネットワーク技術の性能向上には、光ファイバ伝送技術、セルラー無線技術等が大きく貢献している。
 光ファイバ伝送技術は、ミリ波導波管から光伝送へ至る技術展開の中で、我が国において大きな研究分野を構成し、世界の研究開発をリードする役割を担ってきた。特に、光ファイバ伝送技術における研究開発の進歩は著しく、ここ20年間にわたり千倍のコストパフォーマンスの向上をもたらした。一方のセルラー無線技術は、電話網設備に関するコストを、現行の固定網より低くすることを可能としている。
 このようなネットワーク技術は、デジタル技術により高密度に集積した情報通信技術の利用の利便性を社会の隅々にまで開放し、分散するデジタル技術を融合する環境を提供している。また、ネットワーク技術は、ATM、TCP/IP、オープンEDI等の技術の標準化によりその威力を最大限に発揮することができるようになる。
 一方、これらの標準化のプロセスにおいては、通信、放送、コンピュータ等、分野横断的に連携をもちつつ整合を図っていくことが今後重要になってくる。
 (超高速大容量光伝送の実用化に向けた研究開発)
 我が国のある電気通信事業者の研究所では、7年10月、世界で初めて 400Gb/s の速度で100km にわたって伝送する超高速大容量の光伝送実験に成功し、光伝送技術の分野において世界を大きくリードした。また、8年2月にはこの技術をベースにテラビット伝送が実現された(第3-2-30図参照)。この実現のため新たにスーパーコンティニュアム光源を開発し、そこから取り出した10の波長のピコ幅の光パルス列に、それぞれ光時分割多重して 100Gb/s の信号を乗せることで1Tb/s を達成した。この技術を適用すれば、同じ方法で数Tb/s の伝送まで可能となる。
 こういった実験室レベルで実現された技術は、今後は実用化に向けて研究開発が行われ、数年のうちには、我が国の基幹光ファイバ網への導入が開始されるだろう。これまで、光伝送システムのコストパフォーマンスは20年間で千倍という著しい革新を遂げてきたが、光時分割波長多重技術が応用される新しいシステムにおいても、このトレンドは維持される見通しである。
 また、光ファイバ伝送の技術革新を支えてきた、ゼロ分散シフトファイバや光ファイバアンプの開発および実用化は、我が国における情報通信技術の中で誇るべき研究成果となっている。今後ソリトンをはじめとする非線形光学現象の解明が進み、それらを積極的に活用したデバイスやシステムの開発も期待されている。
 (大容量化に向けたデジタルセルラー無線技術の研究開発)
 移動通信システムにおける無線区間の周波数の利用効率を向上させるためには、高能率音声符号化技術は極めて重要な役割を担っている。これまで、我が国のデジタルセルラー電話システム(PDC)では、音声符号化アルゴリズムとして、フルレートと呼ばれる11.2kb/sのVSELP方式が用いられてきたが、大都市部ではセルラー電話向けの周波数がひっ迫していることから、さらに周波数利用効率が高い音声符号化方式の検討が進められきた。
 我が国のある電気通信事業者の研究所では、VSELPと同等以上の音声品質と符号誤り耐性を持ちながら、半分の情報量で済む符号化方式(ハーフレート方式)、さらにその半分の情報量で済む符号化方式(クォータレート方式)の研究開発を行っている。ここで実用化されたPSI-CELP(Pitch Synchronous Innovation-CELP) と名付けられた3.45kb/s(誤り訂正を含めると5.6kb/s )の高能率音声符号化方式は、1994年には(財)電波システム開発センター(現、(社)電波産業会)においてPDCのハーフレート方式の標準化として採択された。この音声符号化方式の開発により、我が国のPDCは前世代のアナログセルラー電話システムで採択されているFDMAによる狭帯域方式より音声チャンネル当たりの周波数利用で優位となった。同時に世界で実用化済みのセルラー電話システムの中で最も周波数利用効率の高いシステムとなった。さらに、ハーフレート方式は現行のフルレート方式と共用する形で運用されるため、同じ電話機の利用等が可能であり、加入者の急増に対応してスムーズなシステム移行が可能となる。
 また、高能率音声符号化方式の実現による波及効果は、単に移動通信の領域にとどまらず、現行の公衆電話網での音声・データ通信の同一回線上での共用、音声・データの多重伝送による電話サービスコストの大幅な低減等に影響を及ぼすことが予想される。
 情報通信技術は、第三に分類されるユーザインタフェース技術の性能向上により、利便性を社会の隅々にまで開放するだけでなく、人間社会との融合段階に進展してきている。ユーザインタフェース技術は、アプリケーションを人間が容易かつ便利に利用する表現手法を提供する技術群で、人間社会に仮想空間という新たなフロンティアを提供し始めている。
 代表的な技術としては、Java 等のエージェント記述言語、WWWブラウザ、あるいは人工生命モデルのアルゴリズム等が挙げられるが、このようなユーザインタフェース技術の研究開発は緒に付いたばかりであり、要求性能に関する明確な指標や開発の方向性が明らかになっているわけではない。しかし、近年の情報通信技術の研究開発においては、ユーザインタフェース技術に重点が置かれるようになってきている。
 (エージェント技術を応用した通信サービスの研究開発)
 エージェント技術を応用した通信サービスとは、情報通信の利用に際して個人のニーズやリクエストをあらかじめ理解した分身(エージェント)が、本人に代わってネットワークを駆け回って必要な情報の入手や作業を実行するというものである。
 エージェント技術を応用した通信サービスを実現するには、エージェント間の情報交換が不可欠であり、情報交換のデータフォーマットやプロトコルの取決めが必要となる。こういったエージェント間の情報交換を効率的に行うためにエージェント技術が開発され、テレスクリプト言語や、最近ではJava 言語が注目されている。
 我が国のある電気通信事業者の研究所では、エージェント技術を応用した通信サービスの実用化に向けた研究開発を行っている。エージェント技術を応用した主なサービスを分類すると第3-2-31表のとおりである。
 ところで、エージェント通信サービスの研究開発及び実用化は米国を中心に展開しており、世界に先駆けてテレスクリプト言語を利用したサービスも既に実施されている。一方、我が国においても、電気通信事業者、メーカー等によるジョイントベンチャーが8年春から米国とほぼ同様のサービスを開始する予定である。ここで提供するのは、携帯情報通信機器により外出先の電話回線や携帯電話等と接続して利用できるサービスであり、具体的なメニューとしては、
[1] あらかじめ欲しい情報の入手条件を設定し、欲しい時に情報を得るサービス
[2] 事前に登録した先からメール着信時にページャーへ通知するサービス
[3] メールの取扱い条件(他人への転送、適切な場所への保存等)を事前に設定するサービス
が計画されている。
 (仮想スタジオの映像制作技術の研究開発)
 臨場感にあふれた通信・放送を行うためには、有意義なコンテント映像を容易に制作する環境が求められるが、これまでに実用化されたクロマキー合成、電子大道具等の映像合成技術は取扱いが難しいものであった。
 これを克服するため、我が国のある放送事業者の研究所では、仮想スタジオの映像制作技術の実現に向けた研究開発を進めている。仮想スタジオとは、スタジオの基本要素をすべて電子化して統合し、制作者に対する仮想作業環境を提供するものである。制作者は、現実のスタジオで行う作業と同等の作業、例えば大道具の設計・制作、俳優の立ち位置の決定、カメラ位置の決定等を仮想スタジオに対して行い、その後、これを仮想的なカメラで撮影して映像化する。仮想スタジオが実現できれば、制作者の描くイメージどおりに映像を制作できるとともに、好きな時点で振り出しに戻ってやり直したり、修正したりすることができる。さらに、映像制作のための非常に時間のかかる技術の修練を短時間に行うことができるようになり、映像制作者の育成にも役立つ。このように仮想スタジオは、映像制作者に創造的な環境を提供すると同時に、映像制作コストの削減に大きく貢献することになる。
 (情報セキュリティ技術の応用による電子現金方式の研究開発)
 インターネットを始めとするオープンなネットワークを活用して各種サービスを提供したり、あるいは電子商取引等の活動を実現するためには、情報の秘話・秘匿、相手の認証、メッセージの認証、デジタル署名(電子印鑑)等のセキュリティ機能が求められる。こういったセキュリティ機能の実用化は暗号認証理論を基盤に進められ、世界的にも実用化実験が活発化している。それらの暗号認証技術の原理とその代表的な方式の分類を第3-2-32表に示す。
 我が国のある電気通信事業者の研究所では、1980年代前半からネットワークセキュリティのための研究開発を行っており、これまでに秘密鍵暗号方式のFEAL、公開鍵暗号方式のESIGN等の暗号認証技術を開発してきた。FEALは米国の暗号アルゴリズムであるDES(Data Encryption Standard)をベースとして、ソフトウェアでも高速に暗号化・復号化できるようにしたもので、1990年ごろからファクシミリ機器にも導入されている。また、ESIGNは、印鑑や署名を電子的にネットワーク上で行えるようにしたもので、従来の公開鍵暗号方式の処理速度の遅さを克服し、計算能力の小さいICカードでも1秒以内で高速処理することが可能となっている。
 さらに、暗号認証技術の応用として電子現金の実現が注目されている。電子現金は、現金に代わる決済手段としてネットワークと暗号認証技術を使って銀行や小売店での支払いをセキュリティを保って実現するものである。この研究所では、ブラインド署名および零知識証明の仕組みを組み合わせて応用し、利用履歴などの個人のプライバシーを保護できる暗号認証技術の実用化を世界に先駆けて進めている。


第3-2-28図 情報通信技術の分類

第3-2-29図 光技術による交換システムの大容量化のシナリオ

第3-2-30図 超高速大容量伝送の研究状況

第3-2-31表 エージェント技術を応用した通信サービス例

第3-2-32表 暗号認証技術の原理とその代表的な方式

 

第3章第2節3(1) 情報通信技術の研究開発をめぐる最近の動向 に戻る (3) 情報通信技術の研究開発における我が国の国際競争力 に進む