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第1部 ICTの進化を振り返る
第1節 通信自由化30年―制度、サービス、市場の変遷

(3)新たなサービスの展開:パソコン通信の普及と第一次携帯電話ブーム

通信市場での競争は、1992年のNCCによる全国ネットワークの完成と料金値下げ競争の進展により本格化し、NCC3社の市場シェアも徐々に高まりつつあった。そのような中で後に競争の転機となる先駆的サービスが登場・発展した。すなわち、パソコン通信と携帯電話である。また、この時期には、自由化初期にふさわしく、ほかにも多様な新規サービスが展開された14

ア パソコン通信の普及

インターネットが普及する前の1980年代の後半から1990年代前半は、パソコン通信が全盛の時代であった15。主なパソコン通信サービスとして、ASCII-NET、PC-VAN、NIFTY-SERVE等が次々と提供され、1990年代後半、インターネットが本格的に普及するまでデータ通信分野での新サービスとして成長した。パソコン通信の利用者数は、1991年で115万人だったものが、1995年には369万人、1996年には573万人まで増えた(図表1-1-1-10)。

図表1-1-1-10 パソコン通信会員数の推移
(出典)平成9年版通信白書
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パソコン通信は、音声の通信に加えてデータによる通信の道を開いたものであり、メールやフォーラム、チャットというテキストベースのサービスが中心であったものの、着実に普及していった。後のインターネットの普及を考えたとき、80年代後半からのこのパソコン通信の普及は、電話を中心として普及してきた通信産業が大きな転換点に踏み入れたことを象徴するものであった。

そしてパソコン通信の普及は、新たな通信需要をもたらした。その新しい需要にこたえるために出された割引サービスが、深夜時間帯の定額料金サービスである。これは国内で初めての定額料金サービスであり、後にインターネットの普及によって本格的に提供されることにつながる。

なお、インターネットは、1990年代後半以降に普及するが、1990年代前半には、既に株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)などがインターネットサービスプロバイダーとして事業を開始していた。

イ 第一次携帯電話ブーム

固定通信市場で競争が活発化する一方、移動通信市場でも徐々に競争が顕在化してくることになる。携帯電話は、1979年、電電公社によって自動車電話としてサービスが開始され16、当初は自動車内で利用することが想定されており、高速道路沿いにネットワークが整備された。その後、通話エリアが面的に整備されるようになり、通話エリアが拡大した。また端末も小型化が進み、持ち運びに便利な大きさの端末が提供されるようになり、利用者を徐々に増やすようになっていった。

通信自由化後も、しばらくはNTTが1社で提供していたが、1988年に日本移動通信が関東・東海地域に参入した。またDDIセルラーグループも、1989年の関西セルラー電話を皮切りに1992年の沖縄セルラーの参入まで段階的に日本国内にサービスを展開した。これにより携帯電話市場でも競争が本格的になった。新規参入企業は2社であったが、地域的にすみ分けられ、地域毎にNTTとNCCという複占体制となった。

第一次携帯電話ブームは端末が小型化された時期であった17。従来はショルダーホンという肩掛け型の端末が提供されていたのに対し、現在の手のひらサイズの小型端末が提供され始めたのが1980年代末から1990年代初めの時期である18。このころから携帯電話サービスという名称が使われるようになった。

新規参入の効果で1989年の加入数は対前年比で100%を超える伸びを記録したものの、その後、1990年77.2%、1991年58.5%、1992年24.5%、1993年24.4%と伸び率は頭打ちであった。

一方、通信自由化の際、本電話機の利用者所有(売り切り)ができるよう制度改革が行われたが、携帯・自動車電話の移動端末については、1993年まで通信事業者によるレンタルのみで、売り切りは実施されていなかった。しかし、通信技術の著しい進歩に伴い、低廉かつ多彩な端末が出現しつつあり、この分野にも競争原理が導入されることで市場の拡大が実現することが期待されたこと、さらに、移動端末の売切制度が導入されれば、携帯・自動車電話サービスの月額基本料等が低廉化したり、競争による移動機の低価格化や小型化等の多様化が一層促進されるなど、利用者に大きなメリットをもたらすことが期待された。このため、1994年、端末の売切制度が実施され、それ以降、携帯・自動車電話の加入数は飛躍的に増大した。

また、携帯電話とは別に「いつでも、どこでも、だれとでも」通信できる新しいパーソナル通信サービスとして簡易型携帯電話システム(PHS)への期待が高まり、早期事業化に向けて1993年から実用化実験が実施された。その後、1995年から首都圏を中心に、エヌ・ティ・ティパーソナル通信網グループ9社、ディーディーアイポケット電話グループ9社、アステルグループ8社が順次サービスを開始し、1地域3社体制の競争市場が整った。

このほか、当時普及した移動体サービスとしては、無線呼び出しサービス(ポケットベル)がある。1968年に電電公社によって開始された無線呼び出しサービスは、通信自由化以降、NTT及び主として県を営業エリアとする多数のNCCにより提供されるようになり、競争を通じて料金の低廉化が進んだ。数字送信機能などのサービスの高度化が進んだこともあり、若者も含めて利用が急速に広がり、1995年には加入数が1,000万を超えた。しかしその後、携帯電話やPHSの利用料金が低廉化すると、これらのサービスによって急速に代替されていった19

ウ データ通信市場の活況

第二種電気通信事業分野には、新しいビジネスチャンスを求めて多数の企業が参入し、事業法施行以降1年半で特別第二種電気通信事業者9社、一般第二種電気通信事業者279社が参入した。

特別第二種電気通信事業者は、主に全国規模でパケット交換等のデータ伝送サービスを提供し、一般第二種電気通信事業者は、主に全国各地域でデータ伝送サービスを提供し、このほか音声伝送、画像伝送又は複合サービスを提供する事業者も出現した20

1988年には、NTTからデータ通信事業を分離して、エヌ・ティ・ティ・データ通信(株)が設立された。同社は、回線数等のネットワークの規模で我が国最大規模の第二種電気通信事業者となった。

また、この時期に出現した新たなサービスとしては、1988年に提供が開始されたISDN(総合デジタル通信サービス)や、1994年に提供が開始されたフレームリレーサービス21などが挙げられる。このうちISDNは、回線をデジタル化することにより、1つの加入者回線で音声、データ、画像情報を同時に利用できるようにするものであったが、1990年代半ばまでは普及は限定的であった。その後、パソコン通信やインターネットが普及すると、64キロビットのデータ通信が可能なサービスとして注目されるようになった。

エ その他
(ア)ファクシミリの進展

この時期には、ファクシミリサービスの契約数が急増した(図表1-1-1-11)。これは、記録通信に対するニーズの高まり、サービス提供地域の拡大によるネットワークの利用価値が高まったこと、電話網を使った場合に比べ長距離通信料金が割安となることが主な要因であった。

図表1-1-1-11 ファクシミリ通信網サービス契約数の推移
(出典)平成7年版通信白書
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(イ)衛星通信

我が国の衛星通信サービスは、1983年に打ち上げられた通信衛星2号(CS-2)を利用して1984年に電電公社により開始されていたが、1989年には、初の民間通信衛星として日本通信衛星(株)のJCSAT-1、宇宙通信(株)のスーパーバードAが打ち上げられ、両社は、衛星系第一種電気通信事業者としてそれぞれサービスを開始した。

上記衛星系第一種電気通信事業者2社は、当時、放送事業者への番組配信、企業内通信等を中心とした専用サービスを提供していた。

(ウ)光ファイバー網の整備の促進

1994年の郵政省の電気通信審議会答申「21世紀の知的社会への改革に向けて」では、光ファイバー網の全国整備の目標時期を2010年に設定した。これを踏まえ、1995年度には、第一種電気通信事業者及びケーブルテレビ事業者による加入者系光ファイバー網の整備を対象とした、投資負担軽減のための特別融資制度(加入者系光ファイバ網整備特別融資制度)が創設された。これは、電気通信基盤充実臨時措置法を改正して、通信・放送機構に基金を設置して超低利融資を実現するものである。光ファイバー網を21世紀の高度情報通信社会の基盤的な社会資本と考え、その円滑な整備を促進するものであり、その後のブロードバンドネットワークの整備につながっていくものであった。



14 電話の新たなサービスとしては、1985年度以降、①三者間で通話のできるトリオホン、②あらかじめ契約した着信人が通話料を負担するフリーダイヤルサービスなどのサービス、③災害時の緊急情報等を複数の利用者へ情報提供ができる大量情報提供サービス、④テレビ・ラジオ放送等のアンケート等への電話投票の結果を自動的に集計し、その結果を通知するサービスである電話投票サービス、⑤電話等で使用されていないときの加入者回線を利用して情報提供を行うオフトーク通信サービス、⑥ダイヤルQ2サービスなどが新規に出現した。

15 パソコン通信の普及は、端末機器の開放の歴史と関連している。前述のとおり、1985年の通信改革において利用者が自ら端末を設置することが可能となったことにより、パソコン通信に必要なモデムを接続することが可能となり、パソコン通信が一般の国民でも利用可能となった。なお、この時期には、ビデオテックス通信の利用も拡大していた。

16 携帯電話の技術的基礎となるセルラー方式無線通信技術は、当時、電電公社電気通信研究所の移動無線研究室長であった奥村善久氏(現・金沢工業大学名誉教授)らの貢献によって開発された。奥村氏はこれらの業績により、2013年、日本人初となるチャールズ・スターク・ドレイパー賞を受賞した。

17 ネットワークのデジタル化もこの時期であり、1995年度には、デジタル方式の契約数がアナログ方式の契約数を上回った。

18 平成3年版通信白書には、「最新の携帯電話は小型化、軽量化により体積が150cc前後、重量が250g前後と、体積、重量とも3年程の間に約3分の1となり、文字どおり身近に携帯できるようになった。」との記述がある。

19 さらにこのほかの移動体サービスとして、たとえば、マリネット電話サービス(大規模港湾地域の海上運送業、水産流通業、海上土木業等における利用を対象として実用化された移動無線電話サービス)、簡易陸上移動無線電話(コンビニエンス・ラジオ・7オン)サービス(自動車電話等の移動通信サービスの提供が遅れている地域を中心に導入し、地域の振興を図ることを目的として開発された移動通信サービス)、テレターミナルシステム(都市内に設置するテレターミナル基地局を通して、携帯型の端末装置、車両に搭載する端末装置又は各種センサーの端末装置と各ユーザのオフィスやセンターコンピュータの間で双方向のデ一夕伝送を行うシステム)などがあった。

20 一方、データ通信の進展により、1984年の世田谷電話局でのケーブル火災事故や1985年の国鉄通信ケーブルの切断事件など、通信システム障害が金融機関や交通機関のサービスに重大な障害を引き起こすこととなった状況を考慮し、郵政省は、通信システムの安全・信頼性対策の検討を行い、1986年に「電気通信システム安全・信頼性対策のガイドライン」を策定・公開した。

21 パケット交換方式を高速化したフレームリレー方式を採用した法人向けデータ通信サービス。

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